見出し画像

異世界探索記31

旧ser.46(2022年7月22日公開)ser.50(8月30日公開)より抜粋

① 2022年7月19日①早朝 「サラスバティ―」


変成意識に入ると、実家2Fの中央の部屋のベッドの上。うつ伏せになっており、敷布団がパリパリしていた。
部屋の中央に行き、両腕を掲げ、予定していた通り「サラスバティ―」を呼んだ。自動運動が始まり、Yの字の体勢のままうつ伏せになり、そのまま下降していった。グレーの斑空間になり、少し沈んだところでフェイドアウトした。
そのままどこかの小さな会社の一室にいた。男性の社長と女性の事務員がいた。息子もいて、白い手提げ袋をその女性からもらった。そのままフェイドアウト。

② 2022年7月19日②早朝 「ブラフマー」


フェイドインすると、同じく実家2Fの中央の部屋。部屋の中央に行き、両腕を掲げ「ブラフマー」を呼んだ。自動運動が始まり、Yの字のままうつ伏せになったそのまま床下に下降し、グレーの斑空間を降りていった。少し下降したところでフェイドアウトした。

③ 2022年7月19日③早朝 「ヴィシュヌ」


フェイドインすると、現在の自室のベッドにいた。部屋の中央に行き、「ヴィシュヌ」を呼んだ。この時、直立で読んだと思うが、腕も自動運動し、Yの字の体勢になり、そのままうつ伏せになり、床下に下降して行った。グレーの斑空間を少し降りたところでフェイドアウトした。

④ 2022年7月19日④早朝 「グレートセントラルサン」


フェイドインすると、おそらく実家2F玄関側の部屋にいた。すでに今日予定していたターゲットは呼びつくしており、安直に思いついた「グレートセントラルサン」を呼んだ。この時の声が、透明感があり勢いのある声だったのが特徴的だった。
すると自動運動が始まり、うつ伏せになり、床下に下降して行った。いつものグレーの斑空間だ。するとスワジスターナ右部がブルンブルンと振動し始め、それと同時に強い快感が走り始めた。これは一定の振動と快感ではなく、強くなったり弱くなったりしたが、だんだんとその強度が増していった。私はだんだん耐えられなくなり、それと同時に水平的に下降していたのが右半身が少し沈む感じになり、最初Yの字だったのが崩れて、乱れた体勢になった。やがて気を失うようにフェイドアウトした。
フェイドインすると、実家2Fの中央の部屋にいた。(編集後記:思い出すに、これは実家2Fの玄関側だったはずである。移動したのかもしれない)窓の外を見ると、この部屋あるいはこの家の周りの景色が、超高速に動いているのが見えた。流れ的には右上から左下の方向のような感じだ。(これは自室が動いているのか、外が動いているのかよく分からないが、見た感じは外が動いているような体感だった)動く景色が早すぎて、どのようなものなのかは全く分からなかった。
私は驚き、「すごい!」と言った。すると自宅の前の家が現れ、この自宅と共に、超高速で動く景色の中で、動かないものになった。

⑤ 2022年7月19日⑤早朝 「オリハルコン」


その景色を見終わった後、さらに何か呼ぼうと思った。今日予定していたターゲットはもう無かったので、その場で安直に思いついた「オリハルコン」を呼んだ。この時私は、オリハルコンが手元に来るように、ミゾオチの前辺りに、両手でバレーボールをつかんでいるような体勢をした。
しかし手元にオリハルコンがやってくることはなかった。そして直立していようとしたのだが、両脚のアキレス腱辺りをググ~っと押されるような感じになり、そのまま前に倒れこみ、うつ伏せのまま床下に下降して行った。
またもやグレーの斑空間を沈んでいったが、少し沈んだところでフェイドアウトし、肉体的に目を覚ました。

⑦ 2022年7月22日①朝 「アルクトゥルス‐アルシオン」


変成意識に入ると、大きな海岸沿いにいた。(この前にも釣りをする夢を見ていた)景色は白っぽく、やや雲が空にかかっていた。堤防の上を歩いていると、ふと恒星を呼ぶことを思い出した。そして空に高く飛んで行き、海の上空で制止浮遊し、「アルクトゥルス」を呼んだ。
すると自動運動が始まったが、何か複雑な動きであり、正確に捉えることができなかった。しかし概ねの動きとしては、うつ伏せであり、公転運動を基礎としていた。足が中心側を向いていた。おそらく、最初は大きな円を描いており、それがだんだんと小さくなりながら、地表に向かって下降するような感じ。ちょうど竜巻が降りてくるような感じだったと思われる。最後のほうで、足が起点のようになる状態を経過し、やがて身体内に起点が移動していき、最後にミゾオチあたりが起点の扇風機回転になった。この時点で、体は海水面?あるいは地面?に向かって少し浮いている感じであり、私は回転しながら「アルシオン」を呼んだ。
するとその回転が制止し、うつ伏せのままで、海面下?地面下?に下降していった。その下はいつものグレーの斑空間であり、しばらく下降したところでフェイドアウトした。

