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読書会 室生犀星『蜜のあわれ』レポート
半実録Bゼミ読書会
リポート:栗原良子
Bゼミは、詩人作家正津勉主宰で、およそ30年間、月一度継続している自由参加の読書会です
当初は高田馬場界隈で会場を借りて実施されていましたが、2020年のコロナ期より、毎月最終金曜日の夜に、リモートで実施。様々な文学作品から、時代や民俗の読解、率直な感想が聴ける貴重な機会になっています
半実録第9回
課題 室生犀星『蜜のあわれ』
2024年12月20日(金)6:30~8:30
作者概説
室生犀星1889年(明治22)~1962年7(昭和37)/73才
詩人・小説家
明治22年 金沢市裏千人町に生まれる
父は64才の道場主、母は女中はる34才
生後1週間で住職室生真乗の内妻ハツの私生児として育てられ暴力を受ける子供時代であった
明治35年 13才、高等小学校を中退し給仕として働く
明治39年 俳句が新聞に掲載される
明治43年 21才、上京し、点々とする。放浪や金沢との往復
大正2年 24才、詩を発表。萩原朔太郎より手紙、以後交友がつづく
大正7年 29才『愛の詩集』自費出
30才小説『幼年時代』~小説家として評価されるようになる
昭和6年 42才軽井沢に別荘
昭和24年 60才軽井沢疎開を切りあげ、大森馬込に帰京~活発な執筆活動
昭和36年 72才虎ノ門病院に入院
73才3月再入院し26日肺癌のため永眠
詩「老いたるえびのうた」が絶筆
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2024年12月20日(金)
参加者13名
※源氏名・性別・年齢は、筆者判断による適当表示、発言はメモから起こした概要であることをご了承ください
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正津勉 今日は前回の『田端文士村』の中で、近藤富枝さんが最高の作品だと評した、犀星の『蜜のあわれ』です。理解できないというメールも届きましたが、ハラヒロさん、どうでしたか。
ハラヒロ♂(73)老人の色ぼけの話かと思ったが、読み進めるうちにだんだんと、人間性が出ていることがわかりました。タイトルが不思議でしたが、何度か読み返して、金魚の皮膚の蜜もあるだろうが、セリフで「おじさまをとろとろにしているの」―これが蜜かもしれない。
「あわれ」は年を取ってから「あたい」を口説いている男性の吐露が哀れなのでは?「後記」では、死にゆく者のあわれについても書いていました。
正津勉 これは犀星が70のときの作品で、現代の80~90才の感じだろう。詩で創作を始めた人だが、死ぬ10年ほど前から、多作になったのです。
金魚をなぜ恋人にするのか、びっくりしました。シュールレアリズム作品ですね。
コマチ♂(69)僕はぜんぜんダメでした。どうしてこんなものを書くんだろう。幻想小説だけど、読んでてばかばかしい感じがしてそのまま終わってしまった。「蜜」は若い女に誘われる気持ち、老境が「あわれ」なんだろう。
このしゃべり方は今の女性とはちがう、わずらわしいような話し方。男性目線で作られすぎている。
正津勉 『われはうたえどやぶれかぶれ』を読んでみてください。死んでゆく自身の気持ちが書かれていてこの『蜜のあわれ』と表裏になっている作品なので理解が深まると思います。
ドラミ♀(69)私はリアリストなので、『蜜のあわれ』は心底から楽しむことはできませんでした。同じ文庫本には犀星の最期の作品が載っていて、『陶古の女人』の骨董趣味と誠実さには感動したし、先生がおっしゃる通り、『われはうたえどもやぶれかぶれ』は入院中の様子をリアルに描き切っていてどこまでも書き続ける作家精神に感動を覚えました。絶筆の詩、『老いたるえびのうた』もすばらしく、詩人としての犀星はすごいと改めて知りました。
ジョイ♀(75)私もドラミさんと同じような感想をもちました。陶器趣味はおもしろかったし、『われはうたえども~』の入院状況は、尿の処置など男性の入院生活はきつそうだなあと思いました。『蜜のあわれ』はロリータ的と思いながら読みました。金魚の描写がリアルだった。
インカ♂(73) 私は面白く、一気に読みました。変わった趣向の小説で、驚きました。会話がリアルで、やりとりの言葉使いがおもしろい。
若い女性に翻弄されるのは、ある部分老人の夢なのではないだろうか。逆もあるでしょうが。
正津勉 室生犀星が、現代の年齢では90くらいに該当すると思うと、晩年の時期にこのたわいのないような話を書けたことが、凄いなあと思いましたね。
カイゾク♂(50)『蜜のあわれ』は最近、二階堂ふみ主演で映画になり見ましたが、読んでみると、映像にできない小説だったと気づきました。つなぎ目のない、シームレス会話の小説だが、映画ではどうしても説明的になってしまう。
金魚と若い女性がWイメージになって、今どっちなのか迷いながら読むのが醍醐味。老人はもうろくして、現実と幻想が一緒になっているのかなとも感じた。
正津勉 犀星の役が大杉漣だったよねえ
カイゾク♂(50)みなさんが指摘しているように、今は、ここに書かれているような言葉使いが無くなっている。犀星の作品はもともとアナクロニズムがあり、大和言葉が入っている。<あたい>という自称も、この時代に本当にあったのではなくて、もっと以前の表現かもしれない。
バード♀(55) 犀星のこの小説は、詩とぜんぜんちがうので、私は交互に読んでいたのですが、最後に、『きのういらしってください』という詩を読んで、この作品と統合してきました。
15歳で俳句を始めて、23歳でやめたが、俳句で基礎を学んだという指摘もあります。この作品の金魚は、はすっぱだけども、大胆に描き切っているエネルギーを感じました。
ヨットマン♂(53)初めて読書会に参加します
同じこの本を読んで他の人がどう思うかを聞いてみたかったです
自分はよくわからず、幻想や妄想で書いたのかと思いましたが、セリフだけなので、戯曲がこんな感じだと気づいたら楽になった。
つかこうへいの作品もこんな感じだったな、と。どこに終結していこうとよいのだ、と。映画になったそうですが、芝居にしたら面白いのではないでしょうか。
ミッチー♀(55) いつか読んだ記憶があるのですが・・・今回は読みませんでしたが、犀星は「情」と「色」を書いたのではないでしょうか
セント♀(55)ナナメ読みで前半まで読んだ印象なんですけれど、寿司屋などで、今から店へご出勤の女性とおじさまとの会話、を隣で聞いているみたいでした。
年を取ると、人間以外のものに話しかけるようになりませんか?力がなくなると、金魚に話しかけるようにもなるのでは?
