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異世界探索記34 七福神

旧ser.46(2022年7月22日公開)ser.49(8月20日公開)より抜粋

⑨ 2022年7月22日③朝 「弁天(弁財天)」


フェイドインすると、実家2Fの玄関側の部屋。窓際にあるベッドの上。窓から出て廂に降りて空を見ると、白っぽい夜空で、たくさんの星が瞬いているのが見えた。
私は廂の上で座ったが、何を呼んでいいか分からなかった。しかし突発的に「弁天」と言った。すると座ったまま前に倒れこんでいき、地面に転落していくような感じになった。私は「弁天って短めに呼んでしまったな。(弁財天の略称?)しかも「さん」を付けたほうが良かったのではないかな?(弁天さん)」とか思っていた。
迫ってくる地面に少し迫力があったが、そのまま地面の下に下降して行った。いつものグレーの斑空間だ。なおも自動運動が続き、少し背中向けに倒れる感じになった。そしてスワジスターナ後方とその少し奥のほうまで、キューンという強い快感が走り始めた。女性っぽいというか、色で言うと薄ピンクみたいな感じだ。この体勢のまま快感を覚えつつ、斑空間の中をあちこち浮遊していた。その浮遊の動きの法則性を捉えることはできなかった。しばらくして「もっと倒れたい」と思うと、少し斜めに倒れていたのが、さらに仰向けに倒れこんでいった。そして同じようにあちこちに斑空間を浮遊していた。一瞬だけ、右足の踵が地面のような場所に擦れるのを感じたが、すぐに浮遊した。
長髪のたいへん美しい女性の影のような姿(少し大きい)が右側に、下から上に上がっていくかのように見えた。(かつて接触した「かぐや姫」を思い出させるほど美しい)
快感は益々強くなっていく感じで、スワジスターナ後方だけでなく、お尻全体に放射状に広がっていた。やがてフェイドアウトして、自宅自室のベッドの上にいたが、なおも強い快感が続いていた。フォーカス10の状態だったと思われる。やがてこのフォーカス10の状態も解除されて肉体的に目を覚ましたが、その快感の余韻が残っていた。

① 2022年8月12日朝① 「福禄寿」


変成意識に入ると、おそらく実家2Fの中央の部屋だった。少し濃く出すぎているせいか、体の動きが少し思い感じがする。私は予定していた通り、「福禄寿」を呼んだ。声がやや小さめにしかでなかったのが特徴的だった。両腕を天に掲げるような体勢。俯せになり、床下に滑降していった。いつものグレーの斑空間だ。ほのかに鼠径部にエネルギーが集まってくるのを感じた。明確ではなく、そんな感じがするという程度。その後、何かの動きがあったかもしれないが、シンプルなものだったはずだ。そのままフェイドアウトした。

② 2022年8月12日②朝 「寿老人」


フェイドインすると、おそらく実家2Fの中央の部屋だった。両腕を天に掲げ、「寿老人」を呼んだ。さきほどと同じで、声が小さくなったのが特徴的。同じく俯せになり、床下のグレー斑空間を下降していった。何かの動きがあったかもしれないが、記憶に残っていない。これもシンプルな動きだったはずだ。福禄寿と似たような感じだったが、全く同じではなかったと思う。フェイドアウト。

③ 2022年8月12日③朝 「布袋」


フェイドインすると、またおそらく実家2Fの中央の部屋。視野が黄色っぽくなっていた気がする。さっきまでは、暗い青緑がかった視野だった。予定していた通り「布袋」を呼んだ。すると、このときは勢いのある男性の声で、少し濁っているというか、汚いわけではないが、麗しい声では無かった。
すると自動運動が始まり、床下のグレー斑空間を沈んでいった。すると次第に両脚が曲がり始め、両腕も曲がり始め、四つん這いのような体勢になっていった。そして斑な空間の中でどこかに着地する感触があった。このとき両脚のスネと両腕の前腕が床についているような体勢であり、何か暗い黄色の部屋のような場所にいた。するとさらに自動運動が続き、両腕が前へと伸びていき、イスラム教徒がモスクに向かってひれ伏しているような体勢になった。この時、鼠径部にエネルギーが集まっていたと思う(ほのかに)が、それと同時に背中側のハートのチャクラ辺りに、暖かなエネルギーが広がっていくのを感じた。なんとなく、そっと手を置いてもらい、そこから暖かいエネルギーが広がっていくようなイメージを持った。そのエネルギーは優しく、私のことを大切に思ってくれているのを感じた。ふと、黄色い壁の向こう側に、布袋さんがいらっしゃるのだろうかと思った。私はひれ伏す体勢になっていたのだが、そこに安らぎを感じていた。フェイドアウト。

