「ODD ZINE vol.9」刊行特別企画 ~雑談の延長~
※かもめブックス(東京・神楽坂) で 2022/8/25~9/13に開催した『ODD ZINE 展』PART2の会場で掲示し、「ODD ZINE vol.9」(限定54部)にも掲載されている西荻窪の「BREWBOOKS」のオーナー・尾崎大輔(おざき・だいすけ)さんのインタビューを公開いたします。
聞き手・構成補助:太田 靖久(「ODD ZINE」企画編集)/撮影・構成:伊藤 健史(ライター)
太田:まずは軽く自己紹介をお願いいたします。
尾崎:BREWBOOKSの尾崎です。店をはじめて三年半過ぎぐらいです。今年(二〇二二)の十一月で丸四年になります。
太田:ご出身はどちらですか?
尾崎:札幌です。
太田:故郷の思い出みたいなのはありますか。
尾崎:僕が小さい頃は新刊書店や古本屋さんが自転車圏内にいくつもあって、特に目的もなくハシゴしていたような記憶があります。新刊書店の品揃えはだいたい同じような感じだったと思うんですけど、もっと遠くの本屋に行ってみたりとか、やっていました。
太田:最初に買った印象深い本とかありますか?集めはじめた何かとか。
尾崎:ちょっと背伸びしていましたね。小学校高学年の時に本好きの友達がいて、彼がスティーブン・キングを読んでいたんですよ。「IT」とか分厚いやつを学校に持ってきてるので借りて開いてみたら二段組で字が小さくて、なんかかっこいいと思って。表紙黒いし(笑)
それで真似してキングを読み始めて「トミーノッカーズ」という、「IT」よりは若干短めのやつから始めたんですけど、けっこう性的なこととかも出てくるじゃないですか。小学生でそういうのも知らないで、なんかよくわからない感じで読んでいました。あとは中二ぐらいでたしか「グリーン・マイル」が全六巻で文庫化されて、新潮文庫だったと思うんですけど、毎月一巻ずつ刊行されていって、それを読むのが楽しかったです。
太田:スティーブン・キング一本ですか?その周辺の他のジャンルとかは。
尾崎:あまりジャンルは気にせず、読みたいものを読んでいました。雑学っていうか、僕が小六くらいの時に「マーフィーの法則」がめちゃめちゃ売れていて、ああいうのを読んだり、あとは矢追純一さんの「カラスの死骸はなぜ見あたらないのか」を買って読んだのを覚えています。ちょっと大人向けの本を背伸びして買っていた感じはあります。
太田:僕と伊藤さんは高校生とか大学生くらいの時期ですね。九十年代の半ばぐらい。「完全自殺マニュアル」とか、猟奇殺人ものとか。いわゆる世紀末感ですよね。ちょっとこう、ごちゃっとした感じの。
尾崎:そうですね、「サザエさんの秘密」とか。
太田:なつかしい(笑)、そういうのは周りでも流行ってたんですか?
尾崎:流行ってました。小学校の学級文庫に心霊写真の本とか学校の怪談なんかもありました。
太田:いわゆるサブカルもまだ元気だったころで、そういう波が北海道にも来てたんですね。
尾崎:ちゃんと届いてましたね。
太田:そういうカルチャーがどう見えていたんですか?自分の日常とは少し違うわけじゃないですか。
尾崎:サブカルという概念で享受していたわけではもちろんなくて、よくわかっていなかったし。雑誌だったら「Boon」とか「Smart」とかストリートファッション系をみんな読んでました。腰で履くダボダボのカーゴパンツが流行って、みんな履いてたし、僕もそれを欲しいと思ったけど、どこで買ったらいいかわからなかったんですよね。
太田:部活はやってましたか?
尾崎:バスケ部でした。中学の時ちょうどスラムダンクが人気で。三井くんが好きでパスをもらったらすぐ三ポイントシュート打って顰蹙をかってました(笑)。
太田:漫画も並行して読んでいたんですか?
尾崎:ジャンプが一番売れていた時に中学生だったのでめちゃくちゃ読んでましたけど、小説はどういうのを読んでたか、よく思い出せないです。当時は日本の作家にはあまり興味がなかったんですよね。両親の本棚に「ノルウェイの森」があったんですけど、食指が動かなかったです。翻訳の文体がかっこいいなって思っていて、だからけっこう海外の本に偏っていたかもしれないです。
太田:その頃は本屋をやるとか、文化的なものに関わっていきたいというのは漠然とあったんですか?
