ノウワン 第十二段 漆黒(パート8)
「御屋形様自らが見定めるほどの人間とは思えませんが。」
執事の時田の意見を左手を挙げて遮る、男の姓は我妻といった。右手に竹筒で拵えた水筒を持っている。
「こいつだ、間違いねぇ」。
祭祀王の全知か。
檻の奥で越中一樹が声を出す。両膝を抱えて蹲っている。
「誰です。面会の予定はないはずだ。」
「こっちに用があるんだ、お前さんに頼みがあってきた。」
何処から入り込んだのだろうか?ベットの下から蛙が這い出てきている。
頼み?どうでもいい。
「私は今忙しいんだ、後にしてほしい。」
なんと無礼な、反射的に我妻の付き人が身の程知らずの罪人を脅そうと鉄格子を蹴り上げようとした、がこれを時田が制止する。
「そいつは悪かったな、だが少しばかり休憩しろよ。ほら、いいものを持ってきた。」
竹筒の中身をチタン製のカップにゆっくりと濯ぎ込む。氷が転がる音がした。
「私は酒はやらない。嫌いだ。」
「馬鹿だな、ここは警察署内だぞ。ただの氷水だよ、ただの氷水だ。」
越中はなにやら小声で自分に言い聞かすようにつぶやいている。
我妻は檻の向こうに冷えきった器をよこして言う。
「みろよ、早くも霜が滴っている、キンキンだぜ。飲まねぇのかい?」
「美味い。」
「そうだろうよ、こいつは美味いんだ。」
「貴方は狡い」。
「そうだろうよ、悪いか?」
少しこの中年の男と話をしてみるのもいいだろう、越中はそう思った。
「いいえ、何も悪くはありませんよ。」
「実わな。2年前の話だが仮面スケーター刃の前にやってた30分のアニメ番組『ストーンヘッジ石神』の脚本をやってたのは俺だ」。
滅多に笑わない越中だったが、この時ばかりは相好を崩さずにはいられなかった。
「あれは酷かった!」
「どうとでもいってくれ。」
「誰がどうぶっこんだのか分からない脚本家でしたが、貴方でしたか。あれは本当に酷い。でもまぁ、私は大好きですよ。滅茶苦茶でカオスで。」
「現実なんて滅茶苦茶でカオスだろ、ちゃんと現実を見ればそうだと誰もが気付くぞ。」
「ちゃんと現実を見れる人なんていないし、そもそも子供向けのアニメですよ、何をみせられてるんだ?って当惑しました。でも私は好きです、あれは本当に無茶苦茶だった。そして見終わった後に何も残らない。」
「あれ実は最初は宗教がらみのプロパガンダのために作り始めたんだけどよ。」
「でしょうねぇ。貴方、わかってない。」
「そうなんだよ、わかってなかったんだ。」
「制作が滞って絵描きさん達が死ぬほど苦労してましたよ。可哀想に。」
「本当はアンタに監督してもらいたかったんだ。」
「依頼が来たのを覚えています、断りましたよ。端から失敗するってわかってましたもん。」
アニメは聴衆が思うよりも遥かに大きな集団で製作されている。膨大な権力を持った一個人が気まぐれに脚本を書き、制作陣やスポンサーを取り込み仲間にして妙な思想や宗教のごり押しを現場の職人に半場強制的に要求する。それで良いものが作れるのだろうか?まぁ、これに関しては読者の想像にまかせる。
「あなた、何者です?随分なご身分のようですけど。」
「ああ、うちの家系は皇室よりも古い。言い伝えによると9000年以上前からこの大和の国の祭祀をやっているらしいぜ。こうみえて格式高い。」
「アラハバキの我妻。本当にいたんですね。」
「おい、話が早いな。驚いたぜ。」
「私の師匠から逸話をよく聞きましたから。それで石神か。なるほど。で今更何の用事が私に?アニメの監督ならお断りしますよ。見ての通り私は」
「忙しい」。
「そう、忙しいんです。」
床の上で蛙が小さく跳ねた。
「で越中さん、先週あたり神憑りを見たらしいじゃねぇか。どうだったよ?」我妻は続ける。
カミガカリ?あれは神憑りと云うのか。越中は我妻の目をみる、人間のものとは思えない。瞳孔が縦に長細く尖っており、角膜が鼈甲のように黄色く光っている、殆ど蛇の目に近い。コンタクトか?
