クローン04 第2話
二 笑ってる
激しい銃撃戦が続いていた。
深夜に始まった衝突は、拡大の一途をたどった。
手負いのクァンが、脱出かなわずつかまった。尋問により謀略を知った相手組織が、ここでジンロン会をつぶすべきという判断になった。戦場はホテル前から場所を移し、ジンロン会が本拠を構える繁華街に至っていた。
ジンロン会、劣勢である。
本拠地建物の窓ガラスは割れ、壁には多くの弾痕が刻まれている。街路のホロディスプレイは投影装置がこわれたか、おかしな明滅をくり返している。
本拠地一階の店舗は、いきなりの襲撃に巻き込まれた人々の血だまりと死体に、床一面がおおいかくされる惨状となっていた。付近の住民や店員、深夜まで遊んでいた客たちは、訳もわからず命からがら逃げ出した。その結果空いた建物を相手組織は占拠。今は籠城戦となっていた。
「くそっ、何でえ、いきなり攻め込んできやがって! 資金源をたたいて弱った所を頂くはずが……リンスゥが裏切ったってえのも、クァンがつかまっちまったんじゃろくに事情もわからねえし、大幅戦力ダウンだし、もうふんだりけったりだ」
首領のフェイはぼやきながら割れた窓から顔を出し、ろくにねらいも定めずに何発か撃ち返した。その返礼は苛烈で、あまたの弾薬の炸裂音と銃弾の風切り音がフェイにおそいかかる。すでに割れている窓ガラスが、またバリバリと音を立てて飛び散り、破片が宙をまう。フェイはあわててまた身を沈める。
そう、リンスゥの裏切りは大きかった。戦力の核となるクローン五体のうち、一体が離脱、一体が死んだ。この状況が、相手に勝機ありと感じさせ、総攻撃にいざなったのだ。
残りクローン三体は、相手方の戦闘用クローンの対応にかり出されている。駒は減ったが、そちらはなんとか持ちこたえている。しかし他の構成員が、実戦部隊のリーダー、クァンの不在によって、混乱をきたしていた。その結果としてホテル前の戦闘からは遁走、ここまで押し込まれてしまい、ようやく持ち直してきたところだった。
「それにしても……」
もう一度頭を上げ、今度はあまり姿をさらさないようにしながら、そっと辺りの様子をうかがう。
「この辺りの警察が日和見なのはいつものこったが……これだけのおおごとになっても姿ひとつ見せねえのは変だな……」
この国の警察が高い治安能力をほこっていたのは、ずいぶん昔のことだ。
不法移民の大量流入とともに社会的モラルも押し流され、無法地帯となった都市で、警察は逆に予算を削減され、士気は下がる一方だった。安い給料で自分の命を売る馬鹿はいない。抗争に割り込んで身体を張ってそれを止めようなどとは、まちがってもしない。それが今の日本の警察だ。
ただそれでも、一応仕事をしている体裁をつけるために、現場の様子ぐらいは見に来るはず。
それさえないのは、少し異常な事態と言える。
そういぶかしんでいたその時、フェイは周囲の様子の異変に気がついた。
籠城戦になり少しトーンが落ちたとはいえ、それでも激しい銃弾の応酬が続いていた。しかし、その銃声が弱まってきたように感じる。
「?」
危険を承知でフェイは身をさらし、窓から辺りを見わたす。一時的なものではない。確かに敵の火勢は徐々に静まってきていた。
「なんだ、撤退したのか?」
弱まる銃火はとうとう鎮火し、何時間かぶりの静寂が通りを包む。
さらに様子をよく見ようと目をこらす。そこへ部下が息も荒くかけてきて、戸口の前でさけんだ。
「ボス! おかしなことが! 敵がばたばたと倒れて……」
ボッ!
次の瞬間、くぐもった破裂音とともに、その頭が撃ち抜かれた。
脳漿が飛び散り、身体がはじかれたように床へ倒れこむ。
フェイはあわてて銃を構え、戸口に向けた。
射撃音はしなかった。それは消音器の使用を示唆し、隠密行動を取っているとわかる。銃撃は一発。それで仕留められるという射手の自信と、それだけの技量を持つことを示している。
プロだ。
敵が侵入したのか? だが、敵がばたばた倒れていると言っていなかったか? ではだれが……?
