メンタルがやばすぎて、自分が食べてきたものについて知ろうと思った話。
※動物に関するセンシティブな内容が含まれています。苦手な方はここでページを閉じてください。
眩い蒼天と、纏わりつくような湿気をまだ含んでいない気持ちのよい風。夏が待ち遠しいなる今日のこんな空に対し、私の心は「ちょっと何を言っているのかわからない」状態だ。つまり、メンタルが相当やばくなってきていた。
理由は分かっている。
私の周囲の人たちは、社会に必要とされる人、会社に必要とされている人、家族や恋人や友人に、そう、みんな誰かに必要とされている人ばかりだ。
で、私は?
好意的に接してくれる人は、私にも「いなくなったら悲しいよ。いらない人間なんていないよ」と言ってくれるだろう。だが、彼らにとって「必要」かと考えると、正直言って必要とまではいかない。
この先も、寛大な人たちの好意に甘えながら一人ダラダラと生きていくのか、と思ったら、もうダメだった。
ダメなら早く消えろ! と言われそうだが、残念ながら私は随分と未練がましいやつだ。しぶとさはクマムシレベル! いや、べつにクマムシはしぶといわけじゃないんだけどさ。とはいえ、必要とされていないと分かっていながら何もせずに生きていることにしがみついているだけでは、自分ながらに目も当てられない。
なので、今まで散々私が消費してきた食についてそろそろ本気で考えようと思った。せめて、これからも生きるなら(いや、生きないとしても)私なんかに消費されてきた命の尊さについて学ぶべきだろう。
今までも、食に関係する書籍を読んだり、ドキュメンタリー番組を見たりしていた。だが、ここしばらく、かつてないほど絶不調なメンタル状況だったので、直接見学に行ってみようと思い、行動に出たというわけだ。
とは言ってみたものの、いきなり現場へ行く勇気はなかった。情けない。なので、品川にある「お肉の情報館」に行くことにした。
品川といえば、平日の朝晩なんてあの広い通路がまともに歩くことができないほどの人混みだ。そもそも、駅のホームから改札を出る短い間だけでも人の多さで気絶しそうなレベルだ。
そんな品川駅から徒歩で一〇分程度。立派なビルの中に、お肉の情報館はある。
さほど広くないが、見やすいパネルでの説明や、模型、実際に使用されている道具などが展示されており、十分な見応えだ。パネルだけで分からない部分は、係の人がいるので質問できる。丁寧に説明をしてくれた。
「詳しく知りたいなら映像もありますよ」
そう係の方が仰ってくださったので、約三〇分の映像作品を視聴することに。
映像は、牛と豚の解体についてだった。
内容については、ここには書かない。私のように図太い精神の持ち主ばかりではないことは知っている。例えば、病院で手術をしてもらったんだから、その工程を見るべきだと言われても、やはり厳しいものがあるだろう。
実際、私も途中で涙が止まらなくなって、席を立とうかと思った。だが、それでは何にも考えずに消費するだけで、今までと何も変われない。そう思ったら、最後まで見ることができた。
見た感想として
私は、長い間、何にも考えずに食べてきた。美味しいお肉が食べたいと、何もしないくせに、何も役に立たない人間のくせに、消費するばかり。
だから、見てよかったと思う。
そして、解体作業をされている方々の職人技はただただ尊敬しかない。私は彼らの技術と衛生管理のおかげで何も考えず美味しく頂き、神経を尖らせて調理する必要もなかった。これは、すごいことなのだ。
ただ、自分では到底できない技術を持った人たちを尊敬するのではなく、差別をする人がいると知って、かなりショックだった。差別をしている人たちは、一度でもお肉を口にしたことがあるのだろうか。自分は食べるが、食べられるようにしてくれた人に文句を言って、やはり食べ続けるのだろうか。いや、生まれながらのヴィーガンだったとしても、やはり差別はするべきでないと思う。食の違いを攻撃するということは、結局ヴィーガンを批判することも認めるという大きな矛盾を孕んでいるのではないか。
私は、現在肉を口にする機会を減らしている。フレキシタリアンだ、と言い切っていいのか分からないが、少しでも回数を減らすようにしている。今後は、もっと減らしていくだろう。
でも、美味しそうにお肉を食べている人を見るのは好きだ。
帰り道。電車の時間まで少し空きがあったので、駅ナカの食料品売り場を歩いていた。
洋菓子にパン、そして加工された豚肉専門店とちょっとお高めな店が並んでいた。
買い物客の中で、淡いブルーのシャツに、少しカールした明る髪の上品な女の人が、冷蔵ケースに並ぶ肉を吟味しているのが目にとまった。ゆったりと首を左右に揺らし、しばし悩んだあと、彼女は店員さんに注文をしていた。
今夜はハムとワイン、そしてすぐそこのパン屋でバゲットでも買うのだろうか。彼女の豊かな夕食が目に浮かぶ。
食べることは、誰かにとっての幸せなのだと思う。もちろん、私にとっても。その幸せな時間に辿り着くまでには、尊い命があり、その命を安全を遵守しながら美味しく気軽に口にできるようにしてくれている人がいる。
まだまだ勉強不足だが、まずは今日学んだことを無駄にしないように。食べることへの感謝の気持ちを。