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第35走者 川谷大治:画一性と多様性
岩永先生の「干支~『あんたどこ中?』――『同じ』を求める心性と多様性――」にラリーします。「あんたどこ中?」にラリーしようか迷いました。私の出た岐宿町立川原中学校は出稼ぎと少子高齢化によって1977年3月31日で廃校になりました。でも校歌は今でも歌えます。
緑遥かな 山裾を
廻りて絶えぬ 後川の
清き流れに 育まれ
学びの道に いそしまん
おお われら 川原校
2番、3番は書かなくていいですね。校歌は自慢話と同様、歌っている人には郷愁を誘いますが、関係ない人には雑音に聞こえますから。村を離れて県外で生活したのち「あんたどこ中?」という質問は投げかけられたこともないし、投げかけたこともない。卒業生の数は少なく、そもそも五島列島の福江島の西にある川原村の存在を知る人は、福江島はともかくも、県外でお目にかかったこともありません。ですので、「あんたどこ中?」はスルーして、「画一性と多様性」に焦点を絞ることします。使うテキストはスピノザの『エチカ』、『神学・政治論』、『国家論』(上野修訳では『政治論』)です。
1.岩永先生の「画一性と多様性」
画一性と多様性は対立しています。画一性の長所が多様性の短所に、同時に、画一性の短所が多様性の長所になります。なので、岩永先生は「多様性は集団の凝集力が弱まり、集団自体の力が弱くなるので、集団や国が危機的状況にある場合、多様性などと言っていられず、集団や国が生き延びるために思考を統一する必要がある」、それ故に、「多様性が伸びるためには、集団が平和、安定している、という前提が必要なのです」と述べました。
私の小学校時代は、画一性から多様性への移行が思いがけずやってきた時代でした。私の同級生の兄や姉が中学を卒業して関西や中部に出稼ぎに出て、弟や妹に学用品をプレゼントしてくれたのです。彼らの持っている12色のクレパスは24色になり、金色や銀色のクレパスが入っているのもありました。都会からハイカラな文房具用品が送られてきたのです。それまでは教科書を買うお金もない貧乏な村だったので、教科書には折り目も書き込みも入れず弟や妹、近所の子どもたちにお下がりしていたのです。画一も何もあったものではありません。同じものを使っていたのです。それを打ち破ったのは中卒者の出稼ぎだったのです。多様性が都会からドンともたされたので、それは羨望の的になりました。ノートや下敷きも学校の購買部にあるものとは大違いです。それはそれは色とりどりの鮮やかなもので、出稼ぎ者の悲しみは弟や妹たちの満足へと変換されたのです。
2.スピノザの『政治論』を読む
この多様性と画一性の矛盾をどのように克服するか。この問題を自由の観点から考えてみましょう。多様性は自由が認められ、画一性は自由を禁じられる、と言い換えることができます。スピノザによると、私たち人間は自然状態においては、各々の能力の許す範囲でやりたいことをする権利を持っています。この自然権に基いて自己の利益を肯定し、自己の権利を主張しようとするなら、他人と衝突することは避けられません。その結果、お互いは対立し、力の強い人が弱い人を従属させる世界を形成することになるでしょう。
この矛盾に満ちた解決の糸口のない状態から脱するには、各々がこの自然権を一途に主張するのではなく、互いに理解しあって、平等で協調の中に生活しなければならない、ということは理解されるでしょう。ここに共同体の概念が生まれます。そしてスピノザは、「各人がその有するすべての力を社会に譲渡すればいい」(神学・政治論16章)と主張します。共同体で生活する者は共同の権利をある特定の人または人々に委託する――契約――ことが必要になるのです。これが国家権力です。そして、市民はこの国家権力に対し、国家権力の力の及ぶ範囲内においては、絶対服従を義務付けられます。そうしないと国家が分裂しかねないからです。古代ヘブライ人はモーゼの勧めによって神と契約しました。キリスト教、イスラム教も同じ神と契約します。一方、日本人はこの契約の概念を持ち合わせていません。私もそうでしたが、神前式の結婚では三々九度の儀式はします。夫婦の契りを結び、縁を結びますが、神様とは契約しません。
