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成長よりも悪意が勝る人の世に

 もはや人に成長の暇はなく、それは簡単に這い寄る悪意によって当たり前のように阻まれる。もはやそこに平和はなく、ただ己が「今」を最大化せんとする思想によって、世界は食い荒らされるだけである。そうしてこの世の「利」は減り続け、実りはなく、なおそれを奪い合う地獄と化す。
 牧歌的な成長の時間などとうに消え去り、だからこそ、ここぞとばかりに悪意はその「未熟」を果実としか考えない。彼らにとってそれは好機であり、なんのリスクもない幸運だ。まるで見つけた自らがもぎ取るのが当然とばかりに、成長を与えられぬ人々が大量に消費されていく。
 せめてそれを見て、私たちは成長せねばならない。食い物にされた「弱者」を反面教師にせねばならない。だがもちろんそれも、結局は同じことなのである。誰かが理不尽に傷つかなければ、私たちは学ぼうと思えない。私たちが学ぶのは、その「失敗」という果実をもぎ取っていることに等しい。
 未熟をもぎ取るのか、もぎ取られた未熟を生贄とするのか。同じである。この世に等しい成長の機会も、優しさも、それを用意しなければという未来志向もない。
 ただひたすらに悪意が成長を奪い続ける様を、仕方がないと言いながら眺め、どうにもできず、やがて自らもそうなった時に、食い荒らすだけだったこの世を恨む。
 皆が等しく幸せになれるのが成長の謳い文句である。
 それを信じられないのか、実感できないのか、ありもしないと決めてかかっているのか分からないが、しかし私たちはともかく、成長の暇がないままさらされ続けている。
 悪意に。

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