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自己紹介します。

ろんごのおじさんになるまで

人生に無駄なことなんて無い ~人生の連鎖について~

みなさんがこの文章を読んでいるときに続けているかどうか分かりませんが、これを書いているとき、ろんごのおじさんは、高円寺の知人の居酒屋でアルバイトをしています。週二日程度、店の要望に応じて、キッチンやホールでたばこや揚げ油の臭いに混じりながら働いています。
二十歳代や三十歳代の若い男女と一緒の職場で働くのは大変刺激的で、この経験は、同時期に始めた論語五百余篇の解釈に大きく影響しています。私なりの論語の解釈を届けたい年代でもあるので、

コロナ禍。
約八年間続けていた子ども向けの論語教室の継続を諦めかけていたとき、論語の解釈をして、その内容を動画で配信し始めました。あらためて論語に向き合ったことをきっかけに、東中野のレンタルスペース・オルデュールで「寺子屋[論語]素読会」を始めたのです。

このオルデュールの論語会には、以前に受講していただいたパソコン・インターネット教室(おなじオルデュールで開講)の生徒さんにも参加していただいています。以前の教室では教師と生徒の関係でしたが、今は一緒に論語を学び、考える同志のような感覚で、関係性が進化している点が大変興味深いです。

子ども向け論語教室は、子どもの同級生を中心に近隣のお子さんを対象にして足掛け八年間、月一度、自宅や集会室などで開催しました。現在も師事する安岡定子先生の寺子屋へ遠征することもありました。子どもたちとのご縁は今も細々と続いていて、私の心の支えになっています。

子ども向け論語教室を始めるにあたっては、安岡定子さんの短期講座(全三回)がきっかけでした。初回の講義で安岡定子さんの情熱に共感した私は、第二回目に自分が主宰する論語塾の企画書を見ていただきました。それ以来、定期的に私の活動を気にしていただいて、それが心の支えになっています。

SBI大学院大学の教授・守屋洋先生にも子ども向け論語塾を始める前にお伝えしました。「あなたは変わったひとだね。」というお言葉は、私の誇りです。
そして、四十歳代にしてようやく中国古典、先人の叡智に触れるきっかけをくださったのが、SBI大学院大学を創設された北尾吉孝学長(当時)です。北尾吉孝さんの著書「君子を目指せ、小人になるな」によって開眼したからこそ、私の今があるのです。

さて、SBI大学院大学入学以前の私を語るのは少し勇気が要ります。
当時の私は今よりも更に、無知で思い上がりの塊でした。もっと前に論語に出会えていれば、もう少しまっとうな人生を送れていたかも知れません。

二十歳代の後半五年間、お世話になったのは大手印刷会社の関連会社で、マルチメディアということばが一般的になってきた当時、その製作と製造を担うちょうと中間にある会社でした。そこを辞めた直後の三十歳代、三年目からは個人事業主から法人化できたのは本当に幸運でした。

しかし、なんのインプットもない当時の私にはそこが成長の天井で、当時の私にはどうしたらいいのか、それを相談する仲間さえもいない状態だったのです。

孔子が弟子たちにくり返し伝えるように、当時の私は、もっと慎み深くあるべきでした。そして、先人の知恵を学ぶべきでした。
だからといって、卑下したり後ろ向きになることはしません。そんな私の経歴だからこそ伝えること、伝えられることがあると思います。
孔子も天命を知ったのは五十歳でした。六十歳になって他人の言葉に素直に耳を傾けることができるようになったと言います。
私の人生に無駄なことなどなかったのです。今を精一杯生き、人々に論語を届けることが私の天命だと思っています。

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