キャラクターとは、まず「無」であるのに
愛されなければならないキャラクターという存在にとって、「無」は致命的だ。およそキャラクターとは、語源からもわかるように「特徴」的なものである。特徴だらけと言ってもいい。そしてそのために、キャラクターというものは極端な性格や性質を持ったなんらかの存在、状態を指す。
つまりキャラクターにとって特徴とは存在理由にして定義である。ならば、あらゆる特徴はキャラクターそのものと言えるほど、欠かせない要素である。もし、キャラクターに魅力がない場合はその特徴達が良くないのだと判断される。あってもなくても同じような平凡なもの、意味不明なもの、重要なのに設定されていないものなど。
しかし、魅力あるキャラクターのために、その特徴(特徴的な特徴)ばかりに目を向けるのは、実は逆効果である。キャラクターとは確かに特徴的な存在のことだが、とはいえ、それのみで構成されているのではない。
そして重要なこととして、キャラクターにあるのはあくまでも特徴である。つまり、それは「ある目立つ要素」「特別な部分」「特筆すべきところ」などと表現される要素のことだ。即ち相対評価である。
特徴とはけして絶対的なものではない。何かと比べて、それが顕著である時にそう言われる。なので特徴が存在するためには、特徴的でないものの存在・要素が不可欠なのである。
キャラクターとしてのアイデンティティである特徴は、そうでないものがあるおかげで成り立っている。いわばベースライン、原点、スタンダード、一般的な部分……そういったものがなければならないということだ。
それは即ち、ゼロ地点である。無だ。無こそ、なのである。まったく、なんの特徴もないモノクロでフラットでモブ的な基準点。そういったものが設定されたキャラクターが、実は、一般的に言われているキャラクター達の出発点にして母なのである。
これを「無」のキャラクターと言う。それにはなんの特徴もない。「特徴がない」ということが特徴であるかのように。だが勘違いしてはいけないのは、無のキャラクターには、突出したものが何もないだけなのだということである。即ち、それは空白の設定項目は持っているのだ。
例えば、名前:「 」、年齢:「 」、特技:「 」、生い立ち:「 」……というように。
設定項目はすべて決まっている。しかしその中身がない。それが無のキャラクターだ。いわば金型のように、このキャラクターは「定義」を司り、そこから様々なキャラクターが生まれる種子の役割を果たす。
だから、魅力的なキャラクターのためには、無のキャラクターが必要なのだ。そればかりか、あらゆるキャラクターには、それが存在する世界に応じた設定を持つ、無のキャラクターがいる。
キャラクターの存在はそこからなのである。けして、特徴的な部分が本体なのではない。いくら存在理由がそうだからといって、それは根本でではない。一般的なキャラクターが生まれる前には、真っ白でフラットで、定義をされた「無」がなくてはならない。
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