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『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観にいった話

圧倒的な水の描写。
それだけでも観にいく価値がある。
少佐と会ったときの波打ち際、「なんと美しいことか」
自然と目がいった。


軽くどんな話か説明。

これは、感情を持たない少女が愛を知るまでの物語。
彼女はまだ知らない、「愛してる」の意味を。
少女は生きる、"愛"のために。
想いを綴る、愛を知るために。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」公式サイトより



アニメは観ていたが、忘れていた部分もあるので
公式サイトにある、振り返りの動画をみた。

これは「アニメ観てたけど、どういった話があったっけ?」
という方々に配慮している。

周りで話題になっているし、ちょっと観てみようかな
という方々には冒頭10分の動画が公開されている。

これだけでも、プロモーションとして優れているな、と感じた。
「観よう」と思わせてくれること間違いない。

ここからは軽くネタバレになる。


PVを観てから、自分の唯一にして最大の関心事があった。
なぜ、ギルベルトはヴァイオレットに会わないのか?
これに尽きる。

彼は人間として彼女を保護するつもりが
結局は戦争の道具として駆り出してしまった。
酷く、自責の念があったわけだ。

そんな彼は最終的には、自分が彼女にとって
替えの効かない存在であることを手紙で知る。

お互いがお互いを傷つけまいと
距離を取ってしまおうとする、もどかしさが間に挟まる。
登場人物は不器用だ。

ひとには本音と建前があって、
言葉にできないことや言えない想いもあるけれど、
伝えたいことは出来る間に伝えたほうが良いし、
本当の気持ちは言葉にしないと伝わらない場合も多いのです。

映画での1セリフだ。

あなたも頭のどこかに
こういった思いがあるのではないだろうか?

それでも実行に移そうとすると難しい。
照れ臭かったり、タイミングがわからないといった感じだ。

このセリフは映画の確信を突いていると
自分は考えている。

このことを実行に移した結果、
登場人物たちは一歩踏み出し、自分の想いを共有していく。
未来が変わっていっているのだ。


この映画の時代背景は電話が普及し出していて、
手紙という文化が廃れていくことが懸念されているときだ。

それでも電話ではなく、手紙という手段を用いるのは
他者を通じ、文字に起こすことで
自分でもよくわかっていない感情を掘り起こし、
言葉として紡ぐことができるからであろう。

このことは現代でも、常日頃から行われている。
文章化など、まずスタート地点である。
文字でしか伝わらないこともあるのだ。


観に行こうかなという人はぜひ観にいって欲しい。
後悔するとは思えない。

久しぶりに人に強くお薦めできるアニメに出会えた。
感謝したい。

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