守り勝つ野球への一部の誤解
この数年の中日の課題は致命的な長打不足で去年もチーム本塁打数も66本とリーグワーストの成績でした
ですがこのチームの貧打ぶりに守り勝つ野球というワードに対してアレルギー反応を示す人が多い様にも見えます
守り勝つ野球を改めて振り替えてみる記事を書いて見ました
チーム打率と本塁打がリーグワーストでリーグ優勝した2011年
最近の中日ファンの皆さんは守り野球と言うと言うと2011年のリーグ優勝のイメージを持つ人が多いと思います
あの当時は飛ばないボールの影響で多くの球界を代表する打者が苦戦を強いられ
中日ももろにその影響を受けて森野や和田が不振に迫ると言う事態に迫まって期待されていたグスマンも期待外れと言う結果に終わり、チームは致命的な攻撃力不足の貧打打線に
ですが吉見、チェン、浅尾、岩瀬を中心とした圧倒的な投手力を活かし少ないチャンスを1点を取りその1点を守り抜くを野球をして勝ち星を築きあげ、首位だったヤクルトを追い抜き見事に連覇を達成しました
ではあの時も最初から貧打にするつもりだったかと言えばそうでもありません
失敗に終わったとは言えグスマンを獲得したのも打撃陣を何とかしようと獲得したわけですし、飛ばないボールで二桁本塁打を打った当時若手だった平田も積極的に起用をしていきました
というよりもあのボールが事故球でここまでの事になるとは予想できなかった人は多かったはず・・・・
投手を中心とした守り勝つ野球の始まり
そもそも中日の守り勝つ野球が始まったのはナゴヤドーム元年の1997年にそれまでの打撃中心の野球で大苦戦して最下位になった事から始まりました。
それをきっかけに当時の星野監督はそれまでの打撃中心の野球を改めて投手中心の投手を中心とした守り勝つ野球に切り替え次の年には2位に順位を上げて1999年には見事にリーグ優勝を果たす事になります
その守り勝つ野球は落合監督でも引き継がれ
そして落合監督下での中日は8年間で4度のリーグ優勝日本一1度でBクラス転落無しという黄金時代を築きました
星野監督と落合監督がやっていた守り勝つ野球はわざと貧打にするようなものではありませんでした。この二人の監督は投手を中心とした守りを軸にして走攻守で弱点の無いチーム作りをしていたのです
星野監督の頃は阪神から大豊と矢野を放出して守備と走塁に定評のあった関川と久慈を獲得する一方で1999年は4番ゴメス5番山崎を置き2番に福留を起用すると言う攻撃的なオーダー組んでしましたし
落合監督の頃はアライバや谷繁を守りの要として攻撃陣は森野を育てたりウッズやブランコ、和田を獲得したりと攻撃陣の軸はしっかりと固めていました
近年続く貧打での守り勝つ野球へのアレルギー
ところが最近はその2011年のリーグ優勝のイメージが先行して守り勝つ野球=貧打と判断する人が多い様な状況です
去年は中村紀打撃コーチと波留打撃コーチの1軍2軍入れ替えで一騒動があり、その際に「単打育成プログラム」なる報道やオフに涌井とのトレードでチームで2番目に本塁打を打った阿部を放出と
立浪監督は長打軽視の守り勝つ野球をしているのではないかと誤解されている始末
自分も立浪監督にはいろいろと懐疑的に見ていますが
しかし立浪監督は目指す守り勝つ野球は1999年の星野監督や2006年の落合監督の頃の野球であるのは確かでしょう
それが証拠に外国人ではメジャー通算で41本塁打の実績のあるアキーノや4年前まで在籍していたアルモンテを再獲得、現役ドラフトでは長打に定評のある細川を獲得するなど打撃陣を何とかしようとする姿勢は大いに伝わります
今日からキャンプが始まり多くの選手が精力的に猛練習に励んでいます
立浪監督にはぜひとも星野監督や落合監督の頃のよう強いチーム作りをして欲しいところですね
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