④ 2022年8月12日④朝 「大黒天」


フェイドインすると、おそらくまた実家2Fの中央の部屋にいた。そこでさらに「大黒天」を呼んだが、この時の声も勢いのある男性の声だった。両腕を掲げた体勢。布袋の時にくらべて、掠れた感じがなくなっており、やや美しい声になっていた。
自動運動が始まり、床下のグレー斑空間を沈んでいった。いつの間にか、体勢が大の字になっていた。下降しながら左足に弱い快感が走っていた。するとぐるっと体が横に回転し、仰向けになった。ほんの少し仰向けで下降したかと思うと、すぐさまさらに横に回転し、俯せになった。そしてそのまま下降しながらフェイドアウトした。

⑤ 2022年8月12日⑤朝 「恵比寿」


フェイドインすると、実家近くの小道、牛乳屋さんだった家の前辺りにいた(時々ここに来るので、何かのポイントになっているようだ)。体が勝手に動き、あっちにいったり、こっちに行ったりしようとする。しかしそれに反して自分の意志で動くこともできた。空を見ると時々見る白っぽい夜空で、たくさんの星が瞬き、北斗七星らしきものが見えた。
私はゴリ押す感じで、両腕を天に掲げ「恵比寿天」と言った。(天はいらないのだが、間違えて覚えていた)勢いのある男性の声。
すると自動運動が始まり、俯せになり、地面下のグレー斑空間を沈んでいった。下降しながら、エネルギーがお尻辺りに集まってくるのが感じられた。そしてキューっという感じにしまっていった。スピカの時の体験に似ているが、今回のほうが威力は弱い。そしてこのお尻を包み込むエネルギーが、鼠径部全体を包み込むようになったと思う。そしてそのままフェイドアウトし、肉体的に目を覚ました。

⑦ 2022年8月15日朝 「毘沙門天」


最初、夢を見ていた。私が通っていた小学校の校舎の外側のような光景。私は指揮官であり、部下の女性たちはロボットに乗って悪者をやっつけるという設定だった。一人の部下が、何からの理由でロボットから降りて、逃げることになった。
緊急で、私自信がそのロボットに乗り、敵をやっつけるか、あるいは脱出するかという状況になった。私はロボットに向かって走っていた。ロボットは透明であり、「そうだ。あれは一般人には見えない設定だ。」と私は思った。女性隊員から、「隊長!操作できるんですね?」というメッセージが届いた。私は「これに乗るのは久しぶりだな」と思い、かつて自由自在に乗りこなしていたことを思い出していた。
そして見えないロボットに乗り込んだ。すると少し寝そべるような体勢(斜め30度くらい)になり、その体勢で操作することを思い出していた。目の前にグレーの斑空間が広がっていた。全面的に斑空間なのではなく、コックピットの中で、目の前に巨大な空間ができるような感じだ。私はそこで「そう。ここで宇宙と一体化して、それと同時にこの機体を動かすのが特徴なのだ」と思った。その空間を通して、宇宙と一体化できることを感じたとたん、下腹部に「キューン」という快感が走り始めた。その快感を覚えつつ、私はロボットを動かし始めた。どのように動かしたのかは思い出せないが、なんとなく公転運動していたのではないかと思う。
快感を覚えたためか、私はこれが変成意識中であることを自覚した。そしてそのまま「毘沙門天」と言った。しばらく公転運動を経験した後、ゆっくりと静止し、仰向けのようになっていたのが直立するように体が起き上がっていった。すると目の前に、でこぼこした柱(たくさんの突起のようなものが見えて、素材は木のような色に見えた)が見えた。そしてさらに仰向けの体勢に戻っていった。そして仰向けになったかと思うと、そのまま頭の方向に向かって浮遊移動し始めた。ヴィンデミアトリックスに似ているが、スピードはゆったりとしていた。快感を継続して覚えつつ、しばらく進んだところでフェイドアウトし、肉体的に目を覚ました。
(感想)
毘沙門天を呼ぶ前と後の2つの動きがありますが、寝る前から毘沙門天への接触を決めていたので、どちらも同じターゲットなのではないかと思います。
毘沙門天について簡単に調べてみると、武神であり、鎧を着ている、強そう、というのが特徴のようです。また「多聞天」とも呼ばれ、「全てのものを一切聞き漏らさない知恵のある者」という意味の名前であったらしいです。しかしもともとは武神ではなく、仏法を守る神様という役割はあったようです。
ロボットに乗り込むというのが、なんとなく鎧を身につけているということに似ています。またターゲットはよく分かりませんが、何かと戦っているようでした。私は隊長で、女性戦士たちを率いていたのですが、思い出すのは探索初期の頃によく話題になった「ハピネス軍団」です。「軍団」なのですから、戦いの女神たちです。毘沙門天を金星仕立てにしたのがハピネス軍団ということ?あるいはハピネス軍団が毘沙門天に乗り込んだのか?
かつて私もそれに乗っていたというはっきりとした感覚があり、操縦の仕方も何故か知っていました。
グレーの空間に接続し、全てと一体化しながら操作するというのが、「多聞天」としての説明に通じるように見えます。いつもグレーの空間から、ありとあらゆるターゲットに接触できる訳ですから。またそれは腰の地図、あらゆる世界の情報がある地図の中で、必要な情報をサーチする役割にも見えてきます。そこでヴィンデミアトリックスの空中ダンスに似通ってくることに納得感でできます。ヴィンデミアトリックスの空中ダンスは仰向けになり、光を超えるスピードで飛び、たくさんのトンネルを通過するというものでした。
体感的に、私にとって親和性のある七福神だったと感じます。しかしそれは「かつてそれに乗っていた」ということであり、現在はそこがメインの位置ではないということだと思いました。腰の地図としての七福神を移動させることも可能なのでしょう。

