異世界探索記21
旧ser.24(2021年5月29日公開)ser.27(7月20日公開)ser.28(8月4日公開)より抜粋
⑧ 2021年6月23日② 「鳥の足で額を突き刺される」(2005年ころ?)
リアリティーのある夢。ビルの一室に入ると、椅子に松村先生がいた。私は
「ヘリオセントリックとはどのようなものですか?」
と尋ねると、先生は鳥の足を私の額に刺し、額から血が流れた。すると突然、上空が光り、激しい振動が天から降り注ぎ、私の中を流れて行った。全身がしびれるようになっていたが、私は両手の振動を先生に見せるようにして、
「これは何ですか?」
と尋ねると、先生は
「こういうふうになることになっている」
とおっしゃった。
すると、自分のお尻から鳥の脚が生えてくるのが分かった。
その数日後、巨鳥に変身して海を越え、隣町のコンビニに買い物に行く明晰夢を体験した。
・コメント
「Ser.05これまでの道筋とレポート概略」では、この探索の始まった経緯を紹介していますが、この鳥の足の体験が、「はじまりのはじまり」みたいなものに当たると思います。ヘリオセントリック的状態に移行した、あるいはそのスイッチを入れていただいたというものです。この体験のあと、直ちに何かが発生したわけではありませんが、年に数回の体脱や神秘体験を経験するようにはなっていました。ほとんど偶発性に任せるみたいな感じで、それがこないかこないかと、恋焦がれるような感じにはなっていました。そして2018年、2020年の急激な変化がやってきたわけです。
Ser.05で紹介しているように、そしてこの鳥の足の体験のように、抜け出すには上位からの誘いが必要になります。自力で上がるのは不可能ということです。あちらに見出してもらうまでは、できる限りの準備をし続けて待つということが必要になります。私はそれを、ser.05でお伝えするのを忘れていたと思います。
これが松果体にまつわる1回目の体験で、なかなかの生々しさがありました。2回目は、「ser.06恒星地図探索記Ⅰ」に記載しましたが、円盤型の宇宙船がやってきて、宇宙からビームを打ってきて、頭が振動するというのを体験しました。これも生々しさがありました。
⑦ 2021年7月15日早朝 「そろそろフルスイングだね」
最初は夢を見ていた。薄黄色い大きな部屋にある壁に向かって何かしていた。何かを取り外していたような気がする。
その建物を出て夜道を歩いているうちに、自我意識が出てきた。右手に交番が見えて、中に入ると、小中学生時代の同級生が、おそらく7人程度、警察の制服を着てテーブルに着いていた。右の小さなテーブルに2人、左の少し大きめのテーブルには5人いた。
左のテーブルには、生徒会長をしていたS君と、宇宙帰還に誘ってきたK君がいた。S君もいたかも。右の2人は、子どものころに最も遊んだT君とU君がいた。
T君が私に言った。
「そろそろフルスイングだね」
私が、え?と聞き返すと
「消滅するよ」
と、T君が淡々と言った。私はそれを聞いて焦り、「誰かが死んでしまうということ?」と聞こうとしたが、呪いをかけられたように、発声することができなかった。するとT君は、
「父親と母親が、消滅する」
と言った。
・コメント
フルスイングというのは、最近、妻が大谷翔平にはまっており、毎日野球の話を聞かされることから来ていると思いますが(笑)、7巻でも紹介したように、野球のホームランは、太陽系の外に出て行くことを暗示しているということだと思うので、この辺りに関わっているのと思います。
父と母が死ぬというのは、キューブで言うと、天と地ということになると思います。私にとっての「地面」とみなす場所と、「所属先」が、変更になるときも近い、ということに見えます。同級生たちが警察の姿というのは、「悪いことをしないように」という見張りみたいに見えますが、セキュリティーというか安全確保をしてくれているようにも思えます。
(編集後記:父母のうち、母については、大地というよりも大地の向こう側にあるものです。正八面体つまりピラミッドを上下に2つ重ねた図形のうち、上の点が父であり、下の点が母に当たります。存在を支えている上限と下限のことです。これが消滅するということは、新たに正八面体を形成することであり、死と再生のことを表しています。存在形態の変化です。)
