AそしてBがキャラクターの魅力である理由
基本的に、「キャラクター」というものの魅力と言えば、ギャップである。それは、「AだがB」のことだ。つまり、何か良い面があるのだけれど、悪い面もあるということになる。あるいは、可愛かったり美しかったり綺麗だったりするのだけれど、醜かったりあくどかったり近寄りがたかったりといった部分も備えている、ということだ。
こうしたキャラクターというものの基本的な「逆接」の魅力の要素は、多くの場合に崩されることはない。この世に存在する「キャラクター」と呼ばれるもののほとんどは、ギャップがあるものだし、裏表がある。
なぜならばそれは、現実の人間にも同じことが言えるからだ。キャラクターとは、人間を誇張して表現されるものなので、そのような極端なギャップや裏表を備えることになる。
しかし、もちろん、キャラクターが備えるのは、こうした「逆接」=ギャップばかりではない。もっとシンプルに、素直に、キャラクターというものは「AそしてB」という「順接」の魅力がある。
というよりも、キャラクターに逆接しか魅力のための要素がない時、そのキャラクターは怖くなる。「なんでこんな状況で喜んでいるんだ?」「なんでこんなことするんだ?「どうして今、流れに逆らうんだ?」というような、イライラを含めて、そのキャラクターを素直に可愛がることができなくなってしまう。
なぜなら、キャラクターというのは、人間を模してはいても、人間ではないからだ。私達はキャラクターを愛でたいのである。それはギャップがあっても、裏の顔があっても、可愛いものでなければならないということだ。
その根本が満たされていないキャラクターには、結局のところ魅力がない。ということは、それが存在する理由がないということである。なので、キャラクターには全て、逆接の魅力ばかりでなく順接の魅力が必要なのだ。
順接の魅力とは、即ち、前述したような「素直さ」「ひっかかりのなさ」である。
たとえば、お腹がペコペコの時に目の前のご飯を取り上げられたら、怒るか悲しむかするだろう。
もしくは、自分が一番やりたいことを邪魔されたら、その原因を障害と認識して対処しようとするだろう。
そういった、いわば「人格を持つ存在として当然の感情や論理的思考」を、1つの順接的魅力と言う。これがなければ、そのキャラクターの言動が意味不明になる。おおよそ、一般的な人間である私達にとって、理解不明なものは不快だ。だから少なくともキャラクターは、そうした「キャラクターを見ている人々のために」、順接の魅力を持っていなければならない。そして、それを言動で示さねばならない。
もちろん、それだけではなんの特徴もない存在である。順接を持ちながらも、もっと個別的な、特殊な魅力ある存在になるために、キャラクターには逆接の要素も必要である。
しかし、そのギャップや裏表は、「普通」をかき消し過ぎてはいけない。順接がなければ、理解されにくいからだ。その適切な境界線を見極められたキャラクターは、どちらに転んでも魅力のある、私達の愛すべき存在になれるだろう。
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