正津勉 そういえば、自分の母親も、庭の金魚に話しかけていたことを、今思い出しました!
シズカ♀(71)読み始めてしばらくすると、どういう小説だったっけ、と思い、また戻って読むような読み方をしてしまいました。
全体が一つのイメージみたいで、焦点がみつけにくい。つかめない。金魚が出てきたことだけは印象に残る。
正津勉 私の友人で、澁澤龍彦のお弟子さんで、耽美派のわたなべいっこう(漢字表記不明)さんは、退廃と贅沢の極みは、金魚を飼うことだと言って、ランチュウを飼っていましたよ。
コマチ♂(69) 犀星には魚に対して偏愛があるようだ。『火の魚』には、死ぬとき、真っ赤になって燃えて海に落ちていくというイメージがある。
ハラヒロ♂(73)物語性、ということがこの作品の場合、違うのでは?
人がなにかやりたいことがあって、それはおおっぴらにはできないことでも、美しいことなのだ、ということ。
作中の老人も、会いたい、という気持ちを実現させないで去っていく、秘めたままいく、それが美しいと、犀星が感じているのではないだろうか。
ドラミ♀(69)そのとらえ方、おもしろいと思います
正津勉 犀星は育ちが複雑で、赤井ハツという大酒のみの女にいじめられて育った。作中には「赤井赤子」が出てくるがそれはこの育ての親の名からとっていると思う。
カイゾク♂(50)夢か白昼夢、幻覚、まぼろしのようなものなのでしょうね。印象が散漫で、つながりもファジー。そのように読めばいいと思った時に、作品が入ってくるのではないでしょうか。
コマチ♂(69)そうですね。自分だって夢の中で動物だったり、人間になったりもする。そのような夢の小説と思えば読める。犀星の、詩はいいですよね。
バード♀(50)犀星の詩、好きです。肖像詩、のようなものをたくさん書いていますが、当時、流行っていたんですか?
正津勉 大正期はいい時代で、池袋モンパルナスにいた小熊秀雄が人物詩をいっぱい書いています。先月やった田端の仲間たちも、芥川も書いている。
アタマ♂(67)自分は金魚を10年間飼っていたことがあって、感情が伝わる感じがありました。餌をやると、嬉しがったり、もっと食べたいという顔をしたりしました。水に不平不満をもって表しますし、世話が大変で、感情的な生き物でしたよ。
ハラヒロ♂(73)犀星は魚が好きですよね。俳号も「魚眠洞」。老いて、死ぬところまで書きたかったのではないでしょうか。達観した表現。美しいものって何か、と思った時に書いた作品。
犀星はずっと、そのときどきにあったことを、描いて行った気がします。
ヨットマン♂(53)子供のような、自由なやりとりの会話です。つかこうへいの芝居のようです。どう取ろうと、読み手に任せる。だから自分も自由に書かせてくれ、という感じがしました。
コマチ♂(69) 犀星が老齢になってこのような作品を書きたくなった、と言いましたが、正津先生は、このように思ったことはありますか。
正津勉 良いことをきいてくれた。そういう意味で気になる作品だった。読んでよかった。自分もやってみたい。
リポーターコメント
『蜜のあわれ』は、詩とも小説とも言えない、特異な作品で、この時代に書き上げた室生犀星の自在感は、これからも評価されるだろう。1959年の作品。
そういえば、2016年に<文芸ファンタジーロマン>と冠して映画化されていたことを、出席者の指摘で思い出した。石井岳龍監督による二階堂ふみ、大杉漣主演―当代の人気俳優陣を登場させた、意欲作品。この原作から映画製作をしたとはなんという冒険であろうか。驚いてしまう。いつかこの映画を観なくてはと思う。
講談社文芸文庫のタイトルは『蜜のあわれ/われはうたえどもやぶれかぶれ』であるが、晩年の室生犀星の渾身の作品の集成で、作家としての覚悟と誠意が伝わってくる。室生犀星を読み直し、見直し、文学の奥行きを感じる、愛好者にはおすすめしたい一冊であった。
次回の読書会は
1月31日(金)18時半より
テキスト 芥川龍之介『河童』
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