息をのんで待ち構える。
コツ……コツ……コツ……。
床にひびくゆったり規則正しい、かたい足音。
それが戸口で止まる。
窓から差し込む、ホロディスプレイのちらつく光に浮かび上がる、その姿。
黒いロングコートに全身を包まれた、若い女性。
顔を見てすぐに、リンスゥと同じシリーズのクローンだと気づいた。
リンスゥとちがうのは、細く長く鞭のように束ねられた後ろ髪。あとは輪郭も、目も鼻も口も、まったく同じ風貌。そしてこの場にいるという事は、同じく戦闘用に調整されているクローンと思われた。
そして、正体がわからなかったとしても、次のターゲットは、まごうことなく、自分だ。
「このっ!」
フェイは引き金を引いた。銃声がせまい部屋にこだまする。
しかし侵入者は平然と立っていた。
二発、三発、続けざまにフェイは撃ち込む。それでもやはり、何事もなかったかのよう。リンスゥと同じく感情のとぼしい表情で、こちらを見つめ、たたずんでいる。
「な……なぜだ? 弾が通りぬけて……!」
銃撃するフェイには、信じられない光景だった。幻なのかと我が目を疑ったが、それであれば部下を撃ち殺せたはずがない。ホログラムであればどこかに投影機があるはずだが、それも見当たらない。
けれど、実体があるのなら、弾が当たっているはずなのだ。確かにフェイは、狙撃手ばりの銃の腕を持っているわけではない。けれど、裏社会を生き延びてきた人間だ。この距離で一発も当たらないほどの素人というわけでもない。
当たっているはずだ。当たっているはずなのだ。
混乱したまま引き金を引く。マズルフラッシュをともない発射される銃弾。そのまぶしさに視界がうばわれる、ほんの一瞬。
侵入者がその一瞬に合わせ動いている事に、フェイは気がつかない。
動いていないと錯覚させる、絶妙のタイミングと、最小限の身のこなし。
さらに。
「消えた?」
目の前にいたはずの姿が、ない。フェイはあわてて辺りを見わたす。本当に影も形もない。
刹那。
侵入者はフェイの背後に立っていた。
そしてフェイの後頭部に銃口を突きつけ。
一瞬のためらいも一切の気負いもなく、引き金を引いた。
フェイは何が起きたかまったく把握することなく、唐突にその意識を絶たれた。銃撃の威力で前方にふき飛び、床にたたきつけられる。
血飛沫が大きく飛び散り、床に壁に、残った。
その様子を、何の感情も表さず見つめる侵入者。その姿は確かにリンスゥと同じだった。
「終わったか……」
声がかかった。
侵入者が振り返る。その視線の先に同じような黒いコートに身を包んだ、長身の男。
大きな黒いバイザーをかけ、その目元は見えない。通った鼻筋、引き締まった口元、かっちりと固められた黒髪。
戸口から部屋に入ってくる。その動作だけでもわかる、しなやかで力強い身のこなし。血の跡にためらうこともなく部屋の中を進む様子は、この手の荒事に慣れていることを表している。
死を目前にして静謐とさえいえるたたずまいで、男はフェイを見下ろし、つぶやいた。
「製品に重大な不具合があったと知れれば、我が社のブランドを毀損する。初期対応から徹底することが肝心だ。知る者がいなければ噂が広がることもない……」
そして見落としがないか確認するように、ゆっくりと辺りを見わたしたのち、告げた。
「行くぞ」
リンスゥと同じ顔をした、戦闘用のクローンは、まったく無表情のままうなずいた。
そこは海から生えたような街だった。
海面から高い大きな建造物が空へ向かって伸び、いくつも立ち並んでいる。
その壁面に、ひたひたと小さな波が打ち寄せる。
このような都市として最初から設計されたわけではない。正確には、海が街に押し寄せてきたのだ。
二十世紀終わりから問題視されていた地球温暖化は、対策に手をこまねいているうちに、引き返すことのできないポイントを過ぎていた。化石エネルギーからの脱却だ、自然エネルギーだとさわぎ出した時には、すでに温暖化の本命メタンが、大気中に排出されだしていたのである。