尾崎:本屋っていうのは全くなかったです。将来の夢は二つあったんですけど、一つは居酒屋の店主、もう一つは漫画家。だからなんとなく一人でできそうな事には憧れていました。居酒屋も広い店じゃなくて、店先に「高清水」とか日本酒の銘柄が書いてある看板が出ていて中が全然見えない小料理屋があるじゃないですか。そういうのがいいなって思ってました。カウンターしかなくて、常連さんがほとんどを占めて楽しくやってるんだろうなという。
太田:北海道でやりたいと思っていたんですか?それともどこか他の土地でとか。
尾崎:高校生ぐらいの時から北海道は出たいと思っていました。病気とかいじめとかいろいろあって、いったんリセットしたいという感じで、大学は北海道以外で考えていました。
太田:それで上京を。大学は理系ですか?
尾崎:いや、日本文学専攻だったんです。文系です。
太田:もともとは海外文学派だったのが、大学で日本文学を読み始めた感じですか?
尾崎:国語の時間は好きだったんですよ。日本文学を読んで問いに答えて、というのがわりと得意だったので。でもたしかに大学に入ってからちゃんと通して読んだみたいな感じかもしれないです。
太田:印象に残っている授業とかはありますか?
尾崎:ゼミが日本の近代文学研究で、夏目漱石や森鴎外、芥川などをテクスト論的に精読していく授業でした。それなのに僕は村上春樹で卒論を書きました。怒られるかと思ったけどそこは大丈夫でした。でもあんまり行かなかったんですよ。バイトのほうを優先してたんで。
太田:どんなバイトをやってたんですか?
尾崎:いろいろやってました。卵の加工工場で卵を洗ったり、CDを検品したり、英検の試験監督もやってましたね。でもコンビニが一番長かったと思います。
太田:その時は大学を出たらどうしようとか考えはあったんですか?就職はどちらかというと理系の方に行かれたんですよね?
尾崎:未経験からシステム開発の会社にエンジニアとして就職しました。したんですけど、僕はそもそも就活がめちゃくちゃ嫌だったんです。みんな三年生の秋頃になるとリクルートスーツ着てやるじゃないですか。あれに対する拒否感が強くて全然やる気になれなくて。業種とか職種も正直あまり明確に「これをやりたい」というのがなくて、営業職とかも絶対向いてないから嫌だな、みたいな感じでした。そんな中で当時ミクシィやはてなの社長が新進のIT会社の社長として注目されたりしていて、エンジニアがかっこよく見えました。手に職を持てそうだし。それで本当にギリギリのタイミングで何社か受けて就職できました。システムエンジニアって実は理系とかはあまり関係なくて、未経験でも転がり込んで自分で勉強すればやっていけるんです。最初はきつかったですけど。
伊藤:忙しかったんですか?残業とか。
尾崎:時期にもよるんですけれど、残業がすごく多い時期もあって。そうでない時は定時くらいで普通に帰れるんですけど、あまりそこを自分でコントロールできない業界ではありました。
太田:その頃は文化的なものはどうだったんですか?
尾崎:大学に入ってから村上春樹のファンになったんですけど、最初はブックオフで買い漁って読んで、新作は新刊で買って揃えて、それがしばらく続いてた感じです。あとは、インターネットが好きだったんで、はてな界隈にいました。「はてなハイク」っていうちょっとしたSNSがあったんですけど、お絵描きツールが実装されていて絵を描いて投稿できたりして、漫画家の志村貴子さんもけっこう投稿してたんですよ。
太田:おお、すごい。
尾崎:規模が小さいせいかユーザー同士の仲が良くて。ある時期からちょっと会ってみましょうよという感じでオフ会が始まりました。そこで友達ができたりして。会社がつらかったから外で健全な人間関係を作らないとしんどすぎるなっていうのもありました。それでだんだん楽しくなってきて、自分でもビール部っていうのを作ってオフ会を開いてました。ビールがおいしいお店でただ飲むだけなんですけど(笑)社会人前半の仕事がつらい時期はプライベートでそういうコミュニティーを作ってバランスをとってたんだと思います。
太田:会社員の期間は何年ぐらいあったんですか?
尾崎:ここを始める前までやってたんで、十一年位です。会社は一回変わっているんですけど。
太田:その間にお金を貯めて何かやろうと思ってたとか、たとえば辞める三年前くらいから考えてたとか、思考がグラデーション状になってた時期はあったんですか?
