銀座寒風時(ぎんざナイトガイ) 〜花金銀ブラ(後編)
上記日記の続き。
そんなわけで昨日の夕方にママと銀座に行くことになったのだが、当日の朝になって俺が定時に上がったのでは、とてもじゃないが時間が無いことに気づいた。
なにせほとんどの飲食店が20時には閉店とさらに酒の提供は19時までという「要請」が出ているのだ。そこで午后になって管理職をつかまえ「ウチの空調が壊れたので」と、2時間早退させてもらうことになった。
いわばナントカも方便の類《たぐい》だが、ここで「自宅」ではなく「ウチ」とというのがミソ。だからどうだというのでもないが自宅も店も〝ウチ〟には違いないのであながち嘘ではない。ま、気持ちの問題だが(笑)。
ということで16時前後に有楽町ビックカメラ5階のAppleコーナーで合流。ゆるゆると銀座一丁目へと向かった。
いつもは数寄屋橋交差点あたりからスタートする我らの銀ブラの往路としては、これはわりと珍しいコース。
「夕餉はどうすっかねー」
「きょうはラーメンとかはヤダなー。ちゃんとゆっくり食事したい」
などと話しつつ間もなくタニザワさんのある中央通り(銀座通り)というところで、広島県のアンテナショップの前を通りかかった。
ママが買いたいものがあるというので、外で待つことしばし。ショップからすぐ横の角を曲がったガス灯通りに入り京橋方面を見やると、すぐのところに今どき珍しく路上に灰皿が設置されている。そこでこれ幸いと、一服つけることにした。
どうやら建物の2階にある会員制クラブの喫煙コーナーと思《おぼ》しい。昨年4月に施行された受動喫煙防止条例のためおそらく店内では喫煙できなくなったので、急階段の下、外に出て喫煙しなければならなくなったのだろう。
どこも大変だなーと紫煙を燻《くゆ》らせながら隣のイタリア国旗を掲げた店舗にそれとなく目を移すと、これがまたなんともい〜い感じに昭和レトロなイタリアン・レストラン。
火を消し、近づいて入り口の案内板を読んでみたところ、なんと昭和28年(1953年)から営業しているとのこと。つまり70年近くの歴史があるということで、〝かの〟六本木の『キャンティ』より8歳も先輩であるのみならず、初代ゴジラが銀座を破壊し尽くす1年前からあったわけだ。
しかも店頭で紹介されているディナーのお値段も、安いコースで一人あたり2,000円ちょっとという「銀座のイタリアンでこれ!?」と驚かざるを得ないもの。
その名も『イタリー亭』。俺なんぞそれこそ大袈裟でなくこれまで百回以上は店の前を通ってきたはずなのだが、今回初めて目に留まった。これだから人生、不思議というか面白い。
すぐさまアンテナショップから出てきたママを手招きで呼び寄せ、夕餉の第一候補に決定。で、とどのつまりこちらで素晴らしい時間を過ごすことになったのだが、その詳細についてはまた機会をあらためたい。
さていよいよ今回のメイン・テーマである『銀座タニザワ』さんへ。
ホントにもう、これが銀座の老舗の醍醐味だよという紳士的な店員さんにいろいろと「鞄」(Part1参照)をご紹介いただきグラッと来るものがあったのだが、今ひとつ即決するには至らず、こちらも丁寧にご挨拶をして失礼させていただいた。
で、次はどうするかということでまずは我らが聖地『Apple 銀座』に赴いたのだが、このご時世下、来店には事前予約が必要ということで断念。向かいの「MATSUYA GINZA」こと『松屋銀座本店』(注:牛めし屋ではない)に行こうということになった。
これまた銀座通のかたがたには釈迦に説法だが、MATSUYA GINZAの7階は、1980年代の半ば頃から個人や小規模な工房のクラフト(工芸)製品に力を入れており、我ら浪漫社にとっても定期的に訪いたい重要拠点のひとつ。
そこでエレベーターで一気に向かおうということになったのだが、真っ先に来たのが8階直通。まあ1フロア下ればいいだけなので乗ったのだが、これが大正解。同フロアのイベントスペースでフランスの個人作家を中心としたアクセサリーや身の回り品などのフェアが行われており、これがまたセンスが抜群で、目の保養というか勉強させてもらったというか、さすがMATSUYA GINZAだと舌を巻いた次第。
そして7階へ。
