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良いストーリーは「流れ」から

 流れを描けなければそこにストーリーは存在しない。シーンの移り変わりが滑らかでなければ物語は上手くいかない。ストーリーテラーの腕が試されるのは、ゼロから面白いアイデアを具現化することよりも、具現化されたアイデアを淀みなく流すことである。
 物語の天才とはそれを言う。どれだけ突飛なアイデアでも、企画でも、設定でも、その流れが滞ってしまえば意味がない。むしろどれだけ凡庸なアイデアでも、使い古されていても、陳腐でも、滑らかにスルスルと流されれば面白い。
 つまり物語の本質はそこにある。流れ。滑らかさ。視聴者に分け隔てなく入ってくる情報の解像度、印象深さ、そして納得感。

 流れないストーリーは無いのと同じだ。流れが悪いストーリーもまた、語られる価値はない。そこに納得も、得心も、楽しさも、熱狂も、好きもない。無味乾燥なストーリーとは流れが干上がり、カラカラになった水底を眺めるようなものである。あまりにも不毛だ。あり得ない。
 しかし、それは珍しいものではない。
 流れの淀んだストーリーなどザラにある。それはストーリーが原初のアイデアこそ大事だと考えることで引き起こされる。あるいは流れを作ることは簡単だとか、直ぐにできるとか、軽視する意識によって引き起こされる。
 そういう考えは当たり前にあって、意識すらされないこともある。

 だから、流れるに流れるべき流れを描けなければ、ストーリーは止まる。存在の価値がない。だから流れをこそ重視すべきだ。しないのなら、恐らくストーリーは淀む。淀んで、確実に面白くなくなる。
 無味乾燥な、魅力のないストーリーに。

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