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ビデオカメラで録画する息子達。1人で家庭を全て背負う息子の影に高齢者の発達障がいと引きこもる子どもと。

私が今まで担当してきた中で、カメラを設置している介護者に出会った事が2回ある。
そのどちらも息子さんだった。
今でこそ、虐待防止や急変の早期対応だとかで、ビデオカメラを部屋に設置することも珍しい事では無くなったが、この息子さん達の場合はちょっと違っていた。

そのご家庭に初めてお伺いしたのは、退院時だった。
おじいさんは、寝たきりで下肢の拘縮も進んでいた。
介護も沢山必要で、訪問診療、訪問入浴、訪問看護、福祉用具、とにかく沢山のサービスが入った。
家族構成は、介護を受けるおじいさん。そして、妻、長男、長女、の4人家族。
表に出てくるのは長男のみ。妻、長女にはお会いできなかった。

息子さんは、日雇いのお仕事をしているらしく、とにかく1人で働いて1人で介護をしていた。
私の中で、姿を現さない妻や長女は介護に携わらないのか聞いてみたが、この先も長男が介護を1人でするつもりだと言う。妻や長女の事は触れてほしくない、と言われた。

おじいさんは、身体能力的にも全介助を要したし、認知症も進行していて意思疎通は難しい。

家はトタンでできた様な家であちらこちら錆びていた。少しずつ壊れた場所は、長男の手作りと思われるもので施されていた。場所は山のふもとの奥まった場所にあった。この地域は、地元でもあまり人の通らない場所。小さな集合体の様な感じで、以前この地域を担当した人も、独特な地域と言っていた。

月日が経つごとに、このお宅に伺う事が正直言うと少しずつ憂鬱になっていった。
その理由の一つがカメラだった。

長男である息子はカメラでおじいさんを24時間撮っていた。
同居しているので、何を目的に、というのがよく理解出来なかった。
おじいさんは寝たきりで、ベットから落ちる心配もない。
録画したビデオを一度パソコンに再生して見せてもらうが、ただそこにはベットに横たわるおじいさんがいるだけだ。

他のサービス事業所の方も息子に聞いてみたが、介護の記録をつけるため、という事らしかった。サービスが適正に行われているのかを監視しているのだろうかとも思ったが、息子がチェックしているのは夜間帯のようだった。なんだか、気持ちが悪いなと、思ってはいけないが思ってしまう私がいた。

息子さんは、私と歳の頃も同じ。
自分と同じくらいの人が、仕事に明け暮れながら、介護もしている。
訪問の後は、なんだか、自分がとても甘く恵まれている気がして気落ちしてしまう。

息子さんは、慣れてくると、父親の悪口や恨みつらみ、早く逝けばいいのに等を頻繁に口にするようになっていた。
この愚痴を毎回聞かされるのが、憂鬱になった2つめの理由だ。
しかし、言葉とは裏腹に、仕事の様に完璧に介護をこなし、一生懸命介護をしていた。
ばったり、庭で妻らしき人と会った事があるが、小柄でニコニコとしており、なぜ息子は母親を隠そうとするのか、理解出来なかった。
そして、家にいるばずの長女には一向に会うことができなかった。

一年も経つころ、息子は、私に心を開いて少しずつ色々な事を話してくれる様になった。
おじいさんは、息子が物心ついた時から、おかしかったんだ。という。
例えば、リモコンの使い方がわからない、洗濯機の使い方がわからない。生活全てにおいて母親(妻)の手助けを受けていたという。認知症ではなく、もともと何かの障がいがあったのかもしれない。

父親らしいことをしてもらった事はない。

憎んでいる。

とも言った。
唯一の救いは母で、穏やかで優しい母は、アテにならない父親のために、女で一つで朝から晩まで働きづくめだった。そんな姿を見て育った息子さんは、早く母を助けてあげたいと思う一心で生きてきた。
姉(長女)は、社会に出てから人間関係が上手くいかなくなり自室に引きこもり、この生活がもう20年近く続いているという。部屋の前に母がご飯を置いておくとそれが無くなっているという事実だけで長女の生存を確認しており姿すら見ていない。
偉くて傲慢な姉。
息子はそう言っていた。

愕然と聞いている私を他所に、息子は話続ける。
母は、好きで結婚したんじゃなくて、無理矢理決められて結婚したらしい。
だから、自分は望まれてきたんじゃないから。普通の家庭に生まれてきたら、こんな人生じゃなかったと思う時がある。
どうして自分だけって思う。でも、母がいるから、母のためだけに生きている。
という。なんて事だろう。

その日は、一日中、頭の中が深い海の底に沈んだ様になった。
私がこうして夫や家族と美味しい夕食を食べている間も、あの息子は、あの家で、母のためだけに、憎んでいる父親の介護をし、夜になればバイクにのり日雇いの仕事に出かけているのか。
傍らで、姿の見えない娘のご飯を作り続け、部屋の前に置く母の姿を思うと、胸が苦しむばかりだった。
今さら、どうにもならない過去のこと。
今から何ができるだろう。
この家族には何の支援ができるのか。

