唐山で石を買う
河北省唐山というところに出張していた。古くから鉄鋼業で栄えた街で、空からみるといまでも露天掘りの名残で巨大な穴がボコボコと空いていて人口湖になっていたりする。
2012年頃から中国全土で大問題となった大気汚染の原因であるPM2.5の主要産出地のように扱われてしまい、もともと100社以上あった鉄鋼業は大幅な制約を受け、いまでは10社も残っていないそうな。そのかわり空気はたいへんきれいになったそうである。
田舎と都会がほどよくミックスされていて、好きな感じの街だった。空港のスカスカなロシア工芸品ショップとか(誰が買うねん)、いまの上海ではもう見られないザ・中国の濃度の高さにグッとくる。
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さて、訪問した会社の社長が風流な人で、石が大好き、趣味が高じて自宅の地下を水石博物館に改造してしまっていた。
これはほんの一部で、ぜんぶで百個近い石が陳列されていたと思う。ひとつの石を買うのに何日も悩んで、迷って、膨大な時間をかけて集めた大切なコレクションだそうである。
最後のやつはカニの化石で、これだけ爪の形がはっきり残っているのはかなり希少な珍品であるらしい。が、社長いわく、こういうのはどちらかというとキワモノであり、本当に味わい深い石というのは、少し離れたところからボーっと見ているだけで様々な風景、森羅万象を次々に想起させるものだという。
ありがたい話を聞きながら、わたしは、これぜんぶでいくらくらいするんだろう、という下世話なことばかり考えていた。なぜならあの人のことが気になって仕方なかったのだ。そう、助川助三である。
つげ義春 「無能の人・日の戯れ」 新潮文庫、新潮社、1998年、P.190~250
主人公である漫画家の助川助三は、誰よりも石を理解すると自負するが、カネがない。多摩川で自ら石を拾い集め、河原に(!)店を出すが、もちろん売れない。
冷やかされるとムキになる。テキ屋のおっさんの横に黒々と佇む助川の絶望感がハンパない。
一発逆転を狙い、なけなしの場所代を払って新宿で開かれる水石オークションに出品する。玄人筋であれば自分の石は必ず理解されるはずだ、という一縷の望みはあっさりと裏切られ、ひとつも売れず、家族三人で絶望する。
ゴ~ン。。。
わたしはこのマンガになぜかひどく心を惹かれ、何度も何度も読み返した。理由はいまでもよくわからないけれども、80年代という既にバブルに突入しかけていた時代が背景であるにも関わらず、ひたすら先の見えない生活の切なさが綴られる、その反時代的な筆致が胸に刺さったのだと思う。いま読み返してもなんだかすこしつらい。
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唐山の社長は成功者である。しかし、成功したから石を買うのではないと彼は強調する。石に囲まれて心を平安に保つことと、誠意をもって仕事をすることは表裏一体で、どちらが先でどちらがあとという因果関係で語るようなものではないと。きっとそうなのだろうと思う。では助川助三が金持ちになれなかったのはなぜなのか。石そのものに対して欲望しすぎたからなのだろうか。
どうしても我慢できなくなって「この石、いくらですか」と聞いてしまった。社長はチラッとこちらを見るだけで教えてくれなかった。目に浮かんでいたのは静かな軽蔑だった。こいつなかなか熱心だから弟子にしたろかな、と思われかけていたのに惜しいことをした。