メタンは二酸化炭素よりずっと能力の高い温室効果ガスだ。しかも人間社会ではなく自然界に発生源があり、対策が難しかった。広大な北極圏で溶けだした永久凍土の中で腐敗しメタンを吐き出す有機物や、深海底に眠るメタンハイドレートをすべて回収するのは、どう考えても不可能だ。
その結果、人類の取った温暖化対策はあまり効果をあげられなかった。はるか昔、ウォーターフロントなどともてはやされた臨海地区は、温暖化による水位上昇と、度重なる水害により浸水。ライフラインは寸断され、都市機能を失い、放棄された。
よどんだ海水が街をおおい、朽ちた高層建築物の間を満たしている。海水の下にうっすらと見えるのは道路に引かれた白線。建物の壁には満潮時の水の跡が残り、そこを岩礁代わりに貝類がへばりついている。
電気が来なくなってその明かりをともすことはなくなった街灯や信号が、波間から顔を出し、赤くさび付いた交通標識には、もう水没して行くことのできなくなった地名が記されているのが、かろうじて読み取れた。
海からふき寄せる風が割れた窓にふき込み、あちこちでひゅうひゅうと悲しげな重唱をひびかせていた。
まるでこの国の墓標。過去の栄華とともに、海に沈む定めの街。
だがそんな街にも人の住む気配があった。パイプで組まれた通路がビルの間にしかれている。
急ごしらえで、塩分によりそこら中さびつき、人一人わたるのがやっとの細い通路。その通路によりかろうじてつながれたビルには、電気も水道も通っていない。昼間でも中は薄暗く、潮のかおりと、そして湿気により育ったカビのにおいに満ちていた。
そんな所に住むのは、まともな住居は望めないほどの貧困層だ。とりあえず、雨風をしのいでねられれば、それでいい。都市からあぶれた人々が、なけなしの財産一式を袋につめ込んで、命にしがみつくようにして生きているのだ。
そうした人の姿がぽつぽつと見えるビルの、高層階の一室。エレベーターが使えなくなり、他の浮浪者は上がってこない目立たない一角。この街ではもう暮らせないとなった時、引っ越していった住人の残したいくつかの家具が、もどることのないおだやかな過去をしのばせる。
新居には入らなかったのか残された、大きなテーブル。大人用の椅子の他に、座面の高い小さな子供用が一つ。カウンターキッチンの戸棚には、その子供がはったのであろう何かのキャラクターのシールが残っている。色あせてもはや判別できないそれには、どんな思い出が残っているのか。リビングに鎮座する大きなテレビは、そのキャラクターを映していたりしたのだろうか。
その部屋の片隅で、リンスゥはうずくまっていた。膝を抱え、視線はぼんやりと、何かを見るわけでもなく目の前の床の一点を見つめている。
日がのぼり、落ちた。そしてまた……。
その間、リンスゥはずっと考えていた。
指示に反して組織を裏切った私は、ここにこうして身をかくしている。見つかれば殺されるだろうから。
私は道具だったから、死は怖くなかった。
私は道具だったはずなのに、でも今は、死をさけようとしている。
道具でなければ、私はなぜ生きているのか。
何のために生まれてきたのか?
リンスゥの脳裏を、あの赤ん坊の姿がよぎった。
差し出された、小さな手。
自分の腕の中で冷たくなっていった、小さな身体。
自らの膝を引き寄せて、強く抱える。
ぐううー。
その時、空腹を知らせる音が、鳴りひびいた。あの夜、作戦に出向いて以降、リンスゥは何も食べていない。エネルギーを失いつつある身体からの抗議は、ひっきりなしに続いていた。
戦闘用クローンとして調整されているリンスゥは、自律神経の働きもコントロールすることができる。隠密行動中におかしな音をたてたりしないためだ。その気になれば腹の虫をだまらせることもできる。
だが、今はそんな任務中ではない。リンスゥは自分の体が音を立てるに任せ、放置していた。