区役所の窓口に行き、相談を試みた。
生活保護や高齢者支援、障害支援と色々なアドバイスをもらえる事ができた。
引きこもりの姉に関しては健康被害が心配されたが、彼女に問題がない以上は、彼女に関われる位置の人は制度上いない。
この頃、地域の支援という事で、包括の職員が母親の元を訪れるも、健康なため、繋がらなかった。
貧困も続いていたので、保護の申請もしたかったが、息子は拒否し続けていた。
恐らく日雇いなどの仕事の関係なのか、経済状況を調べられる事を極端に恐れていた。日雇いで稼いだお金は、介護費に消えていく。

何もできないまま、冬を迎えた。
恐れていた事に。
インフルエンザに息子がかかり、妻、おじいさんと皆んながかかってしまう。
おじいさんと妻は、治療にかかる事はできたため、回復も早かったが、健康保険に加入していない息子は病院にかかることが出来なかった。
かなり長い期間。インフルエンザに苦しめられる事になった。

春先になると、こんな出来事があった。
ある日訪問すると、庭に小型のショベルカーがいた。
来る日も来る日も息子は仕事にも行かず、庭に穴を掘り続ける。
穴は相当深く、何を埋めるつもりなのか。
私の頭と、他の事業所さんの頭には嫌な想像をしてしまう。
もしかしたら、長女に何かあったのでは。
その頃は、そんな心配をしていた。
なんせ、息子は、
埋める必要があるものがあって。。
としか言わない。

おじいさんはそんな周りの気も知らず、寝たきりではあるが、安定した介護を受けていた。

その頃は、おじいさんをみながらも、ご家庭全体の事を気にしていた。
何か力になったり、繋いだりしたかったが、そういう場所もなく、地域の関係者でそっと見守るしかなかった。

そんな事が何年が続き、おじいさんはお亡くなりになった。


小さな箪笥の上におじいさんの遺影を見ながら、お焼香をあげて、息子さんと最後に話をした。

どんな父親でも、父親なんですよね。
居なくなったら、淋しいもんですね。
でも、今でも父親の事はすきではありません。
先生の言っていたように、僕の父親は、発達障害だったのかもしれない。
そう思うと、父親もきっと苦しかったのかもしれない。でも、
でも、それでも、その父親の訳のわからない癇癪や暴力で、家庭はめちゃくちゃだった。そのめちゃくちゃの中でも、母の針に糸を通すような小さな光だけを頼りに生きてきた。姉は父親にそっくりな傲慢でわがままで、、、この環境から逃げた。
全部押しつけて。
泣きながら、うつむきながら、吐き出していった。

高校にも行きたかった。
でも、行けるお金がなかった。
先生は親に何か言ったのかもしれない。行ける方法を。でも、うちの父親は、話し合いにもならないし、母も世間のことはわからない。
だから、僕は、皆んなが当たり前に行く高校に行く事はなかった。
働くしかなかった。
みんなが、制服に身を包んで、電車を待っている。そこに自分は居なかったんです。
貴方みたいに、ちゃんとした仕事をしているのが羨ましい。
でも、もう誰も恨んだりしてません。
父親がいなくなったので、これから少しずつ動いて母にもっと楽させたいので。。

息子さんは最後に言った。
母が困った時にはまた担当してください。

未だに、息子さんから連絡が入る事はない。
今でも喧騒の中に囲まれていると、息子さんの事を思い出す事がある。
この多くの人の中に同じ様に苦しんでいる人がいるのだろうか。

余談になるが、カメラをつけていた本当の理由は、引きこもっている長女が父親を恨み危害を加えるのではないかという警戒からだったそうだ。幸いというべきか、長女がビデオに映り込む事は一度も無かった。

また、庭に穴を掘っていたのは、隣との境界線を隣の人に文句をつけられたので、工事の為にやっていたらしい。
春には綺麗なお手製の境界線が出来上がっていた。

反省すべきことはたくさんある。
私は、どこか息子さんを恐れて正面から向き合うのが遅すぎた。
おじいさんには大きなトラブルもなく安定した介護が提供できた。
周りに振り回されてしまったな。
まだ私も若かったからな。。
今ならもう少しいい支援ができたかもしれない。

あのお宅は、地元の人しか通らない場所にある。
だから、いつも遠くから眺めているだけだ。
どうしてるだろう。
妻は元気だろうか。姉は健康だろうか。息子さんは、自分の人生を生きれているだろうか。

今の時代でいえば、彼はヤングケアラーだったのだろう。
おじいさんだって、もっと昔に支援を受けれていたらと思う。しかし、昔はまだ診断や支援も無い時代だった。

同じ思いをする人がいなくなるように。
助けを求めることができる世の中になりますように。
できることは何だろう。
それをできる立場にいるのだ。
私達は。

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