⑨ 2021年7月16日朝 「アトゥム」あと「ヌン」「オシリス」
変成意識に入ると実家2F中央の部屋にいた。風景は少し暗めだが緑色っぽく見えた。2F玄関側の部屋に行き、左下に眠っている兄を見ながら、窓から外に飛び降りた。アトゥムを呼びたくてうずうずしていた。窓から飛び降りる途中で、地面に着くまで待ちきれなくなり、そのまま「アトゥム!」と呼んだ。
透明感のあるエネルギーに包まれ、そのまま下降して行き、地面の下に沈んでいった。地面の下は暗いグレーの斑空間で、これまでの中で最も下に沈んだような気がする。その間、スワジスターナ前方部にポコポコという感触があり、その周りが微弱な快感のエネルギーに包まれているのを感じた。
グレー空間を下に突き抜けると、そのまま仰向けになった。(そのあと、扇風機回転したような気もするが、はっきりとは思い出せない)そしてそのまま頭の方向に向かって浮遊移動していった。辺りを見ると広大な部屋で、激しい炎の絵が描かれた巨大なタイル状の壁が広がっていた。天井は見えない。おどろおどろしいというか、迫力のある炎の柱が描かれた壁だ。
そのまま浮遊移動していくと、壁のデザインが、大きな氷の絵になった。これもなかなか迫力があり、同じようにタイル状で、巨大な絵がたくさん横に並べられているような感じだ。
しばらく行くとまた炎の絵の壁になり、再び氷の絵の壁になり、最後に炎と氷をミックスしたデザインになった。いやもしかしたら、炎→氷→炎→炎氷だったかもしれない。そして3つめの炎は少し弱くなっていたような気もする。
浮遊していくうちに、一瞬だけ、両踵が沈み、地面に擦れたがすぐに元に戻った。そして、その後だったと思うが、足先を頭のほうに向けるような感じで、両アキレス腱を伸ばし始めた。このアキレス伸ばしは、他でも体験したことがある。他にもいろいろな体勢になった気がするが、思い出せない。
やがて、仰向けのまま少し暗い通路に入っていった。私はこの状態で、さらに神の名を呼んだらどうなるだろう?と思い、「ヌン」と言った。それと同時に、浮き輪が現れ、私の体をくるんだ。私は何故かぐいっと浮き輪を顔のほうに持ってきて、そこに口づけした。
通路が終わると、私は着地し、潜水艦の中のように思った。黄色っぽくて、とても小さな部屋だ。床下には棺桶があり、誰かが横たわっていた。来た通路と反対側に、くるくる回して開けるタイプのハンドルのようなものがあり、これを回すことで隣の部屋に行けそうだった。何となくであるが、向こうの部屋は潜水艦の操縦席かな?と思っていた。
私はその部屋に入ることよりも、さらに神に接触することに興味があり、「オシリス!」と言った。透明感のあるエネルギーが私を包んだ。自動運動で仰向けに倒れつつ、この体験を許可してくれた神々に対して感謝の念が出てきて、「ありがとう」と私は言った。そして浮遊したまま、臍辺りを中心にした扇風機回転が始まった。私は「アトゥムとは逆だな」と何故か思った。(アトゥムの回転は思い出せない)その回転が1回転もしないままに、フェイドアウトして、肉体的に目を覚ました。全く帰還させられるような予感は無かったので、不思議な気持ちになった。
・コメント
松村先生の新作29巻で、y.kさんが変成意識体験によって、「kawasemiさんのヌンはヌトのことではないか?」ということで、先生は、「それは注意喚起。ヌンでもヌトでもあるという方向で解釈してみては」という感じの回答をされていました。y.kさんは、「ヌト」を聞いた時、何故か「アト」と見たそうです。
私はヌトよりもこの「アト」に興味が向きました。先生はヌンを金星に、ヌトを火星にという見立てをされていましたが、エジプト神話において正式にヌンに対応するのは「アトゥム」で、私はこのアトゥムのほうに興味が出たのです。「アト」は、「アトゥム」のことをも暗示していたのではないでしょうか。ヌトの対はゲブです。
ヌトとゲブ、アトゥムとヌンというセットですが、意味合い的に、ヌトはアトゥムに重なり、ゲブはヌンに重なるということだと思います。