これも今の彼女が抱える矛盾。なぜ生きているのかわからなくなっても、身体はその機能を維持しようとしている。
それに、今までの彼女の習慣も、身体の機能が低下するのをよしとはしなかった。組織からはなれた今、もう任務があるわけでもないのに、きちんとコンディションを維持しないと、どうも気分が悪い。
あまり出歩きたくないけれど、仕方ない……。
重い身体を持ち上げて、リンスゥはゆっくり立ち上がった。
浸水域からしばらく歩いて陸に上がる。ここは旧港区、麻布の辺り。海面上昇の結果、新たに海沿いとなったこの近辺は、昔の面影はすでになく、お世辞にもきれいな街だとは言えない。
浸水した区域ほどではないにせよ、辺りに建つビル群は、外観からして一目で老朽化していることがわかる。たびたびおそう巨大台風の被害を修復しきれず、打ち捨てられた建物もあった。廃墟のような趣さえ感じるほどだ。
実際のところ、この街もこの先安泰というわけではない。極地の温暖化の結果、氷河、陸氷の融解は止まっていない。海面はまだ上昇傾向で、海岸線がひたひたと内陸に打ち寄せてきているのだ。水害は年々ひどくなり、ここもいつまで「海沿い」ですむか。
しかしそれでも、いやそれだからこそ、人々はこの街に生きていた。
水没した街の住民だけが貧困の中で暮らしているわけではない。格差が拡大し固定化したこの時代、多くの人が多少の程度のちがいで、その日その日をしのいで暮らしている。
海辺の街とじわじわ押し寄せる波打際は、その象徴だ。どうにもならない大きな力に飲み込まれそうになりながら、その際で暮らし続ける人々。
その波打際の街には、大陸から流れてきた多くの不法移民も打ち寄せられる。その意味でも象徴的な街だった。
しばらく歩くと人の姿が増えはじめ、街が活気づいてきた。大通りにところせましと露天商が店を構え、その間を人々が行きかっている。この道は先が水没しているので、車の往来がない。市場を立てるには絶好の場所となっていた。
そこら中からいいにおいがただよってくる。屋台が多く出ているのだ。
リンスゥはその中でひときわひかれるにおいをただよわせている店の前で、足を止めた。大きな饅頭を売っている。
ぐううー。
リンスゥの胃は、そのにおいに素直に反応し、大きく音を立てた。
それを聞きつけた屋台の主人が、威勢よく声をかけてくる。
「おっ、嬢ちゃんどうだい、でき立てだよ! 中はたっぷり、本物のひき肉がつまってる。肉汁たっぷりでうまいぞお」
本物のひき肉かどうかはあやしい。今では模造肉の方がふつうだからだ。ただ、においからして、ちゃんとした食べられる肉であることは確かだろうとリンスゥは判断した。模造品ですらないものでも平気で売る輩がいることを考えれば、この屋台店主はまだまっとうな商売をしているようだ。
「一つ千二百元ね!」
「あ! ……」
「ん?」
値段を聞いておしだまったリンスゥの様子に、屋台の主人は気づいた。
「おいおい、なんだよ、文無しか……さては海っぺりのスラムから来たな。見た目がマシだから、だまされちまった……おい、買わねえなら商売の邪魔だよ。店先にぼうっと突っ立ってんなよ」
追い立てられて、リンスゥは足早に屋台からはなれた。ここ何日か、ただじっと時間が過ぎ行くに任せていて、まったく考えていなかった事実が、重くのしかかってきた。
そうだお金……。お金を持ってない……。
クローンは本来違法な存在で、そもそも戸籍もなく、「人」としてあつかわれていない。雇用契約があったわけではなくて、まさに道具として買われたのだ。待遇は悪くて当たり前。食事はただコンディションを保つために、向こうが用意する言わば餌。給与なんか支払われない。
その結果、今のリンスゥは当然、一銭も身につけていない。
そして、今起きたように、それでは生活できないのだった。
リンスゥは眉根を寄せた。
働く……?
