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【日記】首のシワの広告に、悩みを先取りされる気分


 首のシワの広告に、妊活のコツを教えてくれるSNSのポストに、求人情報をわざわざ毎朝送ってくるダイレクトメールに、悩みを先取りされている気分である。あ、それ、自分で悩むタイミング選びたかったんですけど。首のシワがつるっとなくなる! みたいな広告が目に飛び込んできてから、鏡を見るたびに自分の首のシワをチェックする癖がついちゃったんですけど。妊活しなきゃいけないのかなとか、次のキャリアについて考えたほうがいいのかなとか、そういうのぜんぶ、自分のタイミングでいきたかったんですけど! え? そっちから提案してくんなや、おい!
 そういう気分ですよー、まったく。ただでさえ悩み多き31歳なのに、これ以上混乱させないでくださいよ。
 私はもともとかなり悩みが多いほうの人種である。「なんでそんなどうでもいいことで悩んでんの」と、昔からよく言われた。見た目のコンプレックス、人間関係、これからの人生について、自分自身の存在意義について。とにかく細かいことでいちいち悩む。ぐるぐると考える。悩んで悩んで深く掘り進んで、いったん悩みの岩盤にがりっとスコップの先がたどりついてからでないと、納得して前に進めないのだ。うーんうーんと悩み、もやもやし、そのもやもやを解消するために行動し、成功体験を積む。そのくりかえしで成長してきた。だから一応「悩み方」には自分なりのこだわりがある。
 いろいろ悩みまくってきたからこそ思うのは、「悩む」という行為は攻めのスタンスでいかないとしんどい、ということだ。他人に与えられた「悩み」で悩むのはしんどい。自分で見つけた「悩み」で悩むべきなのだ。
 たとえば私は以前、ある人に「あなたには書く仕事は向いてない」みたいなことを言われたことがある。もっとべつの仕事も模索してみたほうがいいのではないか。そんなようなことを言われた瞬間、ガツーンと頭を鈍器でぶん殴られたみたいな気持ちになった。そうなのか、と思った。私は書く仕事は向いてないのか。
 自分よりも他人のほうが、自分のことをよく理解しているものだという。「ジョハリの窓」理論があるように、自分は気づいていなくとも、他人だけが知っている強みや弱みがあるという説もある。だから、その人の話を真剣に受けとめようと思ったし、以来、「書く仕事を続けるべきかどうか」ということについて悩むことになった。
 けれど、あとから思ったのは、どうせ悩むなら、自分で悩みはじめたかったな、ということだった。
 だってよく考えたら、書くことがほんとうに向いていないのなら、私はどこかで「私って、もしかして向いてないのかも?」という問いにぶつかっていたはずなのだ。その人に言われなくても。自分の意思で「悩み」のスタートを切れたはずなのだ。それを、「あんたって、書く仕事向いてないんじゃないの」とわざわざ他人から口出しされたせいで、悩みを先取りされてしまったのである。本来決まっていた挫折のタイミングが、ちょっと前倒しになってしまったような違和感があったのだ。
 どうせ悩むなら、自分で悩みたかったよ! それ相応の手順をふんで、ちゃんと転んで、挫折して、泣いて、立ち直りたかったよ!

 幸せなこと、豊かなこと。それを他人に奪わせてはいけない、自分の意思で選び取らなきゃいけない。そういう話はよく聞くけれど、悩みやコンプレックスだって、他人に勝手に口出しさせちゃいけないと思うのだ。悩みは自分だけのものとして、自分のふところにきちんとしまっておく。悩むべきタイミングは自分で選ぶ。先取りさせちゃいけない。
 首のシワ、目の二重、セルライト、鼻筋、くま、小顔。結婚、出産、子育て。毎日毎日大量の情報で溺れそうになる。これってもっと考えたほうがいいのかな、と不安になる。でもだからこそ、他人に介入されない自分だけのスペースを、心の中にちゃんとキープしておかないとなー、と、そんなことを思うのでした。





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