国家が社会の平和と安全を優先すると個人の自由は軽んじられます。それとは反対に個人の自由を優先すると社会はカオス状態に陥る危険性があり、岩永先生の指摘にある通り、多様性と画一性の問題が勃発するのです。この矛盾をスピノザはどのように乗り越えたのでしょうか。国家権力は「必然的限界内においてのみ絶対的なもの」(『国家論』)だと考えたのです。スピノザは、「その平和が人民の無気力の結果にすぎない国家、そしてその人民があたかも獣のように導かれてただ隷属することしか知らない国家は、国家というよりは曠野と呼ばれて然るべきである」(『国家論』)と説きました。したがって彼は人間の本性が要求する程度の自由はこれを保留すべきだと主張したのです。すなわち、国家の目的は、「一方においては平和と安全、他方においては自由」ということです。
ところで、日本ではこの矛盾をどのように乗り越えたのでしょうか。お分かりでしょう、「話せばわかる」です。何しろエホバのようなゴッドがいない日本においては、聖徳太子の仰るように「和をもって貴しとなす」です。日本では話し合いを中心に置きました。
ここで一服します。1980年代から1990年代にかけて米国メニンガー財団による精神分析セミナーが東京と福岡を中心に行われました。目玉の一つが病院チーム医療でした。当時、米国メニンガー研究所に勤務されていました高橋哲郎先生のセミナーに参加したときの話です。日本では精神病院の入院には任意入院、医療保護入院、措置入院の3つがあります。任意入院とは入院生活の基本ルールを守ることを前提に患者さんの自由を保障しますが、医療保護入院や措置入院電はある程度自由は制限されます。自殺の危険性が高い場合、外出は禁止され、閉鎖病棟での生活を強いられます。その責任レベルは管理的要請(いかに患者さんの安全を保持するか、いかに病棟を能率よく運営するか)と治療的要請のために用いられました。治療の経過、病態の改善とともに、制限を緩めていくのですが、それを患者同士で決定する病棟もあれば、各人の責任レベルはチーム集団療法で討論されスタッフチームが最終的に決定するという話でした。自由を束縛すると自殺の危険性は低下しますが、患者さんの権利および治療意欲をも失わせる可能性もあります。そのセミナーで日本人には悩ましい契約論が飛び交いました。
患者さんの判断能力及び決断能力の低下をどのように治療に生かすか、という問題です。そのために入院する患者さんとどのような契約を結ぶかという議論でした。この契約を文書にして互いに責任をもって保管するのです。セミナーでは患者さんに責任を持たせると同時に自由を与えるという話でした。たとえば、ある患者さんは希死念慮がなくなったので集団療法の中で自由に外出したいと申し出ました。しかし他のメンバーは彼の日頃の行動に不安があります。そこでリーダーはメンバーの同伴による外出、つまり責任と同時に自由を与えるアイデアを提示したのです。阿吽の呼吸の関係性を重視し、外枠の決め事はあえて言葉にしない日本式関係作りに慣れた私は面食らいました。
契約は一神教から出た言葉です。アジアではどうなのでしょうか。お釈迦様のサンガを例に考えてみました。初期のお釈迦様のサンガでは特に規律は設けていなかったのですが、弟子が増えて、1000人を超えるといろいろな問題が発生し、その処置の結果が200以上の戒律として残りました。契約する相手はお釈迦様ではなくておのれ自身です。修行僧にはサンガで守るべき戒律が与えられ、それに違反すると、破門になります。ところが日本では、この戒律を骨抜きにして仏教を日本化しました。五戒のすべて、①人の悪口を言い、嘘をつき、②酒を飲み、③肉を食べ、④結婚もする。それに対して、一休さん以外、誰もが口を閉ざしました。想像するに、呆れて口も開いたままだったのでしょうね。しかも、平安時代のお坊さんは⑤戦うために武器を持ちました。弁慶の薙刀は有名ですね。石山本願寺は織田信長に屈せずに戦い続けました。このようにアジアでは、中国のことは不勉強で知らない(少林寺拳法は知っています)のですが、神との契約は問われないのが普通なのです。でも江戸が終わって150年以上が経過しました。契約という概念は、正しくかどうかはともかくも、21世紀の私たちの日常生活に浸透してきているのは事実です。
