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中学受験にあまり肯定的じゃない話

中学受験の季節だ。今日はいつか書こうと思っていた中学受験について。

小3から塾に通わされていたにも関わらず、私が中学受験という概念を知ったのは小5の終わりだった(ちなみに高校受験を知ったのもだいぶ遅い。それまで受験は大学にしかないと思っていた)
今思うと暇なときは2+2=4、4+4=8、8+8=16…と八万うんたらまで足し算をし続けるのが好きだったので勉強嫌いではなかったのだと思う。学校の100マス計算もクラスで3番目ぐらいだった(当時の一、二番目は学研通いの男子だった)

地域的に勉強ガチ勢なんてそうそういなかったが、公文・学研で高校範囲まで習ってるんだと自慢する子は少なくなくて、自分の通う塾も公文や学研と同じ扱いだと思っていた(実は中学受験塾だったわけだが…)

小3ぐらいまでは塾も週一で割とお遊び的な感じだったが、小4になると急にガチ感が増す。人が増え、授業が週2になり、授業時間も長くなり、宿題が多くなる。

馬鹿正直に全部をこなした。泣きながら3時間ぐらいわけのわからない計算問題に向き合ったこともあった。父(灘→東大のバカエリートである)は頭良すぎてなんの解説をしているのかさっぱり。xとかyとか小学校の解説で使わないでほしい。

さて、違和感を覚え始めたのがこの辺り。小学校で急に私がダントツの『天才』になったのだ。あんなに百マス計算が早かった男子も、公文で高校範囲をやったんだと自慢する女子も、みんな私の計算スピードや知識量に追いつけなくなった。『天才』と呼ばれる人たちだって努力してるんだーという主張をよく見るが、私は周りより努力したなんて事実より『天才』の称号が気に入ったので悪い気はしなかった。

塾でも上の中ぐらいの成績はキープしていた頃だと思う。どの先生の授業も学校では得られないタイプの栄養を持っていた。特に算数の先生の雑談は面白くて、だから私は算数が好きだった。

あの算数の先生は私の進路にも影響している。小学生に説明するには時間がかかりすぎることを教えるとき、先生は必ず「三角錐の堆積はこういう公式。理由は聞くな、高校で理系行ったら習う」と言った。この式の意味を知りたい、理系に行きたいと初めて思ったのはこの時だった。

閑話休題。小4小5の私は頑張っていた。あの頃頑張ったから基礎力が固まって小6サボりまくってもどうにかなった、というぐらい小6はサボり続けた。

冒頭に書いた通り、小5の終わりに中学受験という概念に気付く。小3までの同級生とうまくいかない私なら喜んで別の中学に行っただろうが、残念ながら小5の私は学校生活超エンジョイ勢だった。

小6になる直前から家で勉強をしなくなった。スマホは持っていなかったのでその辺にある小説を片っ端から読んでいた。幸い中学受験塾は授業だけで呆れるほど演習量を積ませるので演習量には大した問題がなかったが、復習をしないので基本何も身につかない。唯一真面目に解いたのは過去問である。あと学童で誰にも喋りかけられたくないときは理科の資料集を眺めて勉強してますよ感を出してた。正直プランクトン可愛いなあぐらいしか思ってなかった。ぼっちではない(圧)

一方学校の課題は楽しかった。筆算に定規を用いないと怒られるのだけは嫌いだったが、計算ドリルはクラスで一番に終わらせて隣の席のYくんを煽ることに全力を注いだ()

受験の天王山と言われる夏もサボりまくった。なんなら親が息抜きとして旅行に連れて行ったので同罪である。秋も冬もやる気は出ない。そんな頃、国語の授業でこんな文章を読まされた。

僕はお母さんの飾りじゃない。お母さんは受験に受かった僕を周りに自慢したいだけなんだ。

超うろ覚えの小説の概要。タイトルは忘れた。

ここで何かが崩れた。そうだ、私は塾に行きたかったわけじゃない。受験をしたかったわけじゃない。小学校の同級生と同じ中学で同じように学べれば良かった。きっとうちの親は私を飾りだなんて言わないけれど、「私のため」の受験じゃないことは明らかじゃないか。

受験する子が少ない地域だったことも災いした。みんなが頑張っていたら何か違ったかもしれないが、私以外は放課後遊びまくっていた。

塾は遅刻しがちになった。ガッツリ休むと怒られそうなのでバスが遅れたで誤魔化せそうなレベルの遅刻を繰り返した。

成績はダダ下がりで、親が第一志望にしたいと願った学校は最終的には受験すらせず、個人的に合唱部が気に入っていた今の学校を第一志望にした。

救いだったのは小6のときの担任に理解があったことだ。周りが受験をしない地域で、学年で唯一私立のために頑張るのは苦しいだろうと声をかけてくれた。先生に私の受験を止める力なんてないけど、そう言ってくれた大人は最後まで先生だけだった。

2月4日に遠足があるのが分かって初めて、受験に受からなければなるまいと感じた。あの日の私にとって、受験の合否より遠足に行けるかが一番大事だった。別にそのために勉強を頑張ったわけではないのだが、そこらの受験生と比べて2月2日の入試に対する覚悟が違ったのである(1日目で受かれよ)

父曰く入試直後の様子からは落ちたなーと思ったらしいが、結局2日に合格を叩き出し元気に遠足へ旅立った。

結果論を言えば、中高での友達や先輩後輩との出会いは良いものだった。この学校に入らなければできなかったことだってたくさんある。まあ、先生たちのことは基本的に嫌いだけど。

でもそれはあくまで結果論だ。あの頃の私が苦しかったことに変わりはないし、きっと小学校の同級生と同じ公立中学に行っても私はそれなりに楽しんだだろうし、受験さえなければ友達のままだった子もいたはずで。

もし中受を考えている親御さんがこれを読んでくれたなら、一度考えてみてほしい。子供と相談してもいい。本当に子供のための中学受験なのか、今の人間関係と将来の人間関係のどちらを取るか。「将来のため」という言葉は子供には一番響かない。子供にとって一番大事なのは今この瞬間である。大好きだったピアノを辞めて勉強する意味は、私には見出せなかった。

弟の受験も大変だったので、私は中学受験には否定的だ。泣きながら嫌々やる受験に意味はない。良い中高に入って良い大学を目指すことは全てじゃないし、中学受験したところで将来の選択肢が広がるわけでもない。別に中学受験しなくたって良い大学は目指せるし、むしろ公立高校に広がる専門学校や就職の道は私立では選びにくいものだから。

もうすぐ、5年前の今日。私が合格した時間になる。

P.S.合格してから謎に勉強する気になって中学の予習を1ヶ月したにも関わらずマイナス×マイナス=プラスで躓いて学年順位下位20%からスタートを切った私ですが、今では理系で友達と「積分って浪漫だよね」「オイラーの等式激アツじゃない??」とかいうふざけた会話をできるようになったので大丈夫です。成績の振るわない中1の皆様も中学が怖い小6の皆様も保護者の皆様も慌てず騒がず。でも英単語と英文法はちゃんとやっときましょう(現在大反省中)


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