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時差進化 - 第8話:ファージの真相

海はまるで巨大な生き物のように脈打っていた。深海調査船「オセアナ」のラボで解析を続けるヘンリエッタ・サントスは、モニターに映る映像を何度も巻き戻して凝視している。
熱水噴出口周辺の右利き生命のコロニーは、まるで呼応するかのように光を重ね合わせ、結晶ファージの“巣”がさらに拡大を続けていた。

「動きが明らかに加速してる……。」
隣でオットーが、先ほどまで取り組んでいたサンプル分析を止めて立ち上がった。「一度拡大ペースが落ち着いたかに見えたのに、また活性化してる。しかも、結晶ファージの柱がどんどん伸びてる感じだ。」

「これじゃ、あの巣がまるで中心核みたいに見えるわね。」ヘンリエッタの声は落ち着いているが、その瞳には危機感の色が滲む。「まさか、ここまで速度が上がるとは……時間がないかもしれない。」

深海からの呼び声

制御室では、リン・マルグリスとウィル・ディアス船長が深海の映像を拡大解析中だった。
「結晶ファージの形状は、もはや無秩序なコロニーとは思えない。“人工物的”に見えたのが、どんどん確信に変わっていく。」リンがデータを重ね合わせながら言う。「六角形構造が多層に組み合わさって、巨大な城みたいになっているわ。」

「ただのバクテリオファージが、自然進化でここまで高度な構造体を形成するとは考えにくい。」ウィルも厳しい表情を浮かべる。「何者かがデザインした。もしくは、極限環境の長大な時間が生んだ奇跡の結晶か。どちらにしても人知を超えてる。」

そこでアナベル・コールマンが登場する。彼女は船内の通信機を握りしめ、焦り混じりの声をあげた。「皆、聞いて。さっき本格的にファージの遺伝子解析を進めた結果、繰り返しの配列パターンがあまりにも完璧に整列している。これは自然界のランダム変異じゃあり得ないレベルよ。」

「やはり何らかの意図で設計されたのか……。」リンは吐息をつく。「もしかすると古代文明? それとも地球外由来? 今は何とも言えないけれど、自然の範疇を超えているのは間違いない。」

ウィルが腕を組んで視線を落とす。「問題は、その“何か”の意図が何なのか、そして私たちがどう立ち向かうかだろう。もう時間はあまり残されていない。」

真相への糸口

その夜、アナベルがラボで再解析を進める横で、オットーは微生物学的手法でファージ粒子をさらに調べ、ヘンリエッタがオートファージ異常の症例を確認していた。乗組員のうち数名は微熱や倦怠感を訴え、血液中から微量のD型分子が再度検出される。
「今のところ大事には至っていないけど、やっぱり怖いわ……。」ヘンリエッタは不安な声音を抑えようとする。「このまま拡大すれば、人間の細胞がどう変化していくか分からない。」

「逆に、その変化がファージの設計意図を示す証拠になり得るんじゃないか?」オットーは半信半疑ながらも興味を隠せない。「もし、ウイルス様粒子が細胞のオートファージ経路に作用し、D型分子を取り込みやすくしているなら……これは明確な目的を持って仕組まれたプログラムだろう。」

アナベルが目を伏せ、厳かな声で続ける。「古代から眠っていたか、あるいは私たちが何らかのトリガーを引いてしまったか……。ともかく、これ以上ファージを放っておけば、右利き生命による鏡像異性体の融合が一気に地球規模で広まるかもしれない。」

「つまり、選択肢は二つしかないのね。」リンがそっと言う。「封じ込めるか、共生を受け入れるか。

深海から見える“設計”

一方、深海カメラは結晶ファージが塔のように伸びていく様子を映し出していた。まるで何らかの命令を受けて増築を進めているかのように、粒子が集合し、幾何学的なパターンで表面を埋め尽くす。
右利き生命の群れがそれを取り囲み、振動する光を繰り返す。左利き生命を巻き込んだハイブリッド生物も姿を見せ、発光パターンは複雑さを増している。

「これはもう、ただの生物コロニーを通り越して、意図的建造物としか思えないわ……。」ヘンリエッタは震える声で画面を指差す。「視覚的な影響だけじゃなく、もしかすると音波や電磁波など、複数のチャンネルで何かを発信してるかも。」