3.主権者としての「群衆の力能」
さて、17世紀の哲学者ホッブスは社会契約説――高校生の頃倫理社会で習った用語で懐かしいですね――を唱え、国や集団の主権者を「人工人格」と呼び、「自然人格」と対置させました。私たち市民を代表する国家もまた一つの人格を持っていると考えたのです。一方、スピノザは主権的な権利を成立させるのは「群衆の力能」だと言います。力能とは、聞きなれない言葉ですが、『エチカ』の第1部定理三四の中で「神の力能は神の本質」と述べられ、権力と力能の関係で登場します。ラテン語で力能はpotentiaですので、可能性、つまり「群衆のできること」だと考えたらいいでしょう。ですから、力能とはXをXたらしめている本性をも表わしていると言えます。
スピノザの群衆とは単なる人々の集まりのことです。その群衆のできること、とは何でしょう。トランプ大統領はそれを利用するのに長けた政治家です。常日頃不満を抱いている市民を誘導して自身の権力に変換する手腕に長けています。キリストを磔の刑に向かわせたのも「群衆の力能」でした。それを操ったのはキリストを憎むパリサイ人でした。中国の共産党が最も恐れるのは農民の群衆だと言われています。
群衆は「理性でなく様々な感情だけに支配され、何にでもまっしぐらに向かっていき、そして実に簡単に物欲や贅沢に屈してしまう」(神学・政治論)から見過ごしできないのです。感情に隷属する人間にとって人間ほど厄介な存在はないのですが、また、人間ほど頼りになるものはないとスピノザは言います。多勢に無勢という通り、人間は協力し合うと、とんでもない力を発揮するのです。結果的に、個人は集団に従わなければならないことになります。勿論それには、みんなが納得して従う根拠(法)がないといけません。
スピノザの「群衆の力能」はホッブスの人工人格と違って、人間の本性から生まれます。映画『グラディエイター』でも描かれましたが、古代ローマの皇帝は市民の娯楽として闘技場で剣士を戦わせますが、それを民衆の不満のはけ口として利用すると同時に、そのやり方が卑劣、つまり私利私欲に走りすぎる、とその不満はブーメランのように皇帝に返ってくるのです。皇帝も大統領も首相も、一国の代表者はある一面人気と誠実さが見えないと群衆から排除されるのです。群衆はとんでもない力を持っているのですね。
群衆がどうやって主権的な権力を持つことができるのでしょうか。それは群衆の一人一人が神と契約を結ぶように、「各人がその有するすべての力を社会に譲渡すればいい」(神学・政治論16章)というのがスピノザの考えです。日本の場合、江戸時代の五人組、昭和の町内会、明治の交番の設置、などのようにゴッドとの契約はなしで集団を管理していきます。そこで重要になるのが「話し合い」です。話がとんでもない方向へと進んで行ってますので、ここで一旦中止します。
4.群衆形成の「感情の模倣」
群衆がどのようにしてとんでもない力を持つようになったのか。その秘密をスピノザの感情の模倣をもとに考えてみましょう。それは、群衆の力とは何なのかも教えてくれると思います。「感情の模倣」についてはリレーエッセイ第6走者「人はなぜ褒められると嬉しいのか」で説明しました。再度、掲載します。感情の模倣について、本エッセイでは、畑中訳ではなくて上野修訳で紹介します。
われわれは、われわれに似ていいてしかもこれまで何の感情もいだいたことのない事物がある感情に変状されるのを表象すると、まさにそのことから似た感情に変状される(『エチカ』第3部定理二七)。