⑧ ヴィンデミアトリックスのダンス


ところで、トンネルは筒ということで、ちょっと余談になるのですが、「つつ」というのは、かつて「星」を意味する言葉でもあったと大学で学びました。住吉三神は、底筒男命、中筒男命、上筒男命ということで、もちろんこの「筒」は、柱と数える神様のこと(全惑星意識になったときエネルギーの筒になり、神のエネルギーを受信できる)から来ていると思いますが、同時に「星」そのものを表しているわけです。つまり、これらの神々は海の神々であり、航海術のために星の運行や導きを重要視していたことの表れでもあると思われます。
つまり、ヴィンデミアトリックスの高速でたくさんのトンネルをくぐるというのは、たくさんの恒星に接触することを象徴するダンスだったのだろうと思われます。
思うに、私にとって重要だと感じるアンタレス、トゥバンにとっても、ヴィンデミアトリックスは馴染みやすく、連携しやすい恒星です。どれも「たくさん集める」「どこまでも広がる」ということに関係してくるからです。

⑨ 七福神との距離感


以上で、七福神との接触は一通り終えたことになります。体感的に近い距離に並べると、次のようになります。予想としては、これも切り替えることができるものだと思います。現在はこうであるということです。ただこの変化していくというのも、好みとか、その人の性質もあるのであって、変化させないのが基本という人もいると思います。
1 弁才天
2 毘沙門天
3 布袋
4 恵比寿
5 大黒天
6 寿老人
7 福禄寿
これらがシャクティーの現れとして見立てることができるという発想ですから、それぞれに対応しやすい恒星というものもあると思います。対応が1つということではないし、絶対的な対応ということでもないはずです。例えば、さきほども書きましたように、私にとって毘沙門天にはヴィンデミアトリックスが含まれるということです。しかし毘沙門天につながるアンタレスというのもあると思うのです。
この考え方に乗っ取ると、布袋は旅人であり、直球としてはアンタレスに対応しやすいと思います。背中のチャクラが開くような感覚で、次のステップに繋がる希望に見えます。
弁財天というのは、なんとなく芸術がメイン?という印象です。私は特に芸術に造詣があるわけではないですが、ずっと憧れはあります。もっと弁財天を深めてみたいです。
私はこの七福神に分けてシャクティーを考えるという発想を気に入ってしまいました。何か馴染みやすいものがあります。腰の地図の探索について、ぐっと距離が近くなるような感じがあります。