尾崎:結構唐突にこういう店をやろうって決めました。
太田:でもお話を聞いていて、そのコミュニティーづくりとか、前にやっていた事と今のBREWBOOKさんの活動ってどこかつながってる感じがするんですけど。
尾崎:たしかに。ちょっと似てる感じがしますね。
太田:だから全くした事がないところから始めたわけではなかったんだなっていうのは伝わったんですけど、エンジニアから本屋さんって距離があるから、実際には何か意識していたものがあったんですか?
尾崎:僕は企画書を書くのが好きだったんですよ。新卒で入った会社は上司のパワハラで行けなくなって転職したんですけど、次の会社はすごく居心地の良いところで、上司も企画が好きだったので。仕事柄WEBサービスとかIT系の企画を立てて、仮の事業計画書を書くというのをなかば趣味みたいな感じでやっていました。その時はもう西荻に住んでいて、面白い街なので何かできないかなと思い始めて。それで最初は町紹介アプリとかを考えてみたけど、「どうせすぐ飽きられるしなあ」とか考えていているうちにリアルな店をやってみたくなってきて。それで、本が好きだけど、仕事が遅くなって日付が変わってる時間に帰ると本屋がみんな閉まっちゃってることにちょっと満たされない思いがありました。遅くまでやっているところでちょっとビールも一杯飲んでっていう、そういう本屋さんって意外とないから作れないかなと。
太田:自分がそれを求めているんだったら需要があるだろうみたいな。
尾崎:まあ需要まで真面目に考えていなかったんですけど、僕は欲しいなと。そこから始まっていろいろ調べていきました。ビール出すのにどういう許可がいるのかとか、本を売るのにどうすればいいのかとか。そのころ、内沼晋太郎さんの「これからの本屋読本」や辻山良雄さんの「本屋、はじめました」も読んで学ばせて頂いて、実現できそうな感じにまとまってきて。深夜営業は結局実現しませんでしたけど。あとは、資金繰りは創業支援の制度が色々あると知って、助成金制度に申し込んだりして。その時はまだ普通に働いていたのでプライベートの時間にそういう事をしていました。
太田:社会人をしながら徐々に重心を変えていくという感じですね。
尾崎:働きながらやれるところまでやって、ある時点で会社勤めを辞めたという感じです。小さい頃から本屋さんをやりたかったというのはなくて、太田さんと話していて初めて気づきましたが、むしろ小料理屋のイメージが今に繋がっていますね。
太田:BREWBOOKSさんのキャッチコピーが「ビールと書斎のある本屋」ですが、そのコンセプトがまさに企画書のトップにあったということですかね。
尾崎:資金を借りる時とかにアピールしたのは、本とクラフトビールがあって飲める場所もあってイベントができます、みたいな。
太田:事前調査というか、本屋さんを見て回ったりしたんですか?
尾崎:本屋巡りはしましたけど、そんなにたくさんではなかったかもしれないです。行った先で「本屋をやろうと思っているんです」とか挨拶させてもらったりはして。
太田:アドバイスをいただいた中で覚えてるものありますか?
尾崎:田原町の「Readin'Writin' BOOK STORE」の落合さんが気さくにお話をしてくれました。
太田:落合さんも新聞記者から脱サラして本屋を始められてますよね。
尾崎:先ほど話に出た内沼さんの「これからの本屋読本」と辻山さんの「本屋、はじめました」以降、多くの方が本屋を始めていると思うのですが、やっぱり業界出身の方や、本屋さんでちゃんと修行したというケースが多いと思います。異業種からというのはなんだかんだ言って少ないので気になるし、参考になります。他にも業界の先輩から、時には厳しい意見もいただいたりしました。最初の僕の計画は今思い返すと本当に論外というレベルだったんで。選書リストに「HUNTER×HUNTER」とか入ってたし(笑)
太田:でもそこで止めなかったわけじゃないですか。修正はされたと思うんですが。
尾崎:時期尚早的な事も言われましたけど、もうやるって決めたらそこは修正できないので(笑)
太田:根本的な部分は変えられないかもしれないけど、少なくとも何かは変えたわけですよね。
尾崎:まずは選書です。単に自分が調べて好きだったり、ピンときた本をとりあえず全部候補に入れたんですけど、それを精査したりして。とにかくその頃の僕は本当に無知で、夏葉社さんも知りませんでした。
太田:こんなご近所なのに(笑)
尾崎:だからもうちょっと勉強してからのほうがいいんじゃないかみたいなことも言われました。
太田:独立系書店だと夏葉社さんが軸になるくらいのイメージがありますし。楽器を弾けないし、買ってもいないけどバンド始めちゃうみたいな勢いを感じます。
尾崎:良く言えばそうですね(笑)
太田:それでも気持ちの方は。
尾崎:もう止める選択肢はないわけですよ(笑)
太田:でもすごく大事ですよね。まず飛び込んでみてっていうのは。
尾崎:たぶん何か全て準備してからやるって無理だと思うんです。そう言ってるとずっとやらないだろうから、とりあえず動きながら学んでいきたいと思って。
太田:そういう感じの性格だったんですか?
