導入は、アトラクションでワクワクで
物事の導入とは「アトラクション」に尽きる。
それはめくるめく何か、冒険、広がる世界、景色を想像させる最初の部分である。あらゆる物事において、導入とは何も知らない誰かに、ワクワクを想像させなければならない。何においても、導入は大切だ。何においても、まずはそれがきちんと機能していなければならない。
なぜならば、導入は必ず目に触れる部分だから。最初のシーン、最初の一声、最初の一文字、最初の雰囲気。「最初」。これに触れないことはない。絶対にない。「最後」まではいかなくとも、それどころか「中盤」にすらたどり着かないことがあるけれど、「最初」は、それだけは絶対に、誰もが目にする部分である。
つまり、物事の最初とはいかに重要か、確かに誰しもが口をそろえて言うということだ。現代は情報だらけ、流行り廃りも波も激しい。そんな目移りの時代にあってもなお、「最初」。これだけは目にせざるをえない。
目移りの時代だからこそ、最初の意味は重くなっている。もう私達は、最初しか見ていないかもしれない。物事の、自分以外の何かに対して、はたしてその最後まで見届けるということが、全てを知るなんていうことがどれほどあるだろうか。
それよりも、「最初」のつまみぐいである。それがこの時代の情報処理のスタンダードだ。だから私達は、あらゆるものの「最初」を知る。知って、比較する。優劣は、そこにしか存在しない。ならばその「最初」は、絶対的に「アトラクション」であるべきだ。
ワクワクを想像させる。それに長く触れていたいと思わせる。最初以外も見てみようと期待させる。アトラクションには、そういう効果がある。ファンタジーでも、アドベンチャーでもない。常に、アトラクションだ。なぜならアトラクションは、唯一、動きを伴うからである。単なる情報を見せることではない。それは動的で、変化があり、広がっていき、見るものを誘う。ひと目見て、「どうなるんだろう」「あれにはどういう意味があるんだろう」「なぜこうなっているんだろう」と思わせるには、変化が不可欠だ。
単なる事実や情報の提示ではない。それが、過去にどうだったか、現在はどうであり、未来にどうなるのか。そういうものを含むのが、アトラクションである。
アトラクションは、刻々と変化する状態である。その流れを見せることが、物事の「最初」において大事なのだ。導入はアトラクションでなければならない。その変化によって、私達は忘れられないワクワクを手に入れる。
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