⑩ 2022年8月16日午前深夜 「グレートセントラルサン」


この日は、地上世界で実家に帰っていた。毎年、魚釣りが好きな息子を連れて帰るのだ。
その日の夜は、何の準備もしていなかったのだが、なかなか寝付けないでいると、体脱する体感があった。抜け出ると、そのまんまだった。つまりいつもは体脱したあとに実家2Fのどこかの部屋に出るのだが、今回は、実家2Fの玄関側で体脱して、まさにその場所にいた。
取りあえずいつものように窓から外に出て、庭あたりに立った。何を呼ぼうかと思ったが、何故か「グレートセントラルサン」以外の言葉を思いつくことができなかったので、そのまま「グレートセントラルサン」と言った。
すると自動運動が始まり、仰向けに倒れていき、反時計回りの茶碗回転(花の回転)をした。つまり両足を起点にして斜めの体勢でぐるぐる回った。しばらくすると回転が止まり、そのままうつ伏せに倒れこんでいき、地中のグレー空間に埋もれる状態になった。そのまま何の運動も発生しない。
逆立ちのような体勢でグレー空間の中にいたわけだが、私は「この状態で上下を意識したり指定したりするのはおかしいのではないか」と、ふと思った。しかし体感的にはやはり逆立ちしているような気持であった。妙に静けさがあったのだが、その上下がないということを考えていると頭が重くなってきて、そのまま肉体的に目を覚ました。

⑪ 2022年8月17日①午前深夜 「七福神」


前日と同じ、実家の2Fの玄関側で入眠。何の準備もしていなかったのだが、突然、自我意識が現れ、いきなりグレーの斑空間の中にいることに気づいた。何となく下降していたのではないかと思う。
その下降運動をしながら「七福神」を呼んだ。全員に接触したので、全体で呼んでみたいと思っていたのだ。するとそのグレー斑空間の中でそのまま仰向けになった。そして両脚の土踏まずに押されるような快感が走り始めた。快感を覚えながら、その空間を下降していった。すると次第にその押される感じが強くなっていき、さらに振動が加わった。押されつつ、振動し、快感が走っている状態だ。普通、やや強い、強い、といった具合に、ギアが変わっていくような感じだった。まるで電気マッサージで押されるような感じになっており、振動するというか、押されるといか、足の裏が揺れる音がポワン、ポワン、ポワン・・・・と高速に鳴り響いていた。そして会陰からスワジスターナ前方にかけても、キューンという弱い快感が少しだけ走った。
いつの間にか小さな畳の間に寝そべっていた。視野が黄色っぽい。たいへん気持ちがよく、好みの快感だったのだが、だんだんと慣れていき、最後は振動だけを感じるようになっていった。ターゲットが見えないかと、足のほうを見たが、何も見えなかった。やがて振動が終わったが、私は七福神が来てくれたことに感謝し「ありがとう」と言った。そのまま次の体験に続いた。

⑬ グレートセントラルサンと七福神


次に変成意識になったときは「七福神を呼ぼう」と思っていたのですが、思わぬ時に変成意識に入って、それが思いつかず、「グレートセントラルサン」だけが思い浮かびました。おそらく、この順番に意味があるのではないかと思います。
つまり七福神の一体一体の神様は、七通りのシャクティーあるいはムラダーラを示しているが、七福神全体としてはすべてのシャクティーを包括するものという受け皿になるのではないかと思いました。すなわちグレートセントラルサンとの対応になるということではないでしょうか。
「七福神」では、両脚の土踏まずへの強い快感と振動が特徴的で、スワジスターナ前方や会陰付近にも快感があったわけですから、「底からさらう」という範囲の大きさを物語っているのだと思います。
グレートセントラルサンを呼んだ後に花の回転(茶碗の回転)をして、その後、ひっくりかえって地中の空間に埋もれたのは、まるで花の茎に変容したような感じです。その根に当たるのが七福神ということなのかな?と思いました。あるいは前から気になっているグレートセントラルサンと対になる何かを探していたのかな?とも思えました。

