可愛いさ発掘の戦乱時代
美しさや綺麗さではなく、現代は可愛さの時代なので、可愛いものが人々の人気を制すことになる。背景としては、何が可愛いかは集団ではなく個人が決めるのが当然とされたことにより、この世にあるあらゆる可愛さが発掘されたことにある。
即ち人は自らの考える「可愛いもの」を遠慮なくそう言い、表明し、協力し、精力的にその応援をすることが、1つのライフスタイルとして受け入れられている。
美しさや綺麗さに対しては、それは難しい。なぜならそれらはもはや伝統的な公式としての「正解」が定義されているからだ。何が美しいのか、綺麗なのか、優れているのか……そういった、どこか一歩引いて考えなければならない格式高さとその印象が、「美しい」や「綺麗」にはある。
だからある種の代わりとして、人は可愛さを愛でることにした。
遠慮はいらない。
肩肘張らなくても良い。
可愛さとはある種の弱さであり、自分が隣にいなければならないと思わせるような可憐さだ。
人はそれを、自らの尺度で発見し、好きであろうとする。それを趣味として生活する。そんな現代の当然を誰もが持っていることで、可愛さは、あらゆる可愛さは、今もそこかしこで愛でられている。
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