「感情の模倣」とは自分と他者の感情が意図せずに模倣されていく現象です。散歩の途中で泣いている女の子がいた、と仮定します。その子どもの悲しみは私の心にもそっくり発生し、きっと駆け寄ってその子に手を差し伸べるでしょう。このとき「我々が何の感情もいだいていないもの」とスピノザが但し書きを入れる理由は、愛する人が喜ぶことを表象すると私も喜びを感じるけれど、それとは逆に、憎んでいる者が喜ぶことを表象すると私は悲しくなるからです(第三部定理二七証明)。愛する人が転んだら駆け寄るけれど、嫌いな人だと思わず笑ってしまうように、スピノザはわざわざ「これまで何の感情もいだいていない」と付け加えるのですね。
実は、この感情の模倣は集団形成の源になる大切な言葉なのです。ある人の感情を他の人が模倣し、それは次の人たちへと模倣され、ある集団を形成していきます。ここでダンバー数を参考にします。ある課題を成し遂げるのに集団が乱れずにできる協調的行動人数は5人でリーダーは必要としません。30~50人は一団(バンド)と言われ、危険な国を安全に往来できる小さな団体です。一団ではリーダーを必要とします。人間が円滑に安定して維持できる関係は150人程度です。名前と顔が一致する人数です。親しい人への年賀状、ラインの登録も最大150人ですね。
それでは40人の小学校5年生のクラスを想定して群衆発生について考えてみましょう。私たちに似た子ども40人とクラス担任Bの先生が一人います。先生BがA男を叱りつけ、その子は泣き出しました。残りの39人の子どもたちはどういう思いをしているのでしょう。叱られて泣いているA男の感情を模倣して悲しくなっているグループX。叱っている担任の感情を模倣して腹を立てているYグループ。私は叱られなくてよかったとホッとしているZグループ。学校が終わり子どもたちは家に帰りました。Xグループの子どもたちは悲しくなっています。子どもたちはクラスであったことをお母さんに話すでしょう。その話はイマギナチオなので虚偽を含み真相とはかけ離れています。でも悲しんでいいる事実には変わりありません。事情を聞いたお母さんは子どもの悲しみを模倣し、悲しみを打ち払うように欲望(コナトゥス)が生まれます。「先生はひどいね。〇〇ちゃんのお母さんにも相談してみるね」と行動に移そうとする保護者、「あなたは怒られなくてよかったね」と抱きしめる保護者、等々が想像されますね。Yグループの子どもは、A男を好きか嫌いかで、感情の模倣も変化します。Zグループは感情の発生は小さいので、欲望は発生しないでしょう。
もし子どもたちがみんなAグループだとすると、それを聞いた保護者は悲しみに打ちひしがれ、恐怖から食事が喉を通らなくなる人や、悲しみから憎しみの感情が発生し、他の保護者と話し合って、その悲しみは倍加され、担任に対する憎しみが増長し、群衆と成り果てていくのです。
5.さいごに
「多様性と画一性」の矛盾を解決するのに自由の観点から論じてきました。矛盾に対するスピノザの群衆の説明から、一神教の契約論、そして国家論へと話が広がりました。スピノザの群衆は感情の模倣によるイマギナチオ、そしてそこから派生する欲望から形成されると説明してきました。さいごに論じたいことは、なぜ日本人は契約よりも話し合いを重視したのか、ということです。唯一神のキリスト教と違って、日本には八百万神と云われる通り、神様が数多くいるからではないでしょうか。人間も神様になることがあるくらいですから、その数は数えきれません。その神様に各々が契約を結ぶと統制がとれません。「ウチの神様はそんなことはないと仰いました」、「否、私んところの神は何も言わないので、私たちに判断しろということです」、「まさかそんなことはないだろうと話自体を信じていません」などと大混乱するでしょうね。ですから日本では契約でなくて「話し合い」なのです。多様性と画一性を乗り越えるには、それぞれの言い分を聞いて、お互いが納得いく妥協点を見出していくのです。それを裁く模範的な代表者は大岡越前守忠相です。彼さえいれば、ゴッドは日本人には要らないのです。しかも裁く人にはもののあわれを知る人でないと務まらない、ということは言わずとも知れずですね。