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そして自由を手に入れる。

毎日ゲラゲラしとるのになんかちゃうんよなあ。そんなことに気が付き数年が経っていた。

僕は《人に迷惑をかけなければ何をしてもいい》という考えを大事にして生きてきた。その言葉の通り、この数年はそれなりに好きなように生きてきた。それなりに。

思えば、この“人に迷惑をかけなければ”という文言に随分苦しめられていたように思う。もちろん人に迷惑をかけないことは大切である。しかしそれ故に無意識に体裁を気にするようになり、自分らしさを失っていたことに気が付いたのは数日前に前職の上司と電話で話している時だった。

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小学6年生の頃の卒業アルバムに夢を書く欄があった。野球選手になりたい。学校の先生になりたい。政治家になりたい。…そんな中で僕は“人とちがったことがしたい。”と書いていた。

サラリーマンにはなりたくない。スーツを着るような仕事はしたくない。人と同じはつまらない。具体的な仕事はわからなくてもそんな思いだけは一丁前だった。

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「せんせーって自由といっているはずなのに何かに縛られているよね。」(せんせーとは僕のあだ名である。)数日前、前職の上司からそんなことを言われ僕は内心焦っていた。好きなように生きていないのではと言われたような気がしたからである。

しかしそれは図星であった。本当にやりたいことが出来ているのか、それは自分でもしばらく疑問に思っていたからだ。自分の生き方はそれなりにしか好きに生きれていないのだ。

「それをやると人に迷惑をかけちゃうから出来ないんですよね。」この時も、そしてこの数年は何度もこの言葉によって自分の行動に制限をかけていた。

「それって誰に迷惑がかかるの?」上司は言った。ボクはまた迷惑がかかるであろう人の名前をあげた。そして僕は言った。「人に迷惑をかけなければ何をしてもいいと思うんですけどね。迷惑をかけると思うとどうしても…。」

そんな葛藤を話していた時、ふとあることに気が付いた。自分はこれまで迷惑をかけずに生きてこれていたのか?と。論外だった。

僕はこれまでもたくさんの人たちに迷惑をかけ、失礼なことをしてきた。過去には車で迎えにきてくれた友人に「お前はMy favorite Assyだ(俺にとって最高のアッシー)。」と言ったこともある。(むしろ今もふざけてそう呼ぶことがある。)

そんな友人たちは今も仲良く遊んでいる。こんな数々の無礼に対して、迷惑だと思っている人はひとりもいない。なぜなら失礼なことを言える、迷惑をかけてしまうことができる関係性がそこにはあるからだ。

そんなことを考え始めると、この数年間のモヤモヤがすっと晴れたような気がした。人に迷惑をかけないようにしようとすることで自分を押し殺してしまっていた。これまではそうやって自分を納得させることばかり考えていて行動に移すことが出来なかった。

そうじゃない、自分にとってしなければいけないことは我慢をすることではなく迷惑をかけても迷惑と思われない関係を築くことだ。そう思うと大人になってからは見えない壁をつくっていたのかもしれない。それが相手のためだと思って。壁なんてつくらずに接してきたこれまでの人たちにはたくさんの迷惑をかけてきた。それでも仲良く、そして暖かく接してくれている。

この数年はちょっと遠慮しすぎていたかもしれない。これからまた学生時代の頃のような人間関係を多くの人たちと築いていきたい。損得勘定抜きに、打算的な思いではなしに、もっともっと自分をさらけ出していきたい。そして一生ゲラゲラしていたい。まだ見ぬ多くの人と出会うために、そんな思いでこれからnoteを活用していきたいと思います。


koen_jiro

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