自分の思考に困惑を覚える。「人を殺す道具」として作られたリンスゥは、労働で対価を得るなどという生き方は、今まで考えたこともなかった。
これには生い立ちも関係している。クローンはふつうに育つのではない。育成費用をけずってコストをおさえるため、培養槽で急速成長させられ、シナプスに知識、性格、行動パターンを刷り込まれた状態で出荷される。
容姿からは二十歳ぐらいに見えるリンスゥは、実は生まれたばかりなのだった。子供だったことさえないので、社会の一員として生きたこともない。自分でかせいだ経験がないばかりか、お使いに行ってお金をはらったという経験も持ち合わせていない。修辞的な表現としてではなく、本当に人として暮らしたことがないのである。
いきなり自分の知らない世界へ、丸腰で放り出された。そんな事態に不安が生じる。感情にとぼしいリンスゥがその心の動きを自覚することはなかったが、身体の方には防御反応が出る。少し身を縮め、辺りを警戒するように、周囲に視線を走らせる。
そうして当てもなく露店の間をただよっていると、一つの張り紙が目に入った。
テーブルスタッフ募集……。
社会経験皆無のリンスゥだが、知識は脳の記憶領域に刷り込まれている。それが働き手の募集だということ、そしてその仕事がどんなものなのかということは、すぐにわかった。
そこはいくつかの屋台が、共同でテーブルと椅子を出している場所だった。繁盛しているようで、どのテーブルにも客がついて、おいしそうに目の前の料理をほおばっている。その間を動き回っている女性がいる。料理を運んだり、食べ終わった食器を下げたり、掃除をしたり。
あの仕事のことかと、リンスゥは動きを目で追う。確かに人手不足のようで、働いているのは彼女一人。あちこちから声をかけられ、いそがしそうだ。ただ、そう難しい技量は要求されていない様子。ああいう簡単な軽作業なら、経験のない自分でもできそうだ。
給金の相場が高いのか低いのかはまったく判断つかなかったが、とにかく仕事が必要だ。リンスゥは思い切って、一番近い屋台の主人に声をかけた。
「あの……すいません、あの張り紙……」
「ああ、求人? 君が?」
その屋台の大柄な主人は、ぱっとこちらを振り向いた。だがすぐに、表情をくもらせ、いぶかしげにリンスゥの姿をじろじろと見回す。
「応募はありがたいんだけど……。でも、その顔はSYRのシリーズだよな……。持ち主はどうしたの」
その言葉に、リンスゥは息をのむ。
「……ま、いっか。SYRは見た目がいいしな……今どこに住んで……あれ?」
しばし天をあおいで考えていた主人が、次の言葉を発した時には、もうその場にリンスゥの姿はなかった。
だめだ、この顔を見ればクローンだと、すぐにわかってしまう。頻繁に出会う同じ顔。そして人として認められていないクローンは、誰かの所有物なのがふつうなのだ。身元をかんぐられて当然だ。
足早に屋台をはなれながら、リンスゥは考えた。
ジンロン会が今、自分を追っているかどうかはわからない。仕事を始めた時に、雇い主や客がわざわざ私の身元を調べ上げ、組織に伝えるとも思えない。
だが、どこからか噂が回ることはありえる。所有者知れずのSYRシリーズのクローン。それが組織の耳に入った時。彼らはあやしむのではないだろうか。
仲間のクローンを殺し、直接の上役も傷つけた。敵対勢力に寝返った者を暗殺し、彼が持つ重要なデータをぬすみ出して一気に敵を弱体化させる計画は、その自分の裏切りでどうなったか。少なくとも、当初目的の達成が難しくなったことは確実だろう。
そんな裏切り者の所在を知れば、組織が制裁に出る可能性は十分にある。
そうなると、人と多く接するような通常の仕事で働くことには、リスクがある。
またおなかが、ぐうと抗議の声を上げた。
身体の活動を止めないためには、外部からエネルギーを得ることが必要だ。そして人間社会では、そのエネルギー源、すなわち食料は、入手するために対価が必要だ。その対価、すなわち金銭を得るために、人には仕事が必要なのだ。
それでは、その働き口を得るのが困難だとしたら……?
