ストーリーはとかく「進むだけ」で良い
前に進むことそのものが、ストーリー性があるということだ。前進しなければ、そこにストーリーはなく、未来へ未来へと歩を進めるさまを描くからこそ、それはエンターテインメントなのである。
多くの娯楽の中で小説や漫画や映画など「物語を扱うもの」が特殊なのは、それらが前にさえ進めていれば、その体を成していることにある。とにかく、物事が連続的に、次々に起こり情景が移り変わっていくことこそが要である。他の要素は二の次になる。なにせ、その「前進」すら見いだせないようなストーリーが多々あるのだから。
前に進むだけ素晴らしい。ストーリーとはそういうものである。物語とはそのためにあるのだ。前に進んでいる誰かのことを語る。もちろん紆余曲折も後退もある。でも全体として進んでいるし、その結末もある。だからそれはエンタメになる。その、前に進んでいるということそのものが、観客にとって面白いものだからだ。
「前進」のエンタメ性。それは見逃されがちだ。ストーリーにおける「進む」は過小評価されている。まるでそれができていることが当たり前かのように思われているのは、消費者は、そうである作品にしか、ほとんど触れられないからである。そのような結果しか見たことがないから、それは当たり前になる。
でも、いくらでもある。前進しえなかったストーリーの瓦礫と残骸と死体の山は。その上に、少なくとも前進しきった結末を手に入れたストーリーが立っているのだ。
だからそれは当たり前ではない。ストーリーは前進することに存在意義があり、それだけでいいが、つまるところそれすら叶わなかったストーリー達がいくらでも存在するということである。
ゆえに前進あるのみ。
ストーリーをエンタメとして成立させる必要最小限の要素とは、まさに前進である。前に進むしか道はない。
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