⑩ 各階層にあるストーリーに気づくこと。土のエレメントのこと。


7月22日の体験について、いくつか考えたことがあります。1つ目。
まずはアルクトゥルスを呼んだ時のこと。アルクトゥルスを呼ぶ前から、私は明晰夢(あるいは体脱)中でした。つまり自我意識がありました。そこで恒星を呼ぶことを思い出した時、目覚めるような感覚になります。「はっ」という感じです。いきなり恒星を呼ぶときもありますが、それを忘れていて、途中で思い出すこともあるのです。
明晰夢や体脱=変成意識中にも、覚醒のレベルがあるということだと思いました。変成意識中の世界には、何のストーリーも感じないときもありますが、その変成意識世界の背後に流れるストーリーがあることがままあります。自我は働いているのですが、そのストーリーに組み込まれていたり(それぞれの体験で組み込まれ具合には差がある)、あたかも自分の行動を観察するように眺めていたりするようなときもあります。これはつまり、完全に組み込まれているならば、それは「普通の夢」であり、流れの中で自分を忘却しているのです。自我意識が強く働いているほどに、組み込まれ具合が減り、自由に行動することができます。しかしだからと言って、その夢の中で展開しているストーリーが無くなるわけではないのです。ストーリーに流されなくなるというだけです。
これと同じことが、地上世界でも同じことが展開されていると、これを書きながら気づきました。世界や人生には、最初からストーリーがあるということです。自己忘却していると、そのストーリーのままに世界は動き、人生が進んでいきます。しかしそのストーリーに気づき、自分を思い出したならば、そのストーリーを消すことはできないにせよ、それを材料として、自由に動くことができるということです。何も行動しないならストーリーが消えてしまうといことではなく、ストーリーはあり続けるのです。逆に言うと、そのストーリーが自我の乗り物であり、それをアトラクションを楽しむかのように体験しているということだと思いました。これって自己想起のことで、さんざん教わってきたこと、考えてきたことなのに、今さら「そうか!」と分かった次第です。頭で分かっていたことが体まで降りていた感じです。
このストーリーに関して、地上だけではなく、夢の世界や変成意識の世界の中にもあるということです。ぼうっとしていると、そのストーリーに組み込まれていきます。覚醒具合で、自由にふるまえる量が増えます。で、このストーリーについてですが、これが「アカシックレコード」ということなのでしょう。そして、このアカシックレコードは1種類だけということではなく、地上バージョン、夢バージョン、もっと深い夢バージョン…と言った具合に、階層によって異なってきます。そして夢が深いほどに、より振動の高い世界のストーリー、レコードを乗り物にするということです。
そうしますと、「深い夢」と「高い世界」が共鳴するということは、高次の世界をより生々しく体験するためには、より低次の世界に潜り込むということになると思います。高次の世界を映すための鏡は、とても深い場所にあるということで、その力関係を極端に述べたなら、プロトコスモス方向に進むということは、ミクロコスモスに近づくということなのか、と思います。物質を体験的に味わうということです。空恐ろしい感じもします。
松村先生の新刊は、私にとっても重要なことがたくさん書かれていたと思いますが、難解であり、私が正確に認識できているのかどうかは分かりません。しかしこの「物質でさえも、生命のように感じ取る」ということは、私が今日、感じたことと共通なのではないかと思いました。(何度も読み返しています)
それで、マクロコスモスの世界には、感覚がなく、それゆえアカシックレコードがないということだったと思います。「恒星を呼ぶことを思い出す」ということは、デュートロコスモス以下、ストーリーがある世界に風穴をぶちあけるということの1つの方法なのではないかと思いました。
変成意識に入った後に、いきなり恒星を呼ぶことができるときと、「はっ!」と思い出す時の違いは、最初から恒星との繋がりを自我の中に保っている時と、それを後からもたらした時の違いということになると思います。
先日、何度か述べました「あなたは、私たちが水までもたらしたものを、土までもたらしてくれました」と感謝された体験は、このことにもつながっていると思います。私は、土にまで、それを引き下ろすということは、サイコネッシスや錬金術的に物質を思うままに変容するということは不可能なので、それは個人の中や地表の社会にもたらすことだと解釈していました。しかし「物質でさえも生命のように感じる」ということだと考えると、これまでの体験がさらにスマートに整理されてきます。物を動かしたり、変容させたりするということではなく、「体験できるものの対象が、土にまで至る」ということです。しかし、自我が、あるいはマクロコスモスの創造的エネルギーが土に至るということは、そこに何か創造的な作用が働くということですので、ある意味で上記の超能力的な現象も起こっていると見なせると思います。(先日、意味も分からず「オリハルコン」を呼んだのも、何かつながりを感じさせられます。意味不明でも、後から分かってくるようです)
自分自身がどこに自我を置くのかによって、世界と人生(あるいは存在)の背後に流れるストーリーが異なるだけでなく、エレメントの見え方、感じ方、扱い方までもが変化していくということになるので、この前提に立って世界観を解説するというのは難解である事この上なしに思えます。例えば、「トリトコスモスの火に当たる部分をメゾコスモス的に見る」のように、舞台とターゲットを座標付けすることが、1つの方法になるのではと思います。

