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プロットは設計図ではなく、旗であり石碑だ
「プロット」というものを説明する時、それは物語を作るための設計図だというものがある。だが、プロットは設計図ではなく旗である。つまりそれは描くものではない。立てるものだ。世には数多くの「プロット術」があり千差万別だが、その本当の姿を捉え切れておるものだけが、プロットというものを正しくイメージさせられる。
重ねて言うが、プロットとは設計図ではなく、旗である。何かストーリーを私達が企てる際に、いきなりそれそのものを構築するのは難しい。だからまず、そのストーリーの流れを大まかにでもはっきりさせようとして、普通はプロットを立てるのだ。そうすると確かにそれは、設計図のように思える。「こうしたい」という像があり、そのための準備をしていると感じるからだ。
だが、そうではない。プロットが、物語の前に作られるからと言って、それが物語のための準備や前段階の工程だというのは誤りである。
なぜなら、私達が物語そしてストーリーというものを構想する時、往々にしてそこには像など思い浮かんではいないからだ。つまりそれは家ではない。工作物ではない。物語とは、現実にあって触れるものではなく、頭の中にある空想上のものだ。だからその設計図を描くことなどできない。
すると、プロットとは一体なんなのか。それは物語、そしてストーリーをより思い描きやすくするための刺激物、自らのイメージを際立たせるもの、象徴などと言えるものだ。つまり私達は、プロットを立てながら、まだ何も決まっていない物語についてどんどんと思いついていく。それで良いのかどうか、納得ができるのかどうかなどを吟味しながら、まさにその瞬間に物語を創造していくのである。
その証拠や備忘録として残すのがプロットだ。そういう意味で、それは物語のための準備……設計図などではなく、まさに物語そのもの、その作る過程そのものだと言える。
もし、プロットを設計図だとは言わないまでも、それに近しい表現をするなら、説明書だろう。ただ、それは物語という長い道のりの途中途中にある「石碑」で、作者の備忘録が刻まれている、というイメージだ。
プロットを立てる時は、その記述に注意したい。それはなんでも書いて良いものではなく、石碑として残すに足る物語の内容を記すものだ。それが連なることで、物語の全体像を把握しやすい良いプロットになる。少なくともそういう意識でもって立てられたプロットは、良いストーリーを生み出す大いなる助けとなる。
プロットは難しい。それはどうやって書いたらいいか分からないものだ。だが、
・おおよそそれは設計図ではないこと
・言うなれば物語の道筋に立てられている石碑
・目立つ出来事が点々と綴られている説明書
といったイメージをもっておけば、きっとそれを立てるのに苦労はないはずである。
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