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   ノウワン 第五段 籠女

 伊藤 智恵がアラハバキから西横堀川計画に関する帳簿を掠め取り宿禰衆の息のかかった秘書と逃亡を図ったのには情緒的な理由があった。
 施設で育ち定時制の高校を卒業した彼女であったが幸いなことに地頭はよく美貌にも優れていた。3年ほど既製服の倉庫スタッフとして従事しながら夜はブティックに勤務し生計を立てていたのだが生活が安定してくるとやはりというか、何処から居場所を聞き出してきたのだろうか、彼女の父と母が生活苦を理由に彼女にまとわりつくようになった。この仲の険悪な父と母が伊藤 智恵を巡って争いを始め、度し難いことに彼女の迷惑を顧みず店にまで押しかけてくるようにまでになった。と流石に気が滅入ってきたのだろう、伊藤 智恵が頼ったのが店の常連客であり智恵にスケベ心をもっていた大中 隆である。大中は彼女の頼みを快く聞き入れたが、その見返りを受けるに際しては一方的かつ暴力的に彼女の衣服を剥ぎ取ってその欲望の向くままに智恵を扱った。かくして伊藤智恵は大中の愛人におさまったのである。
 世間は大中の秘書が伊藤智恵を誘惑し、大中から金銭と帳簿を掠め取った挙句逃亡したと考えているようだが、実際の所は少し違う。多少の恩義はありこそすれ、心の中では酷く大中を軽蔑していたこの智恵という女は些細なことから大中の秘書が宿禰衆の息がかかった者だと看破すると自ら進んでこの男に計画を持ちかけアラハバキから情報と金を掠め取りまんまと組織から逃亡を果たしたのである。伊藤智恵は父であろうが母であろうが大中であろうが、気に食わない人間に囚われて生きたくはなかった。「他人からどう思われようが構わない、わたしは自分の人生を生きてやるのよ」。
 ところがアラハバキは彼女の思うような甘い組織ではなかった。彼女達は自らを匿ってくれるはずであった宿禰衆の若頭の拳銃によってあわや頭を吹き飛ばされるところであったが、すんでのところで窓から突如侵入してきた黒いトレンチコートに助けられたのである。
 「貴方たちの頼ろうとした弓月という男はアラハバキのスパイだったのよ。長い間、あいつは宿禰衆の立場を利用してアラハバキの組織内部の反乱分子を始末してきた。そうやって表向きはアラハバキの構成員を始末し宿禰衆の中で功績を上げながら、裏ではアラハバキに貢献していたの」。相葉 ひかりは丁寧に状況を説明したが、当の伊藤智恵と大中の元秘書はそれどころではなかった。突然、弓月に拳銃を向けられたショックもさる事ながら、マンションの8階の窓ガラスをかち割って侵入してきた人間(相葉ひかり)が弓月の放つ銃弾を一つ二つ三つと手のひらで受け止め、自らの体を抱え込んで入ってきた窓から逃亡し、ビルからビルへと飛び移り、果ては電車を軽く凌駕するスピードでここまで運び込んできたのである。当然、その揺れと渦のように逆巻き続ける運動エネルギーによる人体に対する影響は並大抵のものではない。幾度も到着地点を高速で通過し永久に思える時間を加速減速し続けるジェットコースターに乗ることができれば、あるいは我々もこの二人の気分がどの程度のものであるか若干はわかるかもしれない。
 「あの時、撃ち殺されてたほうがまだマシだったかもしれない」。そう吐瀉物にまみれながら智恵は思った。

 逢坂の南港という海に面した土地には千と幾百もの大型倉庫があるが、ここはそのうちの一つ蓬野閃里が所持するものである。外見は只の古びた倉庫ではあったが中身は別物であり、壁はコンクリートの打ちっぱなしではなく灰色のレンガを象ったパネルが貼り付けてあり天井にも日光の影響を受けないように工夫が施してあった、さらに複数のシャンデリアが倉庫内を照らしている。床にはワインレッドの絨毯が敷き詰められている、これは蓬野の趣味だ。
 「お前とあの黒いトレンチコートの相葉ひかるって奴との間柄はよくわかった。この一軒が無事に終わり次第奴への手配も無しにしてやるが、条件がある。」阿曇 光志は見た目は紳士的な男だがその中身の実際は傲然とした人物であった。「相葉ひかりを宿禰衆の人間として明確にしろ」「では私の客人として」。蓬野閃里は即答した。宿禰八人衆(一人減ってはいるが)とその配下、元々は弓月の配下の熱心党、合わせて70人前後がその様子を見ている。「今後の熱心党への対応は弓月に変わりその配下ごとお前が取り仕切ろ。あいつら今回は協力してくれたんだろうが、次はどう動くかわからねぇ。教祖は特に何考えてんのかわかんねぇからな。」「謹んでお受けいたします」。「おいお前ら。」阿雲は八人衆に呼びかけた。「今からこの蓬野閃里が宿禰衆の若頭だ。異論があるやつは此処で名乗りをあげろ」。そんな人間はいない。彼らは今まで組織の中で生き残ってきた人間だからだ。