実は先月、急にエジプトに興味が出てきたときに、たまたまですが、京都でエジプト展をしているというCMを見たのでした。なかなかにタイムリーで驚きました。何かすげ~ことが起こるかもと思って美術館に行ってきたのですが、特に驚くことは何もありませんでした(笑)。相変わらず、肉体次元にいるときには、何か不思議なものが見えたり聞こえたりすることはありません。しかし、不可視世界にこの流れはあるということの片鱗を、シンクロ的に地上に見出すことはできます。
⑩ 2021年7月16日② エジプト神話における世界創生と終末
京都のエジプト展に行ったときに、エジプトにおける世界創生が最初のブースで説明され、最後のブースは終末の説明でした。最初はヌンとアトゥムによって大気の神シュウと湿気の神テフヌトが生まれ、次に大地の神ゲブと天の神ヌトが生まれ、次にオシリス、イシス、セト、ネフティスが生まれ、次にホルスやアヌビスが生まれます。やがてオシリスが冥界の神になります。そして世界の終末に残るのは、ヌンとアトゥムとオシリスです。この三神によって、新しい世界が生まれてくるという説明でした。
私が違和感を覚えたのは、オシリスが次の世界創生に関わることができるということで、オシリスだけは滅びません。オシリスは前の世界の記憶を持ったまま、次の世界を創造することができるということだと思います。アトゥムとヌンはそもそも世界の創造原理みたいなものですから、作られた世界の中には入って来ないはずです。
オシリスが世界をまたぐことができるというのは、世界が崩壊し再生するとき、個人が新たに再生する場合に、変わることのない部分、受け継がれるものがあるということを示しているのかもと思います。よく分かりませんが、なんとなく、それはH6の恒星意識のことを示しているのではないかな?と思いました。H6との繋がりを見出しているならば、その分の記憶は維持されるということです。単なる感覚で、確信ではありません。
「父と母が消滅する」というのは、ゲブとヌトが消滅すると言い換えることができるのでは、と思います。それはもちろん、私にとってのゲブとヌトであって、この地球が滅びるとかそんな意味ではありません。しかし私にとっての世界は滅んでしまうかもしれません。もしかして、死んじゃう?(笑)まあ、死んだとしても、舞台が変わるだけですが。消滅するということは、新たに生まれるということだからです。
先日の中2病的なガンダムの夢では、戦いが終わるという内容で、三分の一の人がトイレに行きました。そしてコーヒーと紅茶のどちらを飲むのかを聞いていました。先生の29巻では、牡羊座21度の解説で、相撲を世界の創造に例えていました。戦うことによって分離を生み出し、世界を作るというイメージです。そのように考えると、戦いの終わりは世界の終わりです。ガンダムは宇宙の戦いで、私なりに壮大な戦いの終焉として、ガンダム世界イメージが選ばれたと思います。コーヒーと紅茶は、世界創生のために新しく生まれた戦いの対立を表しているように見えます。ジオンですか?連邦ですか?ではなく、コーヒーですか?紅茶ですか?という対立です。マイルドな対立ですね(笑)そして三分の一の人は、そこから離脱しようとしました。つまりトイレは冥王星の象意で、外世界に出て行くということです。
① 2021年7月21日午前深夜 「ターゲット無しで尻両側面への快感」
夜中に目が覚めて、フォーカス10の状態になっていた。俯せになっていた。尻の両側面(腰?)あたりに、押されつつギューンというタイプの快感が走っていた。押された部分だけでなく、尻の中のほうまでにその快感が広がっていた。
「もっと押しましょうか?」みたいな非言語のメッセージがあった。私はなされるがまま、そのマッサージのような体験を受けていた。
・コメント
何のターゲットを呼んだわけでもないのですが、快感を覚えていました。そして両尻の側面というのは初めての体験でした。地味な体験ですが、初めてのもので珍しいので記録に残しておきます。
② 2021年7月22日早朝と朝 「ターゲットなしで空中ダンスと快感」