はじめに(ser.50)


松村先生の新作を読み、フラワーオブライフ、球体フラワーオブライフについての解説があって、28日の就寝前に、それをイメージして呼吸法を行いました。そしてそれと同時に、イダ側のクンダリーニについても思索していました。さらに私は先生の解説を読み、スシュムナーのクンダリーニは、左右のクンダリーニを満たした後に、自動的になるような感じということに対して、視野が広がる思いがしたことを反芻していました。確かにそのはずだと思いました。自然体というと語弊があると思いますが、一段上の自然体の状態とでも言えばいいのか、それは何か無理矢理維持するべきものではないはずだと思っていたからです。
そしてもう一つ思ったことは、シャクティーは、眠った状態が基本なのでは無く、動いているのが基本であり、より集中して味わいたい世界にフォーカスしていくとき(乙女座的に集中していくとき)、シャクティーを眠らせることによって、それを体験し集中的に味わうというのが、基本的な見方なのだということです。物質よりも生命のほうが先にあるということです。このように見ると、世界観が逆転してしまいます。下降型の見方と言い換えることができると思います。
話は戻り、フラワーオブライフをイメージして呼吸法していたら、自分が拡大する感覚になりました。拡大する感覚はいつものことなのですが、私が感じたことは、「この状態が大切なのではないか」と、思ったことが新鮮だったのです。この後、睡眠し、変成意識に入ることになり、それはそれで面白い体験をすることができたのですが、私が思ったのは、この拡大した感覚を維持できるとか、コントロールできるということが重要なのではないかと思いました。明晰夢や体脱には結果としてなればいいと。
この拡大した感覚は、先生が植物性知覚と呼んでいるものだと思います。私の場合、部屋全体に自分が広がったような感覚になり、頭の上が筒抜けになり、まるで宙に浮かんだような感覚があり、すがすがしい気持ちになります。何も滞るものがないかのような体感があります。
私はこのあと、ターゲットを定めず、体脱や明晰夢に入らなくても良いと思って入眠しました。必要とあらば、あちらから来るはずだと思いました。そしてこれが、私にとってのイダ側のクンダリーニのやり方に接近できるのではないかと。