露店の店波をぬけて、市場の外れに出た所で足を止めた。
そこは市場から出たごみが集められている場所だった。
屋台の多く出る市場だ。食べ残しや食材屑が豊富にあるのだろう。蝿の大群が飛び回り、腐臭がただよっている。
そして、みすぼらしいぼろをまとった人たちが数人、蠅とはまたちがった蟲のように、辺りをうごめいていた。
その姿を見てとまどいながらも、リンスゥは一歩、足を進めた。働き口を見つけるのが困難となれば、彼らと同様、もうこれしかなかった。
何でもいいから、何か食べる物……。
恐る恐るごみのつまった容器を開ける。
わっと蝿が飛び立って、思わず顔をしかめた。
その時。
自分に向けられた殺気に、リンスゥの身体はすぐさま反応した。即座に体をひねって、突然の攻撃をかわす。勢いよく突っ込んできた敵は、そのままバランスをくずしてゴミの山に倒れ込む。
反撃のために振り向いたリンスゥは、おどろいて手を止めた。
そこには小柄なやせこけた老人がいた。各所が破れ、もはやぼろ布のような衣服を身に着け、黒くすすけた肌をしている。見た目だけでなく、その動きにも力強さはない。どう見ても、自分に害をなせるような戦闘力があるとは思えない。
しかし老人はそんな実力差お構いなしに、獲物の棒切れをぶんぶん振り回して、リンスゥを威嚇する。
「お、お、おまえ、見ない顔だな、だめだ、だめ、やらないぞ、これは、おれんだ」
口から泡を飛ばしかみつくように言い捨てると、自分がひっくり返した容器にしがみ付いて中をあさり始めた。
「うほー! これ、これは」
喜びの声と共に取り出したのは、大きな肉のかたまり。
少し黒ずんでいたが、老人には大した事ではないらしい。うれしそうに目尻を下げて、付いたよごれをはらっている。
すると、どこからともなく、同じようにうすよごれた男がやってきた。こちらはずっと背の高い中年の男。頬は落ちくぼみ、眼窩から飛び出しそうな目がぎらぎらとかがやいている。
男は無言で近づくと、有無を言わせずに肉を老人から取り上げた。
「あ、あ、なに、なにすんだ、それ、おれが……」
抗議する老人を、男は思い切りなぐりつける。
ごつっ。
薄い皮だけをまとった骨と骨がぶつかる音がひびく。
「ひ」
丸くなった所を、さらに足蹴に。容赦なく何度も何度も蹴りつける。
「ひ、ひい、やめ……」
相手が抵抗しないことを確認すると、男は戦利品を持って、その場を立ち去った。しばらくしてよろよろと立ち上がった老人は、身体をこすりながら、何事もなかったかのようにまた容器をあさる。
どうやらこれは日常の出来事らしい。おどろいたリンスゥは、強盗をただ見送るだけだった。男も手を出す様子のない傍観者には興味がないようだ。はなれたところにあぐらをかいて座り込むと、戦利品を夢中でかじっている。
リンスゥは目前で容器をあさる老人を見つめる。
力づくでうばおうと思えば、できるけど……。
弱肉強食がここの掟と知っても、自分がこの老人に暴力を振るえるとは思えなかった。
おじけづいたわけではない。命じられれば、命のやり取りもためらわない。そういう世界に、道具として生きてきた。
ただ、その指示がなかった時、自らの理由ではそう簡単に力を振るえない自分自身を、今初めて知った。
ため息をつき、空腹を抱えたまま、集積所を後にした。
その夜、リンスゥは、街の暗がりを歩いていた。
日が落ち夜がふけるまで待って、なるべく人目に付かない裏道をたどりながら目指したのは、リンスゥが元いた街。
この先どうするか考えた結果、ジンロン会の拠点へ行くことにしたのだ。
いったい何をしてるんだろう。見つからないようにと身をひそめていたのに、もどろうだなんて……。
そう考えて眉をひそめる。リンスゥ自身も、自分の無謀な計画に半分あきれていた。
そう、これはまったくおかしな話なのだ。ジンロン会に所在が知れるリスクをきらい、まともな仕事に就くのが困難だと判断したのに、その結果不足する生活資金を、ジンロン会の金庫からくすねて解決しようというのだから。
確かにジンロン会が居を構えているのは古い雑居ビルで、電子的なセキュリティはゆるい。一階店舗に配置された構成員が不審者をチェックしているのが主たる対策なので、しのびこむ方法はありそうだ。あの建物に寝泊まりしている人数も多くない。深夜の上層階で見つからずに行動することも可能。
金庫には貴金属の類がしまわれていたはず。また、電子マネー入りの端末もあったはずだ。新たにやといいれる不法移民の構成員用に常備されているもので、足がつかないように細工され、それをちょっといじれば、ジンロン会自身も追うことができない。そちらをぬすむことができれば一番いい。
ただ、そこにいたる詳細はろくに考えていない。侵入ルート等、本当に出たとこ勝負。現場に行ってから考える。こんなもの、計画とは呼べない。
だが、以前なら当然のようにできた合理的な判断が、今はできなくなっていた。
あの夜から、自分は本当におかしい。そう頭の片隅ではわかっているけれど、感情のゆらぎが行動に影響をおよぼすのを止められない。
見知らぬか弱い老人から力づくで食料をうばうぐらいなら、組織の本拠にこっそりしのびこんで、まともにかせいだわけではない金をぬすむ方が気が楽だ。その一点で、リンスゥはよく知った道を進んでいるのだ。
そろそろ本拠に近づいた。リンスゥの足取りが一段と慎重になる。動機が感情に左右されていても、身に付いた行動原則は忘れていない。うっかり見つからないように、裏道とさえ呼べないようなせまい路地を使い、さらに接近。壁に背中をつけ、角からそっとのぞき込む。
そこに見えたのは、予想外のものだった。
あれは……警察の……?