 そして些細な儀式が始まる。

 屋根で野良猫と戯れていた赤鬼丸が遠くから7台からなる車両の群れを発見すると倉庫内に透過して舞い降り、相葉ひかりにそれを報告した。「閃里、きたよ」。蓬野閃里は自らの元に駆け寄る相葉ひかるの頭を撫で今回の働きを褒めると、顎に手を沿え口づけをしてやった。
 「詩織と大違いだ、完全に囚われてやがる。」ひかりが嬉しそうに頬を赤らめるのを遠目で見やり赤鬼丸は吐き捨てるように言った。

 人目を憚らず何やってやがる。宿禰衆の誰もがそう思ったが口に出す者はいない。まもなく倉庫の扉が左右に開き弓月の乗っているプリウスが倉庫内に侵入すると静かに停車し、中から弓月が姿を現した。これを数十人もの取り巻きが有無を言わすまもなく囲むと蟻の群れの如く弓月にまとわり付き体中の関節をその人数の圧力で捻じ曲げ衣服を剥ぎ取り時には打撃を加えるなどして無力化させた。ひとしきりこね回したところで取り巻きが阿雲光志の合図で散らばると、そこには弓月だったらしい肉体が血袋のようにシャンデリアに照らされて転がっていた。指などの弱い部分はねじ曲がり、もげて取れている箇所もいくつか見受けられる。
 ついで弓月の元部下がその弓月だったものを指差して次から次へとその罪を弾劾し始めた。
「告発します!この男は宿禰衆の立場を利用し、アラハバキ内の不穏分子の粛清に手を貸していました。これは利敵行為です。万死に値します。」
「告発します!この男は我々のアラハバキへの潜入活動をつぶさに密告することで敵への情報活動に大きな損害を我が宿禰衆に与えてきました。我が宿禰衆の恥です。」
「告発します!この男は我が宿禰衆が手がける事業の運営・計画を任されていながらその情報をアラハバキに流し、その成長・拡大に大きな支障をきたし続けてきました。もはやその命一つで済む問題ではありません。」
「伊藤智恵。何か言うことはあるか?」。
 伊藤智恵は未だ平衡感覚を失い足元も不安定だったが、相葉ひかりに支えられて取り巻きの中に加わり言った。
「はい、この男は私が大中から抜き取った情報ごと私たちを消そうと企んでいました。この黒いトレンチコートの人が私たちを助けてくれなかったら、今頃わたし達はこの男に殺されていたでしょう。身柄の安全を保証し安心させて、私たちを騙し討ちにしようとしたんです。」
 さらに告発は弓月の人間性に及び、その普段の行為や趣味、立ち振る舞い、そして娘が死に至る例の事件のことまで含めて全てが貶め辱められた。次第に彼に対する嘲笑が起こり、やがてそれは場をはじけ飛ばすような大きな笑いに高まっていった。宴もたけなわのところで阿雲自らが弓月に近寄ると場は一瞬に静寂に戻された。
 「おい、弓月、何が目的だ?白状しろ」。
 「殺せ」。弓月は答える。
 「何で俺たち宿禰衆に潜り込んだ?」
 「殺せ」。
 「何でアラハバキに肩入れする?なんの目的だ?」
 「殺せ」。
 「仕方がねぇ。おい蓬野」。
 蓬野閃里はやおら弓月に近づくと携帯電話をその耳元に翳(かざ)してやった。電話から聞こえたのは熱心党の教祖の喜悦に満ちた絶叫であった。
 「キャンディですねぇ!キャンディ!キャンディですよ!!弓月さん、貴方随分、溜め込んでましたねぇ!!こんなに沢山のキャンディ。わたしはわたしは嬉しい!嬉しい!ありがとう、キャンディ!をありがとうございます!」
 「どういうことだ?おい教祖。なにをいってやがる」。
 「貴方の御家族も既に我が熱心党の信者です。気がつかなかったでしょ?マヌケに輪をかけてオオマヌケですねぇ!草が生えますねぇ!面白い!面白い!実に愉快な人でしたぁ、貴方は。随分楽しませていただきましたよぉ!」
 「俺の女房は・・・」
 「貴方の奥さんは気丈にふるまっていますが、もぉ限界なんですよ。何で気づいてあげられないんです?間抜けすぎて草がはえますねぇ。ああいう不幸を背負った気高い人間の良心を弄び信仰に向かわせるなんて我々には造作もないことです。キャンディですねぇ!さて貴方の奥方には大きな大きな飴細工になっていただくとしましょう!嗚呼、頭からしゃぶりつくのが今から愉しみで仕方がありません。ありがとう、素敵なキャンディをありがとう弓月さん!甘い!甘い!甘くてとろけるのを残さず骨までしゃぶりつかせていただきます、嬉しい!嬉しい!」。そこで音信が切れビジートーンが虚しく鳴り響いた。
 蓬野閃里が声高らかに弓月に言い放った。
 「弓月さん、無駄な人生を生きたな!弓月さん、貴方の人生は全く無駄でしたよ。本当にお前は無駄な人生を生きたよ!どうしてそんな無駄な人生を生きれたんだい?僕には不思議です。実に無駄な人生を生きたな、弓月さん。なぁ、弓月さん、無駄な人生をお前は生きたよ」。それから『心の拠り所を奪われた弓月が最後に何を白状するのか』を阿雲と蓬野は静かに待った、ここまではかねてからの計画どおりである。弓月は血にまみれ無数の痣で膨れ上がった飴玉のような体をどうにか立ち上げると狂ったように叫んだ、がその内容は二人の意表をつくものだった。
 「タケミカズチ!タケミカズチがくるぞ!お前らわかってんのか!タケミカズチがくるんだよ!70年前の大戦どころじゃねぇ、今度はもっと沢山の人間が死ぬんだよ!お前も!お前も!お前も!お前たちの家族もみんな死ぬぞ!わかってんのか?タケミカズチに宿禰衆とかアラハバキとか関係ねぇんだよ!争ってる場合じゃねぇんだよ!タケミカズチが来るんだよ!」
 「どういうことだ?」阿雲は蓬野の顔をみやり聞いたが、蓬野も首を傾げるしかない。弓月は肩を震わして周囲に唾を吐き散らかしながら足を引きずり相葉ひかりの元に歩みよった。「おい、この神憑り」。全裸の弓月の薄気味悪さに神でも抜かれたのだろうか、理由はわからないがその場で相葉ひかりは腰を抜かしてへたりこんでしまった。「おまえ、なんでそっちっ側にいるんだよ、つか何てことしでかしてくれてんだよ」。伊藤智恵の身柄を確保したことでも言っているのであろうか?だとしたらそれは筋違いというものであろう。「お前が全てぶっ壊したんだよ、お前のせいで大和の人間が何千万も死ぬぞ。いや皆死ぬかもしれねぇ。これ、どう責任とってくれるんだ。」「やめて、いや、近寄らないで!」。「この偽物が!」震える相葉ひかりに尚もにじり寄る弓月だったが、そこで彼の意識は奪われた。咄嗟に赤鬼丸がその能力で弓月を昏倒させたからである。「あぶねぇところだったな。ひかり。」得意げに赤鬼丸は言った。赤鬼丸は通常の人間には視認できない、アストラル体(心霊体)の生物だ。故に周囲には勝手に弓月が気絶したように見えている。

