プラダの家がほしいの♪
オザケンがヒットを連発していたのはもう25年も前だったことにビックリする。洋楽かぶれのわりとストイックなバンド少年だった当時のわたしは、磨き抜かれたテクニックこそがミュージシャンの全てだと思い込んでいたところに、テレキャスをぶら下げて調子っぱずれの歌を歌うお兄さんをテレビで見てずっこけ、プロってなんだろう、、とそのとき初めて考えさせられたのであった。
プラダの靴にはいまだに縁がないけれども、プラダの家なら見たことがある。上海にはなんとプラダが所有している老房子があるのだ。
榮宅 (Rong Zhai)
かつて上海に「小麦粉大王」と呼ばれた榮宗敬という大金持ちがいた。その人が1918年に建てた(正確には破産したドイツ人から買った)家が「榮宅(えいたく・ロンジャイ)」である。榮宗敬は1938年に死去した。中国建国以来どのように管理されていたのかわからないが、幸いにも60年代にも破壊されることはなかった。2005年に「上海優秀歴史建築」に指定され市の保護を受け、そして、2011年にはプラダが所有権を持つことになった。彼らはカネにモノを言わせて(かどうかは知らないけど)、上海とイタリア混合の「匠・ドリームチーム」を結成し、6年にもおよぶ徹底改装をほどこしたそうである。
以前の記事にも書いたように、上海の老房子は外観こそ往年のままでも、中身はいいかげんな内装をあてがわれて台無しになっていることが多い。でも榮宅は違う。ぜんぜん違う。上海に老房子は数多くあれど、まさに最高峰中の最高峰物件といえるのではではないだろうか。
残念ながらふだんは非公開で、プラダ関連のVIPだけがときおり招待されるらしい。自分はもちろん縁がない。なので珍しく一般公開されたときには、目を三角にして抽選券をポチリ続けたのである。
場所は陝西北路186号、南京西路との交差点のほど近く。上海行号路図録(1947)では単に住宅となっている。庭の広さが際立つ。
何度も前を通ったことはあったけど、存在に気づかなかった。そんなもんですよね。
人だかり。ダフ屋も。
外壁の質感からして他の老房子とは違う。
玄関から居住区へとつながるモジュール…と呼ぶのかわからないけど、とにかく細工がすごい。
モザイクタイルがきれい。
二階の大広間。ステンドグラスは当時のものを忠実に再現したらしい。
天井が高い。3.5mはありそう。
中庭へ通じるドア
中庭から見た裏側。うーん美しい。
まさに豪邸。
榮宗敬は現代標準語ではRong Zong Jing。ここではYung Tsoong-Kingと書いてある。どこの方言だろう?
ひととおり見て、間接照明は大切だと思った。上海の老房子はあまりにあっさりとむき出し蛍光灯みたいなのが多すぎる。みんなが間接照明に替えるだけで高級感が三倍くらい上がると思う。
元国家副主席・榮毅仁
話はここで終わらない。
先日の記事で紹介した、以前住んでいた老房子というのは、大家がしきりに「ここはロンイーレンの弟の家族が住んでいた」と言っていて、当時のわたしはなんのことかわからなかったのだが、あとから調べてみたらロンイーレンという人は上海副市長をなどを経て1993年から98年まで国家副主席を務めた榮毅仁(Rong Yi Ren)のことだということがわかった。どうりでメンテナンス状態もよく、ご近所さんも党関係ぽかったのだ。
そしてさらに、わりと最近知ったのが、榮毅仁はなんとこのプラダ榮宅の持ち主だった榮宗敬の甥にあたり、かなり長い間まさに榮宅に暮らしていたらしいのだ。つまり榮一族の末裔の家に自分も住んでいたということになる。
家主の親戚が住んでいた家の賃貸…なんてあってないような些末な結びつきだけど、それでも上海最高峰の老房子とほんの少しだけつながっていた、ということが無性にうれしい。