建物の前が封鎖されている。
犯罪現場を示す、警察の使う黄色い立ち入り禁止のテープが張りめぐらされていた。入り口には、自律型の警備用ロボットが置かれている。現場を保全するためだ。
何か事件が……?
そう言えばここまで来る間、いつもより人影が少ないなとは思っていた。この繁華街はふだんはさながら不夜城で、深夜であっても人通りは絶えない。
だが今日は、ジンロン会の本拠だけではなく周囲の店も閉まっている。そこを通る人もまばらだ。そこら中の建物に銃痕があり、窓ガラスは割れ、看板も消えている。さらに言えば、ここらの警察の勤労意欲の低さをリンスゥもよく知っていた。半端なことではこの周辺に出動してこない。なのに封鎖線を引いているということが、事の重大さを表している。いったい何が起きたのか。
その光景にとまどったが、考えてみれば、それは逆に好都合とも言えた。本拠の窓には明かりが一つも点いておらず、人気が感じられない。今なら簡単に入り込めそうだ。
とにかくまず中へ……。
正面も裏口も警備されているようだったので、リンスゥは少しはなれたビルの非常階段から屋上へと上った。屋根伝いに目的の建物へ移動。ビルの間のせまい隙間に手足を突っ張らせて、降りていく。
かぎのかかっていない窓を見つけ、そっと中へと入る。人の気配はやはり感じない。廊下にも部屋にも数多くの銃痕が見られ、そこら中にかわいた血だまりがあった。
そこに警察が捜査した跡が残っている。チョークで引かれた境界と、目印に置かれたマーカー。白くふちどられた人影が死者の人数を知らせる。組織の人数とそう変わらないのではないかというほどの、多数の死者が出ていた。
リンスゥは一つの推測に至る。
そうか……私が立ち去る時、後ろで何かもめてたけど、あのまま抗争になって、全滅したのか。
自分の裏切りの結果が、想像以上に大きかったことにおどろいた。しかしすぐに、相手組織が思っていたよりも強大だったのかと納得する。末端の道具であった自分には、すべての情報が伝えられていたわけではなかった。多分上層部が彼我の戦力差を読みちがい、手を出してはいけない相手に手を出した、ということなのだろう。
第三の勢力が介入し、双方を殲滅した結果だということを、リンスゥが知るすべはなかった。
首領のフェイの執務室へと入る。ここもずいぶんと荒らされていた。部屋の中央に大きな血痕。
……死んだ、のか。
それがフェイのものだと、直感的にさとった。
壁のかくし金庫に目をやる。その扉は開き、中は空だった。
抗争相手が荒らしたか、警察が証拠物件として持ち去ったか。他の部屋にあるだろうかと考えて、その可能性は低いと結論づける。この建物に住んでいたのはフェイの他は自分たちクローンぐらいだ。彼女たちはリンスゥ同様、小銭の持ち合わせもなかった。
他にも入れ替わり無宿の荒くれ者が身を寄せたりしていたが、それも組織にやとわれれば他に住まいを持って出ていった。用意された端末は当然持っていく。今はちょうどそういう人間がとぎれていた。当てはこの部屋のこの金庫だけだった。
とにかくリンスゥの目当ての物は残っていそうにない。
けれど無駄足だったわけではない。ジンロン会が消滅したことを知ることができた。それは自分にかけられたくびきがなくなったということだ。これなら何もぬすみなどせず、ふつうに働いてかせげばいいのだ。
それはリンスゥにとっては朗報。だが特に喜びを感じたわけではなかった。
人の気配なく、静まり返る建物。そこはついこの間まで、リンスゥが暮らしていた場所だった。
楽しかったわけではない。仲のよい人がいたわけでもない。ただ、淡々と暮らし、日々の命令に従っていただけだ。
だがそれでも、ここには多くの人がいて、熱気と喧騒があった。
それが幻だったかのように、今、辺りは静寂に包まれている。
リンスゥが暮らしていた過去さえも、幻だったかのように。
リンスゥの存在さえも、幻かのように。
灰皿の上に葉巻の吸殻が残っていた。首領のフェイがいつも吸っていた銘柄だ。ちょっと持ち上げる。
それには確かに、かさついた手ざわりとかすかな重みがあった。
辺りの静けさに引きずられるように無意識のうちにつめていた息が、唇からもれる。