変成手続きをしないまま、早朝に変成意識に入ると、珍しく実家1F奥の居間にいて、自動運動がすでに始まっていた。部屋を中心にして、自転しながら、上から見て反時計回りの公転運動をしていた。ちょうど地球が太陽の周りをまわっているような感じだった。私は真ん中を見たら太陽の象徴的なものが見えるのではないかと思ったが、何も見えず、なんとなく空間が揺らいでいるような気はした。するとそのまま、中心部を見ながらの公転運動になった。
すると下からエネルギーが上がってくるような気配がして、スワジスターナ後方部を突き上げてくるような感覚が強く走り、そのまま快感になった。快感を覚えつつ公転していると、そのままフェイドアウトして、肉体的に目を覚ました。
目が覚めた後、変成手続きをしないで、そのまま入眠した。最近は、夜中の変成手続きをすることに対して、なんとなく前向きにならないのだ。
手続きをしてないが、代わりに、頭が空っぽになるイメージをしていた。「空っぽが膨らむ」とアファメーションのように、何度も心で唱えていた。すると、自分がふわ~っと広がっていくような感覚になり、ふわふわして気分が良くなった。(後から考えると、これはF12だと思われる)何物にもしばられないような感覚だ。
するとスワジスターナ後方部に押されるというか、あたかも侵入してくるような快感が走った。さきほどの回転をしているときと同じだ。感覚的にはキューンという感じだが、押される感じが生々しかった。やがて肉体的に目が覚めたが、これと同じ体験を目が覚めては何度も経験した。
3回目の時に、仰向けに寝ており、私は快感を覚えながら、何故か自分の体がどんなふうになっているのかが気になった。そして両手でお腹あたりをさわろうとすると、自分の体が大きな玉になっていることが分かった。(もしかしたら、先日、グレーのボールになっていたので、同じかもしれない)目視はしていないが、玉から手足頭が出ているような感じだった。私は、6月に京都のエジプト展で見た、スカラベと人間が合体したような神の石像を思い出していた。
4回目は明晰夢状態になり、見知らぬ狭い部屋にいて、隣の部屋に行くと、コタツがあった。私がコタツに入ると妻が入ってきて、おそらく正面に座った。(もしかしたら右かも)すると、同じように快感が走り始め、私はコタツから出ることになった。快感にうなだれていると、目の前に妻のものだと思われる手提げバッグがあり、私の頭がそこに向かっていった。頭はバッグに入りきることはなく、ぐしゃっとなった。
5回目は、現在眠っているベッドの上だったと思われるが、真っ暗なのではっきりとは分からない。うつぶせで快感が走っていたのだが、私は四つん這いになり、押してくるものが、私の体内にまで入ってくることを望んでいた。私は、背後に何かの存在を目視できるのではないかと振り返ったが、何も見出すことはできなかった。
フェイドアウトしていくときに、「もっとこっちに来なさい」というテレパシーのような言語のようなものが、かすかに伝わってきた。2人の男性らしき存在を、なんとなくそこに感じていた。
・コメント
ひたすら快感が継続する珍しい体験でしたが、予兆はありました。おそらく未報告だったと思いますが、1週間ほど前にF10でムラダーラ後方にキューンという快感がありました。
実家1Fは肉体次元に近い変成意識だと考えています。初めての公転運動ではないですが(たしか孔雀明王とか)、1Fで公転運動というのは、より肉体次元に近いところに上位世界の振動をもたらしたという下限の設定に関わっていると思われます。「どこまで降りられるのか」ということは、なんとなく、ずっと考えてきたことでした。私はかなり自分では降りたほうだと思うのですが、人生を振り返ってみると、通常のサラリーマンのようなことはゼロではないけれども、ほとんどしていないわけで、やはりちょっと浮いたような生き方だったのだなと思います。
⑤ 2021年7月24日②朝 「天御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)
目が覚めると、さきほどと同じく、現在の自室に体脱した。部屋の真ん中に行って、どうするか考えたのちに「天御中主神」が思いつき、「アメノミナカヌシ」と言った。これもさきほどと同じで、超早口でごついおじさん声になった。