「発信する相手は、いったい誰なのか?」ウィルが苦々しく呟く。「我々人類か、それとも別の存在か……どっちにしても、事態は深刻だ。」

加速する異変

船上では、オートファージ異常を起こすクルーがさらに増えつつあり、医療班は応急的な経過観察に追われていた。いずれも軽度の症状にとどまるが、D型分子の影響を完全には無視できない状態だ。
「もしこのまま右利き生命とファージの活動が加速すれば、船ごと封鎖される危険もある。」アナベルが言い放つ。「私は科学者として、この謎を解明したいけど、国際社会の視点から見れば即時封鎖が妥当かもしれないわ。」

ヘンリエッタはその言葉に反発しようとするが、言葉に詰まる。「でも、何も分からないまま封鎖するのは危険じゃない? 向こうの意図が本当に悪なら封鎖しても他の手段で広がるかも。善なら、私たちは大きなチャンスを失う。」

リンは長いため息をつく。「すべてはファージの“設計者”を突き止め、その目的を推測するところから始めなくちゃ。現段階のデータからは、数億年前から存在した可能性もあるし、誰かが最近仕組んだ可能性もある。」

学者の目が射抜く真実

夜が更けるにつれ、ラボにはただならぬ静寂が満ちていた。アナベルとリン、オットー、そしてヘンリエッタがそれぞれ役割を分担し、結晶ファージのゲノム配列や人工物的痕跡をひたすら解析している。
時折、モニターに表示される配列パターンは、美しくも不気味な規則性を伴い、まるで暗号のようだった。

「これを“自然淘汰の産物”と言い切るには、あまりに洗練されているわ。」アナベルが小さく舌打ちする。「誰がこんなものを……。」

「地球外知的生命か、古代文明か、極限進化の末端か……、どれを取っても非現実的なんだけど、どれかが現実になりつつある。」リンが仮説メモを広げる。「共生のための高度なツールとして設計された、という可能性もあるわ。」

「学者としてはワクワクする話だけど、私たちにはもう時間がない。」ヘンリエッタは画面に映る深海の発光を見つめる。「もしこの“設計”が地上に波及したら、人類はどうなるの……?」

ウィル・ディアスがちょうどラボに入ってきて、皆を見回す。「船外から連絡があった。沿岸でも異常魚が発見され始め、メディアが騒ぎ出してる。政府が迅速な封じ込め策を検討中らしい――つまり、私たちは近く強制的にここを退去させられる可能性もある。」

決断の光と影

この報せに、ラボの空気が凍りつく。もし強制撤退させられれば、右利き生命とファージの真相は藪の中。世界が正しい対処を行う前にパニックが爆発し、事態をこじらせるかもしれない。逆に、ここにとどまってさらなる情報を収集しようとすれば、クルーや周囲へのリスクが増大する。

「まさに学者の警鐘ね。」アナベルが嘆息する。「私たちが真相を追わずに逃げれば、後戻りはできない。だけど、このまま居座れば船ごと封鎖されるかもしれない。」

「どちらにせよ、挑まなければ答えが分からない。」ヘンリエッタは固い決意で言い放つ。「右利き生命とファージが、ただの脅威か、それとも共生の可能性か……いま見極めなければ。」

「ならば私たちは、潜水艇で結晶ファージの中心へ接近するしかない。」リンが断言する。「そこに全ての鍵があるはず。鏡像異性体をなぜこうも自在に操れるのか、何が設計したのか、私たちが確かめましょう。」

ウィルは大きく息をつき、視線を船外の暗い海に向けた。「最悪の場合、命の保証はないぞ。クルーを説得できる自信はあるか?」

ラボに微かな沈黙が漂う。だが、ヘンリエッタは拳を握りしめて言った。「科学者として、ここで止まるわけにはいかない。私たちの選択が、地球の未来を左右するかもしれないなら……迷う余地なんてないわ。」

こうして、学者たちの目は深海の“奇妙に設計されたファージ”へと向けられる。次なる行動、そして結末に向かうカウントダウンが、静かに始まろうとしていた。

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