① イシコリドメとメドゥーサとカーリー


「はじめに」の続きの話題になりますが、去年か一昨年、イシコリドメノミコトを呼ぼうとしたとき、発声することができず、接触できなかった体験を、かつて報告しました。そしてこの女神が私に対して愛想がないように感じるということなども。この件についてY先生に相談したとき、「死ぬとき、お迎えの時に関わる。心配しなくても良い」というアドバイスを貰いました。それで私は、この女神は、眠ったシャクティーのことを示すのではないかと思いました。石凝姥命は、石のように堅くする女ということで、鏡鋳造の神様です。鏡が堅く仕上がり、割れないように、ということだと思います。一方で、私はこれは「石のように堅くなってしまった女」ではないか?と推測しました。眠ったシャクティーです。シャクティーを起こそうとしている私からすると、その名前は相応しくないということで、口にすることができなかったのだと思いました。
そういう理由で、私は石凝姥命をアルゴルと関係しているのではないかと推測しました。面白いことに、メドゥーサの神話と扱っているモチーフが同じです。メドゥーサの場合は、「鏡」を使って撃退されますが。
今、改めて思いますが、石凝姥命は「石のように堅くする女」あるいは「石のように堅くなる女」で良いのだと思います。植物性知覚、あるいは宙に浮いた状態から、特定の世界にフォーカスし、シャクティーを眠らせるという意味です。そうすると鏡がモチーフになっている理由は、視覚的に自分を確認するという、動物性知覚の象徴のように見えてきます。あるいは光の反射で物を確認する世界の象徴です。変成意識で深い螺旋階段の筒の底にたどり着いたとき、そこには鏡がおいてありました。最も下降した場所(振動の低い場所)に鏡があったということで、地上における認識の仕方の象徴品として、それを目撃したのではないかと思います。もちろん鏡には、他にももっと象意がありますので、理由はそれだけではないとは思います。例えば「振動の低い世界で自己忘却しても、本来の自分の姿を思い出しなさい」みたいな意味とか。
さらに、この女神は黒いシャクティーに関連しているということだと思います。黒いシャクティーはカーリーのことであり、世界を崩壊させるという解説があります。石のようになって安定化していた世界の大地を、もとの生きた姿に戻してしまうからです。Y先生は、私が死ぬときに関係する神様ですとおっしゃいました。もし私が、この地上世界について、行ったり来たりを自由自在に操れるようになるならば、それは石凝姥命の力をコントロールできるということになるかと思います。それは同時に、石から命に戻す力をも身につける必要があります。思うに、この神を眠れるシャクティーに例えるならば、黒いシャクティーを目覚めさせるための「別の名前」が必要になるのではないかと思います。

② 8月下旬の夢の記録


・夢 8月18日頃の夢
 海岸か島にある洞窟のような場所。足下を埋め尽くすほどのたくさんの蟹がいて、その中に蠍などの昆虫もうごめいている。土よりも生き物のほうが多いくらいの感じだ。足で地面を掘り返すと、そこからもウジャウジャと蟹やら蠍やらがあふれるように出てきた。私は「これはさすがに気持ち悪い」と思っていた。左にだれか仲間がいた気がする。
(感想)
銀河系の腕(特にペルセウス腕)にまで移動範囲を広げたことによって、それに対応する虫(月のカードにある池の中の虫)が増殖したということかと思います。
・夢 8月24日朝
淡路島への旅行から帰ってきてから。
大洪水が来る。エレベーターにのって1つ上の階に戻ろうとする。乗り込むと、予想以上の階にまでスピーディーに上がっていった。
洪水の様子を見ている。私は、これを何度も繰り返してきたことを知っている。私は母か妻か、誰かに「この洪水は、何回目だったかな?」と、少し皮肉っぽく聞いた。
(感想)
洪水の夢は時々見てきました。スワジスターナがムラダーラに干渉するハタラキのことなのか?と思います。土を軟らかくします。気のエネルギーを蓄えると、物質に影響を与え始めることでもあると思います。シャクティーが目覚めやすくなるのではないかと思います。

④ 2022年8月29日①午前深夜 「直行交流・並行交流」


寝る前に軽く呼吸法。このとき、「はじめに」に書いたように、フラワーオブライフ(球形も)について考えていた。
夢。女性から私に手紙が届いた。私が占星術鑑定したお客の1人という設定だ。絵の展示会の案内?何かの報告だ。
シーンが変わる。女性たちがハッピをきて、何かを作っていた。家を建てようとしているのか?男性もいたと思うが、女性にばかり注目がいく。その女性たちは鎖でつながっており、いろいろなフォーメーションを組んでいた。そして「直行交流・並行交流」と言っていた。
マクドナルドでバイトしていたときの同僚の「マルイさん」がいた。そのハッピの女性の1人という設定だと思われる。さらに別の女性の顔のアップが見えて、この顔がまん丸だった。
(感想)
フラワーオブライフとクンダリーニの関わりを示しているのかと思いました。先生が新刊で、七福神との繋がりを、上下左右に持って行くのはどうかという案を出されていました。この女性たちは「ハッピ」だけに「ハピネス軍団」なのか?とも思われますが、ハピネス軍団的な戦隊に「毘沙門天」との接触で出会っています。
私は夢の中に傷ついた女性が現れて、しばらくしてからその女性が回復してパワフルになるというパターンを繰り返していますが、これをシャクティーと関連あるものと考えるならば、このハッピの女性たちは、七福神を象徴しているのかもしれないです。七福神のうち、弁財天だけが女性ですが、シャクティーとして考えるならば、どれも女性として変換されてもおかしくはないかな~と思います。
そうしますと、この直行交流・並行交流というのは、先生が提示したフラワーオブライフとクンダリーニの関わりのバリエーションのことを示しているのかな?と思えてきます。直行というのは、上下での関わりであり、並行というのは左右の関わりです。謎なのは、この女性たちはたしか7人くらいいたと思う(もしかしたら8人?)のですが、一人一人が「交流」の隊列をとるのではなく、全員でとるということです。「マルイさん」と「丸い顔の女性」ということなので、なんとなくこれは「球体」のことを示しているのだと思いますが、球体フラワーオブライフの中でクンダリーニを利用する場合、特定のターゲットだけではなく、全体的に影響し合うということを示していたのではないかと思えました。