透明感のあるエネルギーに包まれて、浮遊していった。そして次第に公転運動が始まった。さきほどと同じ、円の中心を見る、おそらく反時計回りの公転だ。通常より高速なのも同じだが、違いは、今回のほうが描く円が大きめで、部屋をはみ出していたという記憶がある。そして回転によるものなのかどうか分からないが、ゴーという地響きのような音が周りに響いていた。何周かしたところでフェイドアウトした。
⑥ 2021年7月24日③朝 「神産巣日神」(かみむすひのかみ)
目が覚めると、また同じく、現在の自室のベッドに体脱していた。部屋の真ん中に行き、天御中主神を呼んだのだからという理由で、「カミムスヒ」と呼んだ。全く同じで、早口のごついおじさん声になった。
透明感のエネルギーに包まれたが、今回は違う自動運動になった。仰向けに倒れていき、途中で止まった。そして時計回りの茶碗を描く回転が始まった。踵を起点としている。さきほどを上回るスピードで、ダイナミックなパワーが感じられた。最初、両踵を起点にしていたのだが、気が付くと、どうも右の踵にしか体重がかかっていなかった。左脚を曲げて宙に浮かせると、思った通り、その回転は全くぐらつくことなく、右の踵だけで回転を続けた。
踵が床に擦れる感触が生々しく、激しく振動しており、電気マッサージのようなブーン!という音が、部屋中に響き渡っていた。かなりの騒音という感じだ。超高速で何周も回転しているうちに、いつのまにか目がふさがれていて、気が付くと頭にタオルのようなものが巻かれており、目をふさいでいたのだった。私は手でそのタオルのようなものを上にずらして目が見えるようにした。はっきりとは覚えていないが、無いはずの木造の高級そうな本棚がたくさんあり、大量の本があったような気がする。部屋も大きくなっていた。しかしなんとなく、元の部屋の雰囲気もあった。
回転が大きくなり、部屋をはみ出すと、そのままスケートのように、右の踵を床につけて、すべってどこかに移動していった。おそらく玄関のほうに向かったが、玄関は確認しておらず、私は後ろ向きに移動していたと思う。それがゆっくりと回転し、正面に向かって、片足でスケートしているみたいになった。
海岸沿いの崖の上を高速移動していた。左手には海原が見えて、美しく、やや生き生きしっているように見えた。どうやら崖を削って何かを作ろうとしているようで、右手にちらりと重機のようなものが見えて、正面のずっと向こうには崖山を工事して作った平地が大きく広がっているのが見えた。遠すぎて見えにくいが、車のようなものがたくさん置かれているようにも見えた。
「何かを作っているのだろうか?」と思っていると、そのままフェイドアウトし、肉体的に目を覚ました。
⑦ 2021年7月24日 振動する右の踵
「天御中主神」の体験は、「神産巣日神」の体験がインパクト強すぎて、少しあやふやです。
これまで、体が振動するという体験は何度か経験しましたが、これはその部位の振動上げているということだと思います。こ
右の踵への振動ということは、地上への送信・発信の部位を調整したということになります。カミムスヒがタカミムスヒと並んで、創造に関わる神様だとすれば、地上における創造活動ということに結びつきます。私はここで、振動の意味を考えました。右の踵は振動していました。つまり、ベッタリと接触するのではなく、浮いたり着いたりを高速で繰り返していたような感じだったと思われます。体感的には着地していましたが、実際は「付いて離れて」をしていたということでは、と思うのです。これは創造するうえでの地上との接点の取り方の工夫ではないかと思います。完全に着地するわけにはいかないのです。
私はなんとなく、次に目指すのは、正式名称は忘れたのですが、松村先生がおしゃっていた“何とかの世界”(肉体次元と幽体次元が重なっているような状態)ではないかと思っていたのですが、そこに近づいたのかもと思いました。
エジプトに行ったり、またギリシャが出てきたり、日本が出てきたりと、同じテーマが継続しません。これまでだと、さらにインドも少しありました。1つのテーマで貫くほうが深まりそうですが、私には、1つに絞らないほうが探索しやすい気がしています。
⑧ 2021年7月26日①早朝 「かぐや姫」
