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極論を事をいえば人間衣食住が満たされればそれで十分という気もしなくはないが俺には無理だ
息子を殴ったのは後にも先にもこの時だけだった。
「百姓なんてみっともない事やっていられないよ」
その言葉を聞いた瞬間に思わず手が出た。叩いた掌が燃えるように熱かった事を覚えている。小さい頃は一つの怪我もしないよう大切に育てた我が子を自ら傷つけるという行為に私は震えたが、それでも、そうしなくてはならなかったと今でも思う。
「食べるもん育てんのが何でみっともないんじゃ!」
息子が少しでも考え直してくれるよう期待して私はそう叫んだ。けれど、そんな思いは儚く、息子は更に、侮蔑を込めてこう吐き捨てたのだった。
「貧乏臭いったらありゃしない。こんな家を継ぎたくはないんだ」
それが最後に聞いた息子の言葉だった。今はどこで何をしているのか見当もつかない。
息子が出ていった事を夫に伝えると、「分かった」と小さく呟いたきり何も言わなかった。以来、息子についての話はしていない。私は悔しかったが、夫がそれでいいのであればもう何も言えない。黙って三食を用意し、風呂を沸かし、仕事を手伝うだけだ。
息子は常々お金を稼ぎたいと言っていた。「お金を稼いで何すんね」と問うと、軽薄な笑みを見せるばかりで何も言わなかった。
食って寝て働いて、それ以上に何を望むのか。私には分からない。身の丈以上にお金を稼いだとして、虚栄以外に何が身に着くというのか。晴耕雨読、悠々自適。そんな言葉に惑わされ、人は狂う。息子もその一人だ。哀れでしかない。
楽をしたい。豪勢な暮らしをしたい。不自由なく生きていきたい。人の望む欲望はそんなものだ。誰だって、苦しい思いはしたくない。けれど、全員がそんな生き方をしてしまったら、誰もが生きていけない世界となってしまう。誰かが苦しみ、育まれた成果によって、人は生きていけるのだ。自分だけその輪から外れるだなんて虫のいい話が許されるわけがない。許されたとして、それを良しとするのは、人格が劣っていると言っていい。それが何故分からないのだろうか。
息子に関しては育て方を間違ったという他ない。甘やかしてしまったのは事実である。
だけれど、それでも、私は愛を与え、一所懸命に生きるという事を伝えてきたつもりだった。それがこんな結果となるとは、人間とは、つくづく、度し難い生き物だなと思う。
過ぎた事をいっても仕方がない。さぁ。今日も仕事だ。
空を見上げると、薄い水色に透けた雲が一欠片流れていった。私はなんとなくその姿を息子に重ねてしまい、頬に熱い雫が伝った。
風が乾燥してきた。稲はもう、黄金を彩り頭を垂れている。