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キャラクターの ”完成度”:(100歳)⇔(40歳)⇔(15歳)⇔(3歳)

 この世に溢れかえる「キャラクター」というもの(創作上のもの。現実で誰かに対して言われる形容的な表現はとりあえず抜きにして)は、多分、ほとんどの場合に完成されていない
 この「完成」とは完璧とか不変とか、お決まりとか最適とか、そういった意味である。つまり仮に、完成しているキャラクターなどというものがいるのなら、それにはもう揺らぎがなくて、なんの意外性もなくて、その代わりに安定感と間違いのなさからくる無敵感が漂っているはずだ。

 しかしそれはあり得ない。なぜならキャラクターは完成しないものだからだ。

 とはいえこの事実は、こんなふうに殊更言い表す必要のないほど当たり前のことかもしれない。なぜなら1度でも「キャラクター」というものを構築したことのある人――キャラクター造形の経験者――からすれば、キャラクターなどそう簡単に完成するものではないし、うっかりすると創作者自身でもそれがどんなキャラだったか忘れるし、何より「キャラブレ」なんて言葉もあって、安定するはずなどないものであるからだ。
 だからキャラクターは完成しないというのは今更であり、そんなもの考えるまでもないこと……ではない。この場合の「完成」とは、そのような創作者の都合の話でもレベルでもない。それはキャラクターそのものに関する「完成度」の話だ。

 そもそも「キャラクター」とは、それがどのように緻密に作られたものであろうとも、どうあれ「変わりゆくもの」である。これは大いなる前提条件であり、そうでないキャラクターは存在しない。
 即ち、キャラクターと言う時にそれがその登場人物のことをざっくりと表すのではなく、性格や嗜好や設定や……そういったものを含むのなら、それは途端に様々な要因(時系列、状況、関係者など)の影響を受け、変化するものとなる。

 その変化の条件としてもっとも大きいものが、「そのキャラクターの年齢」だ。それは基本的に若ければ若いほど、周りの影響を受けるし、心理的・身体的に変わっていく。
 現実の人間を見れば、それは当然の話である。誰だって子供の頃からずっと何も、変わらない人などいない。それどころか私達は今だって常に変わり続けている

 ならばキャラクターだってそうであるに決まっているのだ。3歳のキャラと100歳のキャラでは、変化の度合いも感じ方も頻度も雰囲気も何もかも異なる。それは「変化」が変化していると言っても良い。年齢を重ねれば固着化するものもあるだろうし、だからこそ変わらねばならないことの重みも違う。若ければ変化には柔軟だが、それはすぐに信念を変えてしまう危うさも持つ。
 多くのキャラクターは年齢的に若く描かれ、成長段階にある。だからそれらは完成されてない。されていてはいけない。そういう意味で、この世のほとんどのキャラクターは未完成である。創作者の意識とは全く関係なく、それらは年齢的にどうしたって完成できないのだ。
 そんな存在が様々に変化していくこと。そういうのが、キャラクターの魅力の1つとしてある。だからこの未完成は、まったく悪くない。むしろ良い「完成度」なのだ。

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