ストーリーで“意味深”をうかつに使うと :その1、比喩編
比喩は言葉の意味を遠ざける。
つまり比喩にはネガティブな側面がある。いいことばかりではない。そしてそのことは、どのような場合であっても回避できない。要するに、実のところ比喩など使わないに越したことがないのだ。
どのような使われ方をしようとも、比喩とは、本来伝えたい意味を、そうでない形にしてしまう。そのため、あらゆる言語を中心とした表現にとって、比喩は、その形を歪める存在だということになる。
特にストーリーを紡ぐ上で、比喩は悪い手段とされるべきものなのだ。それにもかかわらず、言語作品において、比喩は使えばそうするほど良いものとされがちである。
この根本的な行き違いは、比喩が意味深だからだ。意味深というのは実質、良く分からないということと同じである。そして良く分からないということは、その実態を知らず、評価ができないということに繋がる。見下すにせよ崇拝するにせよ、世間一般的に、比喩というものは理解されていない。それは専門的な道具であり、意味深な何かだからだ。日常的に扱っている人間でない限りは、これを正当に把握することは難しい。
そのような状況の中で、比喩は、「なんとなく格好いいもの」とか「すごい技術のあるもの」とか、そういったぼんやりとした認識を持たれがちである。どうしてかというと、比喩は本来伝えたいはずの意味を、逆に、遠ざける作業だからだ。何かを伝えるための工夫のはずなのに、どうしてかその逆のことをやっている。加えて、どのように比喩をするかというのは、その人の感覚や、センスに基づいている……これらのことは、いかにも玄人っぽい話だ。感覚的なことだが、だからこそその「なんとなくの感覚」は、比喩に対する世間的な評価を、的確に表現している。
物事の意味を、意味深に表現する方法の中でも、比喩がプロらしいすごい技術だと思われているのは、これらの、比喩がどうやって運用されているかというやり方から来ている。
ここまで考えていくと、比喩は言葉の意味だけでなく、世間的な評価をも遠ざける、非常に意味深な手法だということである。だから、なんとなくの評価で凄いものと思われていつつ、その実、言語的な表現においては慎重な運用をしなければならないものなのである、比喩は、使えば使うほど良いというような、手放しで褒められるようなものではない。
むしろ比喩は使わなければそれに越したことはない。しかし、使わなければ伝えられないことがあるからこそ、比喩は存在するのである。
だからそういったときを慎重に見極めて、比喩は使われるべきだ。
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