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わけて組み直すことをクリエイティブと言わないのなら――

 新しいクリエイティブとは、既にあるものを分解して再構築する行為である。そしてこれは常にそうであり、絶対そうであり、例外はないものと考えて良い。なぜなら、人間の創造性とは、その手に入れた情報しか材料がないからだ。そしてその情報とは、人間が生きている間に見聞き、咀嚼、分解、吸収される。
 その吸収されたものをまた再構築することが、クリエイティブという行為である。それ以外のやり方を人間は知らない。もし、そうではないと考える人がいるのなら、それは自らのクリエイティブを無意識にやっているだけである。

 ただ、もちろん、いつでも分解や再構築を意識的にできるかと言われれば、そうではない。時としてはそれは、本人が気づかないまま行われ、たとえば「天啓」、「思いつき」、「才能」などと言われるようなものだ。
 これらは何もないところからクリエイティブが出てくることを示すこともある。けれど事実はそうではない。意識しているかしていないか。その違いによって、突然に創造性が発揮された、と思えてしまうことに尽きる。

 常に、人は分解されたものを再構築してクリエイティブを発揮している。むしろそうでないのなら、そのクリエイティブは人間の範疇を超えている。これまでの人の歩みや常識をまったく外に置いて、本当に新しいものを創れるというのなら、人間という限界ある存在の為せる技ではない。
 即ち、クリエイティブとは既にあるものをバラバラにして、別の形に組み直すことを「新しいもの」と認識する行為である。

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