短めに変成手続き。変成意識に入ると、現在の自室と思われる場所にいた。あるはずのテーブルやプリンターなどがなく、私は三角座りして壁側に座っていた。気が付くと、左に、赤を基調とした十二単のような着物姿の黒髪長髪の若い女性が座っていて、その向こう側にも誰か、おそらく男性がいたような気がする。
この女性は、これまで見たことないほどに美しく、顔のつくりも完璧に整っており、「美しいとはこのようなことを言うのか」と思われるほどだった。彼女は一言もしゃべらないが、私に関心があるようであり、優しい微笑みを浮かべていた。
気が付くと私の左手には、何かサインが書かれたよくある四角い色紙がのっかっており、その女性はペンか何かでその色紙にさらに何か記入するような仕草をした。ところが、このペンのようなものが色紙を突き抜け、私の左の手のひらに突き刺さり、傷をつけるように手の平を動いていった。特に痛みはなかった。
私はもっと近づきたいと思い、左腕を肩に回そうとした。そのとき、彼女のうなじが見えて、そのままフェイドアウトしていった。
・コメント
起きた後、月のステーション(編集後記:このころ「月のステーション」と思っていたが、Bマルクトに対応する場所である)で出会ったのだから、これは「かぐや姫」という設定で良いのかもと思い、テーマを「かぐや姫」としました。
地上は個別性に閉じ込められた世界であり、より振動が高いほど、原型的な存在となります。おそらく今日見たのは、「普遍的な美」あるいは「不変的な美」というものを見せられたように思いました。「竹取物語」の男性たちが、どうしても手に入れたいと思う気持ちも分かります(笑)
美しい女性で思い出すのは、すでに報告済の「アンドロメダ」を呼んだ時の体験です。あの時は、私は公転運動をしており、背中に少しふくよかな全裸のヨーロッパ女性が張り付いていてきました。このアンドロメダ姫も、完璧なる美しさという感じで、非の打ちどころがないようなボディーでした。
私がとりあえず日本人として生きているからなのか、「かぐや姫」のほうが、美しさの基準として、私の心に響いてくるものが大きかったです。アンドロメダは優しさがありつつ豪快な感じがあり、かぐや姫は優しく繊細という印象でした。
左手に突き刺すようにも、文字あるいは単語を書いたということは、何かの情報を私に送信したということだと思います。
いつも月のステーションで彼女に会えるならば、月のステーションで過ごすのも悪くはないなと思いました(笑)
夜記載分。なぜ「かぐや姫」なのかと思っていましたら、昨日、今日と、車で出張した先が、かぐや姫の里と言われている場所であることに今日気づきました。ちょっと驚きました。町の観光課が無理矢理設定した「かぐや姫の里」ではなく、本当にかぐや姫に接触できる土地だったのですね。
⑩ 2021年7月29日朝 「高御産巣日神」(タカミムスヒノカミ)
変成意識に入ると、見知らぬ部屋にいて、景色は暗く緑色っぽい。私は予定していた通り「タカミムスヒ」と言った。すると透明なエネルギーに包まれて、うつ伏せになっていった。それと同時に、私は「あれ?カミムスヒだったかな」と思い、「あ、ちがう!ごめんなさい!」と言ったのだが、いやいやこれでよかったとだと思い、「いえ、これでいいんだった!」と言い直した。
その後の記憶が曖昧なのだが、うつ伏せになったまま、浮遊移動していったような気がする。しか動き始めてすぐにフェイドアウトしていき、肉体的に目を覚ました。
もう一度入眠すると、見知らぬ町を歩いていた。左手にはおそらく海が見えて、港のようだった。右手にはオシャレなホテルが見えて、これからここに帰るという設定になっていた。どこかから帰ってきたのだった。港全体が美しく、小洒落ているように見えた。
私は、神との接触をすることを思い出し、再び「タカミムスヒ!」と言った。透明なエネルギーに包まれて、仰向けになっていったと思う。はっきり思い出せないのだが、今までにない妙な体勢になっていたと思う。
そしてさらに自動運動は動き、これは初めての体験だが、おそらく左を下にしていたと思うが、体の側面を天地に向けるような状態になり、両腕は万歳するようなかたちになり、両脚をあたかも走っているようなかたちに曲がり固定化された。そしてそのまま、正面方向に向かって浮遊移動し始めた。おそらく足の方向に中心点のある公転運動だったが、あまり進まないうちにフェイドアウトし気を失ったので確証はない。
