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待てない時代に、エンタメはわかりやすくていいのか?

 今は待てない時代なのでエンターテイメントはわかりにくい方がいい。それは人を夢中にさせるものだけど、夢中になるほど面白く感じられるまで人は待てなくなっている。だからエンタメがわかりにくくあれば、待たざるをえなくなる。そいう理由で、この時代にはわかりにくいエンタメがいいのだ。
 パッと見て理由がはっきりしないとか、考えさせるとか、意味深とか、考察がはかどるとか。

 でも、待てないユーザーに対して企業的な回答はむしろ反対である。待てないのなら、待つまでもなく面白さを出してしまおう、あるいはわかりやすくしてしまおう、はっきりと示してしまおう。そんなふうに。
 でもそれは逆効果である。待てないことに迎合することは、待てないことをいつまでも許すことになる。それは際限がない。甘やかしだ。すると人々は、どんどんと待てなくなっていき、やがて限界が来る。そういうことが目に見える。

 それを理解しているなら、待てないことに迎合はしないはずだ。そうではなく、待てないことに挑戦しなければならない。エンタメとは常に、そういうものだ。それをただの商品として考えてしまうから、簡単で効率の良さそうな方へ考えてしまう。でもそれでは、やがて立ち行かなくなる。

 エンタメは一度でも面白くなくなったら終わりだ。だからそれはいつも挑戦され続ける必要がある。それは待てない時代に、わかりやすさを渡すことではなく、そんな即物的な面白さではなく。
 待てないのなら待つことを面白いと思えるような、そんなエンタメが、きっと良い。良いはずだ。良いと信じている。

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