⑥ 2022年8月29日⑤朝 「伊弉諾尊」


御祭神と接触し、さらに丘の街からフェイドアウトし、再びフェイドインすると、また自室にいたと思う。真っ暗だ。接触するターゲットは考えていなかったのだが、突発的に「イザナギ」と言った。すぐに自動運動が始まり、仰向けになっている途中で、「ノミコト」と付け加えた。(呼び捨てみたいで申し訳ないと思った(笑))
仰向けになり、恐らくであるが、両足を起点にした公転運動が始まった。時計回り方向だ。つまり時計の針のような動きだが、秒針よりもずっと早いスピードだ。そして両足の土踏まずに、押されるタイプの強い快感が走り始めた。
そのまましばらくしてフェイドアウトした。

⑦ 2022年8月29日⑥朝 「伊弉冉尊」


再びフェイドインすると、また自室にいたと思う。真っ暗。さっきイザナギを呼んだと言うことで、今度は意図して「イザナミノミコト」を呼んだ。
自動運動が始まり、俯せに倒れていった。そして俯せのまま少しだけ下降したと思う。下降運動はおそらく、すぐに止まっていたはずだ。動きを感じられなかった。
眼前は暗闇だが、チラチラと昔のテレビの砂嵐のような光の粒子(ただし色がある)が、うっすらと見えていた。その後、ずっと体の前面全体が、とても繊細な振動状態になっているのを感じていた。
すると首の左にブーンという振動が走り始めた。その振動は首の左から中央の頸椎辺りにまで移動し、さらに脊椎を通って背中辺りにまで移動し広がっていった。
この間、緑の粒子が集まって、二ツ山のようなイラストが見えたり、そこに何かかわいいキャラクターのようなものが動いているのも見えたりした。原始人のイラストか?よく分からない。
私は、神話に出てくるただれたイザナミだと怖いな~と思いつつ、息子が遊んでいる「太鼓の達人」の曲にある「黄泉のイザナミ」という曲を思い出していた。すると、イザナミと思われる存在が、笑っているかのようなテレパシーが届き、左の頬辺り?にチューっという吸い込まれる音がした。しかし頬に感触があるわけではなく、少し離れたオーラに吸い付いているような感じだったと思われる。そしてそのままフェイドアウトし、肉体的に目を覚ました。
(感想)
先日、淡路島に旅行に行き、その足で「伊弉諾神宮」に参拝して御祈祷を受けました。伊弉諾神宮はレイラインのメッカみたいな場所で、ここを中心にして全国有数の神社が配列されています。伊勢の神宮も含まれています。日本神話で、おのころ島に次いで、最初に生み出された島という設定ですから、このレイラインには深いものを感じさせられます。
今年は2回も御祈祷を受けるという珍しい年です。特に願意はなく、接触できることを希望していました。それで、このイザナギ・イザナミとの接触に繋がったのだと思います。
イザナギが足の裏というのは、なんとなく分かります。地上生活で産めよ増やせよ、という立場なので、地上に近いポイントである土踏まずがポイントになるのではないでしょうか。
イザナミの体験は初めてのタイプです。首ですが、珍しく「左」から始まりました。そして頸椎から脊椎を通るという感じで、チャクラの位置で言うと、ビシュダーチャクラからアナハタチャクラの裏側に当たる部分が振動したことになります。体前面全体への繊細な振動は、粒子から波動に移行するハタラキを示していたのではないかと思います。最初はちょっと怖いと思っていたのですが、結果として、とても魅惑されるものを感じています。
今ひとつ、「対」になっていないのが気になるところですが、左右ではなく、無理矢理ですが上と下という対応にはなっています。
ブルブル振動したり快感が走ったりする箇所しては、このイザナミノミコトが、これまでで最も高い場所にある身体部位だったと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?