・コメント
これで古事記の最初の三神への接触は完了しました。カミムスヒが最もインパクトがあり、タカミムスヒはこれまでにない体勢で、印象に残りました。最近、公転とか上昇とかの意味がだんだん見え始めていたのですが、今日の体験はユニークで、これは解釈が難しそうです。
タカミムスヒとカミムスヒがごっちゃになるというのは、これはこれで意味があったのかもしれません。二神で共同し、一つの働きをするのかも。
⑪ 2021年7月31日①深夜 夢「父が倒れる」
夢。実家1Fのダイニングキッチンにいた。私と父がテーブルについていて、父はおそらく正面の席にいた。
父親がフラフラしており、頭ががたんとテーブルに倒れた。私は驚き、「お父さん!」というと、ふと気が付き、また背筋が伸びたが、すぐにまたバタン!と倒れて、顔がテーブルにくっついた。この時、ほとんど剥げていたはずの髪が伸び、肩以上に伸びて、顔をややくるむような感じになっていた。そしてゼリーが溶けていくように、顔がふにゃ~っと崩れていった。
私は驚いて席を立ち、オロオロと歩きながら、父がいなくなる悲しみを感じていた。
気が付くとバスから降りるシーンで、私はさきほどの悲しみを感じつつ、そこには引きずられなくなっていた。そしておそらく山の方向に向かいながら、「感動とはあらゆる感情の総合である。悲しみもそこに含まれる」と考えていた。
気が付くと、大量の漫画がある部屋にいた。どうやら大学付属の図書館のようだ。下に降りる梯子があり、降りていくと、大学の先生がいて、図書館の受付をしていた。大学時代の社会心理学の先生に似ていた。私に何か話しかけていたが、不明。
・コメント
先日の、「そろそろフルスイングだね」という夢で、「父親と母親が消滅する」ということに関わる体験です。父親がついに死んでしまったということに見えます。母親はどうした?という感じです。
これは感動的な体験なのだということだと思いますが、先に悲しみとオロオロが来てしまいました。箱が壊れるというのは、やはりそれなりにショックな体験になってしまうということだと思います。
大学の図書館というのは、読み取る本が変わったということに思えます。次の夢にも小学校が出てきますが、私の夢には学校関係がよく出てきます。幼稚園というのもありましたが、これは別地球に関わるときでした。たしかイエローアースだったかな?
小学校、中学校、高校、大学というのは、もちろん意識の振動の高さとか、読み取る本の深さを階層的に表していると考えられます。大学は何度か体験していますが、図書館は初めてだったような気がします。大学の夢は深夜が多く、メンタル界・アストラル界のたとえ話になっているのではないかと思います。
⑮ 2021年8月3日朝 「メタトロン」
変成意識に入ると、おそらく実家2Fの玄関側の部屋にいた。頭がグラグラして、体脱している感触が完全とはいえない。ぼやっとする感じだ。
夜中に目が覚めたときに、「そういえば、キリスト教的世界観についてはほとんど接触したことがないな」と思ったことを思い出し、「メタトロン」と言った。声が紳士的なイケメンボイスになっていた。
透明感のあるエネルギーが降りてきて、自動運動が始まり、空中で仰向けになった。そしてそのまま臍あたりを中心にしながら扇風機のような回転(時計回り)が始まった。しかし半周したくらいで、すぐにフェイドアウトして肉体的に目を覚ました。
今朝は、何度も「完全とは言えない体脱」を繰り返した。その中でもう一度「メタトロン」を呼んだが、何も起こらず、その後に「ミカエル」と呼んでみたが、これも何も起こらなかった。
・コメント
キリスト教的世界観には、あまりご縁がなさそうに感じました。両親がクリスチャンで、子どもの頃は日曜に教会に行き、高校時代に宣教師から福音書を学んだ(親に仕組まれた)のですが、プロテスタント系だったので、その中で天使については全く名前が出てきませんでした。天使の名前は、シュタイナーの本を読んで、少し知っているくらいです。