越中は1週間前の河内湖堤防爆破の実行犯だ、その際に某ビルの屋上に設置されている観覧車から重力を操り猛スピードで土砂を引き連れて堂山町の交差点120度の角度を右折する神憑りを彼は目撃している。
「神かと思いましたね、そうでなければあれは説明できない、本当にいたんだと。カミガカリですか。なんなんです神憑りとは?文献で知るものとは大きくかけ離れているようだ。」
「知りてぇか?長くなるけど、いいか?」
「是非。」と越中は答えた。
「貴方がここに来た理由が理解りましたよ、なるほど、それで私なんですか。あきれてものがいえない。」
「他に話が通じそうなのも存在しないしな。」
「お断りします。誰が自ら進んで地獄に墜ちようと思うんですか?」
「自らを偽るなよ越中、だからお前は駄目なんだよ」。
梅雨時の森の日陰に横たわり、ひんやりとした土に静寂を感じたことはあるだろうか?
お前さんさ。どうせ日々の仕事が退屈だっただけなんだろ。お前は退屈だっただけなんだ。スポンサーとの交渉、退屈だろ?当たり前だ、奴らに物造りがわかるわけない、お前さんの気持ちがわかるはずがない。奴らには数字とブランディングしかない。お前さんは数字の動きが退屈だった、そして「単なる言葉でしかないもの」いつの間にかアイコン化されてしまった自分が、創造している自分よりも高く評価している世間が許せなかった。
一方で現場はどうだ?残念ながら仕事場にもお前の仲間はいない、お前の想像性についていける奴がいないからだ。お前とスタッフの間で何の化学反応も起きない、レベルというより質が違いすぎるからだ、これわさ、流石に人生を生きるには退屈だろ?
でもお前には救いがあった。幸いにもお前を愛する女性が奇跡的にもいた。だから居続けられた、創作者の立場に、世間での立ち位置に我慢できた。そのまま人生を平穏に終えてもよかった、少なくともそう思える時期があった。許されていると感じられる時間があったからだ。
だが運命はお前を嘲笑った、そしてお前の中にひたすら隠れて機会を伺っていた悪魔は歓び歌う。そいつは平凡な時間を生きようとするお前を許さない、「たいくつだー、たいくつだー、たいくつだー、耐えられない。たいくつだー、たいくつだー、耐えられない。たいくつだー、たいくつだー、耐えられない。」
本当のお前さんは何処にいるんだろね?
退屈な日々を終わらせたかったんだろ?だから何万人も殺して、最期にそれを観覧車の上から見下ろしたかった。
なんでお前さんはそうなっちまったんだろね?神とか人間とか、頭がいいお前さんだ、幾らでも理由付けできる。だけどもそれは建前に過ぎない、幾らでも自分に嘘をつけて自分を胡麻化して生きていけるのは頭のいい人間の特権さ。でも本当のところはさ、ただただ退屈で仕方がなかったんだろ?
越中、認めろよ、本当は自分の中に碌でもない悪魔がいるって。それからは逃げきれないって。
越中は目に怒りを表して答えた。
「仮にそうとして、貴方のいうままに私が動くとでも?わたしは今の驕り高ぶった人類、あいつらは結局全員豚ではありませんか。私は豚が生き続けるために自ら進んで自分が犠牲になりたいとは思わない。くだらない、お帰りください。」
「そうかい?俺とお前さんと二人最前列でイイ景色を見ようぜ。面白いぞ、これは結構乙なもんだと思うがね。」
「・・・・貴方はイカれている。」
「いいじゃねぇか、別にイカれていても。降参しろよ越中、俺についてこい。たいくつなお前さんの人生を綺麗に終わらせてやるよ、そして最高に面白い景色を見せてやる、充実ってやつを感じられるぞ、誰も見た事が無い最高に面白いやつ、それをお前にみせてやる。うるおい、知らねぇだろ?お前さん、お前さんに潤いってやつを教えてやる。他にも言いてぇことはあるんだが、まぁいいか。どうせお前は俺の傍にくるだろう。その時でいい。さて、ここの署内は全員俺の支配下だ。返事は何時でもいい。お前さん次第だが、今回のは流石におまえさん、断れやしないぜ。お前は間違いなく俺の所に来る、またな。」
我妻一同が立ち去った後、越中は牢の中で一人立ちすくんでいた。足元にいる蛙が鳴くのを煩わしく思い素足で踏みつぶした。足の裏に内臓を口から吐き出した蛙が張り付いている、それを剝がしている最中に牢に残されたままのチタン製の器の中で氷が溶けて鳴った。
カチン。
何故かその時、越中は自分がただただ必死にそれも意味もなく退屈な人生を生きてきたことに気付いた。
どうやら越中一樹という小さな男がずいぶん前から、しがない牢屋の中に閉じ込められて息をしていたらしい。
「あんたの下で働く気はない。俺の友人たちもあんたの下で働かせるわけにはいかない、あんたは頭がおかしいよ。」
丸山デイビスの懐には327TRR8スミス&ウウェッソンが収められている。階上の越中と丸山との距離は直線で約50メートルだが、丸山の腕ならば造作もない。抜く間も見せずに一撃で眉間を貫くことが出来るだろう。
場が凍り付いた。
「おい、どうしたってんだ。」
「黙ってろ、大中。こいつ真性のヤバい奴だ。」
佐伯投馬はアラハバキで危険な仕事を長年こなしてきた。その経験と勘が言っている。しかし何で今まで気づかなかった?