 「随分、しらけちまったな」。「はい、拍子抜けです」。「俺は新しい八人衆の選定をしなきゃいけない。弓月はお前に任せた、好きにしろ」。「承知致しました」。

 その後、蓬野閃里は弓月から塩をぬいた上、あらゆる方法でその秘密を吐かせようとしたが結局めぼしい情報を引き出すことはできなかった。弓月が骸になるのは儀式から20日も経った後のことである。弓月が息絶えたその日、下関のアマノヌマホコ周辺で大きな渦潮が観測されたという。

 「たのむ、かぁさんを、かぁさんをたのむ」。弓月 紫龍は熱心党の施設でもアニメを見ている。近くから必死に経典をよむ母親の声がきこえる。「そんなこと言っても、どうしようもないじゃないか」。弓月 紫龍はどこからか父親の声を聞いた気がした。おそらく幻聴だろう。

                           つづく

逢坂紀行(5回目)

 いやぁ新興宗教とか政治結社とか怖いですねぇ!興味がある人は是非近づいてみてください。誰も責任は取りませんから(*´∀`*)
 ちなみに宿禰衆の御屋形の阿雲 光志にはモデルがいます。東京でシンガーソングライターをやっている長谷川 光志さんです。この時代に本物のフォークロックをやっている方なんですが、すっごいですよ。まさしくTHE LAST ONEとはこの人のことをいうのだと思います。感動を超越して膝まつきたくなります。YOU TUBEにも動画がありますから、皆さん見てください。
 正義感と信念の人で温厚ですし、人間性も見事ですが、なんででしょうか?どうしてでしょうか?
 「こんないい人が悪役やったらどうなるんだろう?めちゃめちゃイケてないか?ぐふふ、ぐふふ」。
 そう思いを巡らし実際にやってしまう根性の悪さ、そんなこと私にはできません、わたしはそんな人ではないはず、そう思っていた私がいました、過去に。

 やっちまった。

 まぁいいか。

 そんなわけで皆様、次回ノウワン『漆黒』次のアップまで
 Enjoy your journey♫

 


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