ストーリーで“意味深”をうかつに使うと :その2、指示語編
指示語は言葉の意味を遠ざける。
「あれそれこれ」はもちろんのこと、「あなた」「彼」「どなた」などの、代名詞や、疑問詞であっても、そのものずばりを言い表さないものは、全てそうだ。あえてこれらを「指示語」というくくりにまとめてしまえば、どれも、指し示すものを遠回りで表現し、直接表現しない迂遠なやり方と言うことができる。
指示語の良い点は、何度も同じことを言わず、しつこく感じられないことと、指し示したい具体的な文言の印象を、強くしないこと、それから表現を重たくしないことといった、とにかく「言いたいことを軽くする」ところだ。
そのため、大抵の文章作成術や、話術などにおいては、指示語を用いるための指南がある。これは、物事を「伝わるため」には大抵役立つものであり、だからこそ人間は指示語を生み出したのだとも言える。言葉がしつこくなく、重たくもなく、あっさりとしていれば、他人はそれを聞き取りやすい。聞き取りやすいということは、耳を傾けてくれやすいということだ。だからこのような、指示語がある。
だが、あくまでも指示語は「伝わるため」に役立つというだけであり、それは「伝えるため」ではないことに注意が必要だ。
特にストーリーなどの、必ずしも耳通りの良さや、伝わりやすさ、言葉の通りやすさが重要でない表現の場合、かえって、この指示語は、そのストーリーの印象を軽くするだけして、良い方向に導かないことがある。指示語の多いストーリーは、下手をすると、単なる「ふーん」で終わってしまう。それは読み手の注意を引かないということに他ならない。
ストーリーはただでさえ、余韻やテーマ性、登場人物の想いなどの、全体を通して存在する、空気感のようなもので構成されている。その上で更に、指示語のようなそのものを表さない手法を用いてしまうと、結局のとこ何が言いたいのかわからなくなり、失敗することが多い。
加えて、指示語が「伝わること」にのみ役立つということから、その「何を伝えようとしているか」自体は、読み手に伝わってしまう。すると、そのストーリーは、「訳が分からないものを、ただ必死に伝えようとしている」ことが露骨に現れてしまう。
そんな状態で、ストーリーの中身に入り込める読み手など、そういはしない。
重要なのは、特にストーリー性のある表現について、その全てが「伝わる必要がない」ことをきちんと認識すべき、ということである。
伝わることは、そこまで崇高なことでも、目指すべきことでもない。むしろ、誰かの伝えたいことが100%過不足なく伝わることなどないし、伝えても、その解釈次第ではいかようにでも受け止められてしまうのだ、ということをこそ自覚すべきである。
そのための1つの考え方として、「指示語は言葉の意味を遠ざける」ということ。この「意味」とは、あなたが表現しようとした、その動機や根拠、きっかけと密接にかかわる「想い」と結びついたものである。
人間の紡ぐストーリーとは、この想いなしでは語ることができないから、指示語は、それを遠ざけてしまうという点で、ストーリーにおいては慎重に使用すべき言葉の種類である。
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