「息を殺して動くな、大中。とばっちり喰らうぞ。」
越中一樹は丸山の異様な気配をものともせず、話をつづけた。
『丸山、お前にはわからない、生きる楽しみが。そのために私は努力を惜しまない、たくさん人が死ぬ。それを見て楽しむ。それが私の本性だ。』
「そこに何の正義があるんだ?」
『誰の、何のための正義だ?』
丸山は首から右肩の筋肉を弛緩させた。
『尾張裕子。』
狙いは既についている。丸山はガンホルダーに手をかけた。矢島が丸山の右肩を捕まえなければ次の瞬間に越中の眉間に鉛玉が突き刺さり、その後頭部を吹き飛ばしていただろう。
『あの可哀そうな、可哀そうな尾張裕子博士。タケミカヅチに危険視され存在を消された。矢島教授、アマノヌマホコの探検者よ。見つかったかね、君の愛おしい女は?いくつもの時間表面を旅して何人かの尾張裕子を見つけた、だがそれは何時も君の愛する尾張裕子と何処か何か違う。いつまでそんな虚しい旅を続ける?』
丸山は矢島に目で訴える、「矢島、お前だって本当はわかってんだろ?こいつは俺たちを地獄に導く悪魔だ。」
『丸山、もう一度聞こう。誰の何のための正義だ?』
矢島は丸山の右肩を強く握りしめる。丸山はそれを睨みつける。矢島、こいつはお前が思っているような奴じゃないんだ、言葉巧みに俺たちを上手く操って自分の欲望を叶えることしか考えてねぇ。止めるんじゃねぇ。
「丸山君、おねがいニャンよ。」
羿白が丸山の背広の左すそを引っ張って言う。
「越中の小脳と心臓に強アルカリの爆弾を仕掛けておいたニャンよ。このリモコンのスイッチを押せば地球の裏側からでも発動するニャン。」
丸山は目を見開いて猫の着ぐるみを着た女を見る。
「このリモコン、貴方に託すニャン。これからも私たちを守ってほしいニャン。だけど今は従って。」
丸山はガンホルダーから手を放し、代わりに羿白からリモコンを受け取りポケットに収めた。
「羿白さん、あの鉄巨獣、わからないことがあるんだけど。」
「何?」
「あれ、なんに使うの?」
「来週あたり第六の神憑りにぶつけるニャン。」
「どうやって?」
「知らないニャン」。
「そもそも、あんなデカブツどうやってこの施設から出すんだ?」
「知らないニャン。」
階上で越中一樹がスーパーブラック団の結成を宣言している。
『私のことを越中一樹と呼ぶのを禁ずる。私の名は今日からホワイティ梅田、皆々よ、私のことを今日からはホワイティ梅田総統閣下と呼ぶのだ!』
丸山デューイデイビスは、何も言いたくなくなった。
つづく
逢坂紀行
Whityうめだは大阪に住んでいる人間なら誰もが知る地下街です。
個人的にはヴィドフランスの明太子フランスパンを買い、グレープフルーツジュースをすすり飲むために存在します。
丸山が携帯している327TRR8スミス&ウウェッソンは羿白によって多くのパーツが交換されているカスタムですが、銃そのものの性能というより丸山が使いやすいように改造されています。建物内に突撃する際によく使用されるハンドガンで通常はロングレンジの攻撃には使用しません。
アラハバキ組織内での銃の使用は丸山個人の判断に全て委ねられています。佐伯投馬はアラハバキ内にそういう人間が存在することを知っていたから大中に警告できたんですね。
『漆黒』も丁度8回で終わったところで設定パートは今回で終了です。次からは本編に入ります。タイトルは『明日香』になる予定です。
それでは皆様、次回までEnjoy your journey♫
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