そのはずみに吸い口から、はらりと灰がこぼれる。
それが灰皿脇に置いてあったタブレットに、落ちた。
リンスゥは無意識のうちに、そのよごれをはらおうとした。
ふれたはずみに、タブレットがカタンと鳴る。
スリープしていたようで、タブレットが起動し、ホログラムが立ち上がった。
「えっ」
そこには笑顔の、自分がいた。
いや、自分ではない。
それはカタログだった。同時に表示されたデータに目を通す。リンスゥもその一体である、クローンSYRシリーズのもの。
リンスゥの不調を聞いたフェイが、念のため新しい個体の購入を検討していたのだとは、リンスゥには知るよしもない。そしてもしその事情を知ったとしても、今は気に止めなかっただろう。
浮かび上がったホログラムに目をうばわれていたからだ。
笑ってる……。
ホロの中の少女は、にっこりと明るく笑っていた。
多分この子が、自分たちの元になった遺伝子提供者なんだと、リンスゥは気づいた。
だがその事実よりも、今、リンスゥの意識をしめているものは。
一点のくすみもない、晴れわたった青空のような笑顔。
その笑顔にリンスゥは引きつけられた。
同じ顔に囲まれて暮らしてきた。
だが、こんな表情に出会うことはなかった。
どんな子だったのか……こんな顔で笑う子だから、明るい子だったのか。クローンではない、オリジナルなんだから、当然両親はいて……。愛されて育ったんだろうか。兄弟はいたんだろうか。どこに住んでいて、どんな暮らしをして、どんな物が好きで……。
なぜ、遺伝子を提供することになったんだろう……。
なぜ、彼女の遺伝子は、こんなことに使われているのだろう……。
それを受け継いだ私はなぜ、何のために生まれてきたんだろう……。
知りたい!
それはリンスゥの心の中に生まれた、初めての渇望だった。
道具として生まれ、道具として生きてきた。その生き方に疑問どころか、何を感じることもなかった。
ただ、あの時。
小さな赤子の姿に生を感じた時。
何かをつかもうとするかのように伸ばした手を見た時。
リンスゥの胸にぽつんと小さな想いが芽生えた。
今その想いはむくむくと大きく育ち、リンスゥの心をゆさぶっていた。
夜が明け、昼になり、街は喧騒を取りもどした。
その一角の薄暗くせまい裏路地で、リンスゥは座り込んで膝を抱え、ねむっていた。昨晩ジンロン会の本拠をはなれた後、ふらふらと街を徘徊し、どことも知れぬ暗がりで身を休めたのだ。
ふと目が覚める。
最初に考えたのは食べ物の事だった。
おなか……すいたな……。
力が入らない……何日食べてないんだっけ……。
やっぱり、あそこへ行って……。
あのゴミ捨て場を思い出し、リンスゥは力なく、くすりと笑う。
今なら、あの弱々しかった老人にも、勝てないかもな……。
空腹と昨日の出来事が、リンスゥから力をうばっていた。
渇望が生まれ、そしてすぐにしぼんだ。それがかなえられない望みだと、すぐにわかったからだ。
不法なクローンを販売する非合法組織。これだけ多くの製品が世にあふれているということは、それだけ力のある組織だろう。そんなところを相手に情報を引き出すすべなど、持ち合わせていない。
初めて自覚した願い。生きる欲望。それをすぐさま失った。
道具として帰る場所さえもなくした今、もはやリンスゥには何もない。
立ち上がる気力も生じず、何かを考えるのも面倒になり、また顔をうずめてねむろうとした時。
「あら、あなた……こんな所で何してるの?」
自分に向けられた声に顔を上げた。
見上げるとそこにはよく見慣れた顔が、リンスゥをのぞきこんでいた。
自分だ。
自分と同じ顔が、あのホロの写真のように、明るくほほえんでいた。
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銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE
2016年から活動しているセルパブSF雑誌『銃と宇宙 GUNS&UNIVERSE』のnote版です。
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