普通じゃないことは、「普通」じゃないから面白い
イレギュラーこそ面白いので、人はイレギュラーだけが面白さに必要なものなのだと勘違いする。本当はイレギュラーはレギュラーなことがなければ発生しないのに、まるでイレギュラーが独立して、あるいは何もないところから生み出されて、面白さをくれるのだと思ってしまう。
ついうっかりても。
しかしそれは、「普通」あってこそなのだ。「常識」がしっかりしていてこそなのだ。たとえば、なんでもありの終末世界で非日常に憧れる人などいないように、私たちが必死で守っている「当たり前」や「ルール」、「当然のこと」があるからこそ、イレギュラーはエンターテインメントとして成り立つ。
だから、イレギュラーに惹かれる自らの心には、それを支える自らの正常があることを知るべきだ。イレギュラーの味をかみしめられるのは、そうではないことを十分に知っているからで、それそのものではなく私たちは「ギャップ」に喜んでいるのだと。
私たちは普通の人間で、一般的に常識的な日常を過ごしているだけである。しかしそれがゆえにイレギュラーへのアンテナは敏感で、その味わいを得たくて得たくてたまらない。それでこそ、イレギュラーは面白く魅力的なのだ。
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