尾崎:僕が働いていた業界で良しとされているのが、とりあえず手を動かす事なんです。まずプロトタイプを作って試す、みたいな。企画を立てるのも仕事とプライベートをあまり区別せずに好きでやっていたので、「とりあえず動いてみよう」みたいなのがあったと思います。
太田:お店を始めてからのトライ&エラーも当然あり得るだろうと想定していたんですね。
尾崎:最初から本を何千冊も仕入れてとかは無理だと思っていたので、とりあえず箱だけ作っちゃえばっていう感じで。自分がオープンしますと言えばオープンするんだから、そこからだと思って。今にして思えばちゃんと準備してから始めても良かったかもしれないですけど(笑)
伊藤:最初は自分で好きなものをなんとなく選書してたけど、のちに改善したとおっしゃっていましたが、具体的にどういう事を意識しましたか?
尾崎:西荻は暮らし関係の本が好まれるのではないかと考えて、そういう本を入れてみたりとか。文芸やエッセイは自分が好きだから多めになってますが、お客さんが注文をくれてそこから広がっていったりとか、そういう方が大事だと思っています。たとえば今、句会を毎月やってるんですけれど、そこで俳句の本を注文してくれて、そういったところから俳句の棚ができたりとか、最近だと歌人の木下龍也さんがテレビの取材でうちを使ってくれたんですけれど、そういった事で歌集の取り扱いも増えて、地域のご縁で自分の意図や狙いと違った部分で店が育っているという実感があるのがいいかなと。
伊藤:マーケット的なものはあまり気にしていないというか、これが流行ってるからとかっていうのはプライオリティーが低い感じなんですかね。
尾崎:ベストセラーになるような本はうちみたいな本屋では入れたところで売れないんですよ。それこそ村上春樹の本とかはあまり入れられないんですよね、売れないから。ベストセラーとは別のトレンドみたいなものもやっぱりあって、コロナ禍に入ったらコロナ日記みたいなものがたくさん出たように、コロナに絡めたものが増えてきたんですが、そういうのは全部じゃないけど置きます。あとはジェンダーやフェミニズム関連でしょうか。たぶん小規模な書店が似通っちゃう理由でもあるんですけど、そういう考え方で選びますね。悩ましいんですけど、そこは。
太田:コロナといえば、オープンして三年半の半分以上がコロナ禍だったわけですからその思惑のはずれ方はちょっとすごいアクシデントじゃないですか。
尾崎:めちゃくちゃアクシデントですね(笑)、半分以上コロナ禍ですから。
太田:ビールと書斎っておっしゃってましたけど、その書斎がまずダメージを受けたわけじゃないですか。
尾崎:ビールも売れなかったですねえ。本だけじゃなくビールと書斎で個性ありますみたいな感じでやったんですけど、本だけになっちゃったんですよね(笑)
太田:その時の試行錯誤というか、何か考えた事はあったんですか?
尾崎:二年前(二〇二〇年)の最初の緊急事態宣言が発令される直前までイベントを打ちまくってたんです。太田さんは知ってくださっていると思いますが、緊急会議を開催して。
伊藤:緊急会議?緊急事態宣言ではなく、その前に緊急会議という事ですか?