「おわりに」に代えて~土の世界での創造についての一考察~


七福神の探索は楽しかったです。ターゲットが無数にある中で、定番化していくものがいつくか残っていきますが、七福神も残っていきそうだと思います。全体としての七福神、弁才天、布袋尊、毘沙門天あたりです。
足裏の快感と振動という枠組みでは、これまでで最もインパクトのある体験だったと思います。ムラダーラ・マルクトの底という位置ですので、地上世界への影響の反映も出やすいのではないかと思います。
恒星界への接触は、できる限り地上成分を減らしていくことでやりやすくなるはずですが、(つまり地上に執着している限りは、星は見えない)ひとたび恒星界に接触したならば、土の世界を材料にして創造することも可能になるという逆転現象が発生するのかと思います。ただし創造の法則は分割によって成り立つのですから、それを永続させるためには、土からの上昇のコースを扱い続けるということになるのかもと思います。
H96を底にして存在するならば(仙人として生きるならば)、わざわざ上昇を意識しなくても、一体化が前提の世界に生きていることになるわけなので、問題は発生しないように思えます。ただただ創造の続く世界で生きるのです。定まらない床、生きた大地といってもいいかもしれません。すべてに生命力を感じます。
土の世界の基盤にして生きる時、常に転落と分割を背負って存在することになるわけですから、創造的に生きると同時に、進化的に生きる(一体化を目指す)ことを循環させなければ、自己忘却が発生し、地上世界に閉じ込められ、やがて創造的に生きることもできなくなりそうです。
「大いなる1つのもの」は、創造の根源なので、全てとの一体感を覚えるためには創造しつづける必要があります。そういう意味では、創造し続けることが忘却を防ぐことにもなるわけですが、地上での分割は、それを振り切っていく威力があるわけですので、創造しつつ、忘却していくという流れが発生していくのではないでしょうか。なので、忘れては思い出すということの繰り返しになるわけです。何かを忘れていくのです。乙女座が何かを見たときに、他の何かを見られなくなることに似ています。
これはつまり、地上に生存しながら創造的に生きるときには、私のやり方で言うと、快感を繰り返しながら生きるというやり方になるのではないかと思います。地上から退却する場合には話は別で、すでに身体性における一体化は必要ない世界に向かうわけですから、快感は減っていき、やがて無くなるということになりそうです。
この辺りも、どこまで地上に寄り添うのかということで、程度の違いがあるはずです。地上成分をできるだけ低く、いわば厭世的に生きるならば、忘却の必要性はその分だけ減るわけですから、一体感のある世界に近い場所での生存となり、快感はあまり必要としなくなると思います。逆にどっぷり地上に生きながら、創造的に生きるならば、忘却した分を思い出しながらの生活になるので、たびたび眠ったシャクティーを起こして快感を走らせなくてはならないと思います。その中間くらいならば、快感の必要性は、半分くらいになるというわけです。
このように考えると、地上的にどっぷり生きつつ、創造的で大いなる作品を残した人や創造的活動をしてきた人たちが、たびたび周りの人との関係性の中で揉め事が多かったり、様々な問題に悩まされたりしてきたことにもうなずけるものがあります。創造的な生き方の力が大いなる1つのものから発生するならば、その創造的な人生のプロセスの中で、揉め事は減っていくはずです。しかし実際は、周りの人も自分も忘却の力に侵食され続けるわけなので、揉め事や問題は無くなりません。むしろ、その分割力の嵐に飲み込まれないために創造しているという、火消しのような状態が多いのかもしれません。「一度目覚めたら終わり」というわけには、なかなかいかないのが地上の現状なのでしょう。
今回、七福神を一通り体験した中で感じたことは、それぞれの神様との距離感が違うな~ということでした。思うに、忘却から覚醒への段階では、自分のルーツに近い七福神を選択するというのは、とても有効なことだと思います。「私は弁才天系」みたいな感じに。それでもう地上に戻ってこないとか、厭世的に生きるといった場合には、その一神で十分だろうと思います。
しかしもうしばらく地上で暮らそう、あるいは「どっぷり行きたい。満腹したい」という場合には、忘却させる力が働き続けるので、それに対抗するための手段が必要になりそうです。それが「七福神を揃えること」につながるのではないでしょうか。すべてそろえると死角が無くなり、地上生活においても全てとの一体感を覚え続けることに貢献します。しかし忘却の波は絶え間なく続くので、一度揃えたら安心というわけではなく、どれかの神が眠り始めます。そしてその場合にも、自分にとって眠りやすい神、眠りにくい神がいるとか、この神は芸術面に強く、この神は金運に強いとか、この神は問題A群に対応しやすく、この神は問題B群に対応しやすいとか、個性が出てくるのではないかと思います。

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