例によってセンスのいい様々なモノたちに感心していたところ、ふと、カバンを陳列している店舗に目が留まった。
が、どこか普通のカバン店とは雰囲気が違う。
これまた品の良いご婦人の店員さんから話を伺ったところ、本業は日本で唯一の「馬具」屋さん。つまり鞍《くら》だとか鐙《あぶみ》だとかそして手綱だとか、お馬さん関連のグッズ——というと安っぽくなるが——のメーカーで、しかも宮内庁御用達だという。
その名を『ソメスサドル』。
シャレではないが、馬具屋さんのバッグ。どおりでひと味ちがう、タケヤみそ。
これがまた素人目にも凄い作りで、ブランド名で売れているこの数十年に銀座にも立ち並ぶようになった各国のバッグ等の店に比して、品質からすれば10分の1ほどのお値段。
トートバッグなんかは本体が本革なのはもちろんのこと、持ち手は手綱を使っているという。なんとかっちょいい。
さらにここがまたグッと来るところなのだが、ブランド名がほとんど見えないほどに控えめなのがたいへんによろしく、例えば皇室のパレードなどが中継された際に、
「俺のバッグはあの馬車の鞍や手綱と同じ知る人ぞ知るメーカーのモンなんだぜふふふ」
と、密やかなよろこびに浸《ひた》ることが出来るというわけだ。いやー、想像するだにたまらない。
とまれここでもまだまだ即決に至れずカタログなどいただいたままに失礼させていただいたのだが、俺の中ではもう、タニザワさんにするかソメスサドルさんにするか、ほとんど二択になってしまった。
近いうちに本来の目的であるところのM1 MacBook Airちゃんを持って両者に出直し、決めることになるだろうというのが今現在の俺の心象。どちらもけっこう清水の舞台から飛び降りるぐらいのお値段ではあるのだが。
ところでそうこうするうちに、そろそろ夕餉にしなければならない時間のタイム。
『和光』がある尾張町四ツ辻こと銀座四丁目交差点より折り返すことになったのだが、ここで絶対に寄らなければならないのが、老舗の一つであるネクタイ専門店の『田屋』さん。
以前にも綴ったように俺はバーのマスターであることとは関係なく手結びのボウタイ(蝶ネクタイ)を昼の勤務先含め日頃から愛用しているのだが、なかなか売っていないそれを、この数年は田屋さんで購入している。
そこで今回も田屋さんに顔を出したのだが、残念ながらもう需要が極少しているらしく、一昨年までは微々ながらも陳列されていたボウタイが、見えるところには無かった。
で、店員さんにその旨を申し出たところ申し訳無さそうに店奥の引き出しから出してくださったのだが、これまた残念なことに首の後ろでホックで止めるものはいくつかあったものの、手結びのボウタイは一品のみ。しかも無難な柄。
ご時世下いたしかたなしといったところだが、俺みたいなファンというか消費者は少なくも一定数存在することを語って快く聴いてくださったのだが、その際に嬉しかったのは、
「いつもご愛用、ありがとうございます」
という、その時に俺が締めていた4年前だと思うが田屋さんで購入したボウタイにしっかりと気づいてくださったこと。
正直俺も高級店であるところの田屋さんでボウタイを購入するのはせいぜいが毎年の自分へのご褒美で1年か2年に過ぎない。が、それでもしっかりと自社製品であることに気づき、ボウタイ以外は安物に身を包んでいるたいしたご常連客様でもない俺に対してそうした「心づかい」をしてくださることに、あらためて、
「やっぱ、銀座は最高だ」
と、これまで綴ってきたことと、若い時分から銀座を愛してやまない自分に対して感慨を新たにした次第だ。
銀座は、心を贅沢にしてくれる。
ということで四丁目交差点で折り返し、明治の初期に山岡鉄舟より明治天皇皇后に献上されたものでもある『木村屋総本店』さんの「あんぱん」を土産に買い——まさに今しがたそれをいただいたところ——「イタリー亭」で大満足をしたあとに銀ブラを続けたのだが、そのことはまた、別の主題として近いうちに綴りたいと思う。
銀座も変わったが、変わらないところもまだまだ数多い。
大変はたいへんだが、むしろこういう状況下だからこそ、本来の「銀座」をあらためて我らが皆、考え行動していくべきなのだろう。
愛する銀座。いついつまでも俺が愛する銀座であってほしいと切に願う。