尾崎:実はコロナになる前に資金が尽きかけてたんです。それで来月の家賃どうしよう、みたいなことになって、それをオープンにしたらお店に人が集まってきて徹夜で会議したんです。
伊藤:へえー、お客さんに「ぶっちゃけ、うちヤバいんで」ってリークしたわけですね。
尾崎:直近の売上や支出をブログで全部公開しました。それを見た常連さんがやばいと思ってイベントとかいろいろ考えてくれたんです。
太田:みんなのアイディアを付箋に書いていた会議を配信してましたよね。生々しくて面白かった。
※「BREWBOOKS公開戦略会議(アーカイブ)」:https://twitter.com/i/broadcasts/1vOGwoQLAwbGB
伊藤:すごいなあ、エキサイティングだなあ。
尾崎:校正者や編集者の方にもトークイベントをしていただいて、売上をなんとかしようと。僕だけじゃなくて常連さん含めて十数名くらいの人たちの気概が高まってたんですけど、三月後半に都知事が自粛要請を出して、なるべく家から出ないでくださいって言われて。そんな事初めてだったし、言うこと聞くしかなくて。それ以降の予定していたイベントは全部中止にして、結局休業しました。その時にZoomとかが出てきてオンライン読書会やトークイベントをやってみたり、オンラインショップもちゃんと稼働させたんですけど、正直オンラインイベントは好きになれなかったです。僕にファシリテーションの能力が全然なくてうまくできなかったっていうのもあるし、あとやっぱり、そもそもここでやってた事ってそういうのじゃなくて、みんなでワイワイなんですよね。お酒飲めるし、靴も脱ぐし、初対面でもだいぶ話しやすい距離感で何かやるっていうのがここの活かし方だったんで、Zoomはその代わりにはならなくて。もう一回やろうっていう風にはなかなかならなかったですね。
太田:今のこのお店の状況って、本が好きっていう方々と、何らかの本に関わっている方々がコミュニティーとして支えてくれてるっていうのが大きくありますよね。
尾崎:コロナ禍の直前の時期からお客さんとの関係性が変わりました。緊急会議をやって、コロナ禍に入って、そのあたりがなんかすごく変なテンションだったなと思うんです。僕はもちろん来てくれた皆さんのことを知っているけど、集まった人たち同士は初対面だったりもして、この緊急会議の時に知り合って今でも皆さん仲がいいんです。
太田:それはすごく面白いですよね。こういうのをきっかけに横のつながりになって。
尾崎:その時に関わってくれた人たちがお客さんから関係者に変わったみたいなところがあって、そこで一つステージが上がったっていうか。
太田:尾崎さんの心境的にも変わったっていうことですよね。それはどういう感じなんですか。
尾崎:なんだろう、下手な表現なんですけど、僕がドーナツの穴みたいになった感じがあって。
太田:ああ、台風の眼っていうか。
尾崎:僕自体は穴で、ドーナツ自体は「関係者」の人たちで。
太田:場は提供するけど、何かアイディアを持ってきてくれるのは周りの人たちで、それを否定しないというか、なるべく広いレンジで受け止めていく感じですかね。
尾崎:僕は治安を守るだけ(笑)「この店どうしよう」みたいな事を一緒に悩んだり考えたりしてくれて。そこ悩まなきゃいけないのは、本来は僕だけなのに。
太田:この場所をみんなが大事に思ってくれている結果ともいえますよね。
尾崎:今はコロナ前のようにみんなでワイワイやるっていうのを少しずつ再開し始めていて、また活発化していきたいんですが、この状態が続くかどうかまだわからないじゃないですか。なので、オンラインでもうちょっと何かできないかなって考えています。そっちはそっちで遠方の人も楽しめたり、メリットはあるので探っていきたくて、両輪でやっていこうかなって感じです。
伊藤:山あり谷ありですが、やっぱり本屋さんは面白いと思いますか?
尾崎:本屋だからなのか分からないですけど、やっぱり自分が思ってもみなかった事がたくさん起こるのがいいと思っていて、店を開いてると色々な人が来てくれてそうなるのが一番面白いです。僕はあまり自分から行くタイプじゃないから、店を開いてただそこにいるみたいなのが性に合ってるし、能動的に動くのが得意じゃない人ほど場を持った方が良いのではという気がしています。
太田:なるほど、さっきのドーナツのたとえじゃないけど。
尾崎:もちろん家賃とか大変ですけど、精神衛生的にはすごくいいですね。
太田:本屋とはまた違う角度から入ってきたのに、実際そういう風になりつつあるっていうのもまた面白いですよね。想定していたわけじゃないけど、素材自体はあらかじめあって、食い違っているわけじゃないっていうか。
尾崎:たまに取材を受けると店を始めるまでの経緯を必ず訊かれるので元SEってことを話すんですが、今やってることとの繋がりを自分自身見出だせなくて。むしろ小料理屋とかオフ会とか、そういうのを違う形でやっている感がありますね。話していて気づきました。何か繋がってるんだなっていう。
太田:僕もお話を聞いていてそれを思いました。そこがこのお店の個性って感じがします。
<2022/5/15 西荻窪「BREWBOOKS」にて>