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冬を閉じ、春を招く花々

川瀬流水です。全国に豪雪をもたらした寒い2月も終わろうとしています。3月に入ると、次第に春の気配を感じるようになると思いますが、こうした冬から春にかけて咲く花といえば、まず「梅」を思い浮かべる人も多いかと思います。

梅をこよなく愛し、また愛された人物といえば、学問の神様「菅原道真」(845~903)が有名です。

道真は、生前、従二位右大臣まで上り詰めましたが、昌泰(しょうたい)4年1月25日(901年2月16日)、左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言により、突如大宰員外帥(だざいのいんがいのそち)に左遷されました。そして、延喜(えんぎ)3年2月25日(903年3月26日)、都に戻ることなく現地で没しました。

道真は、梅の花の咲く頃に都を追われ、梅の花が散る頃にその生涯を閉じたことになります。

伝承によると、道真は京の屋敷を彩る梅の木、桜の木、松の木をこよなく愛でていましたが、これらの庭木もまた彼を慕っていました。

道真との別れに際して、桜の木は、哀しみのあまり枯れてしまい、松の木は、空を飛んで彼を追いかけましたが、摂津国板宿(いたやど、現在の神戸市須磨区板宿)付近で力尽き、同地に根を下ろしました。(飛松伝説)

梅の木もまた、空を飛んで道真を追いかけますが、見事その日のうちに大宰府まで行き着いて、同地に根を下ろすことができました。道真は、旅立ちの前に、梅の木との別れを惜しんで、歌を詠んでいます。(飛梅〈とびうめ〉伝説)

東風(こち)吹かば にほひをこせよ梅花 主(あるじ)なしとて春を忘るな(拾遺和歌集)

菅原道真は、その高い素養と都での活躍、そして左遷後の彼と一族が辿った過酷な運命に対する人々の追慕の念が、様々な天変地異と重なって、強大な力をもった神格(御霊、ごりょう)とみなされるようになります。

そして、人々が現世にあるときは、「天満大自在天神」(てんま・だいじざいてんじん)として、彼らの願い(現世安穏)をかなえ、人々の死に際しては、天神の本地仏(ほんじぶつ)たる「十一面観音菩薩」として、彼らを西方浄土(後生善処)に導く聖なる存在と位置づけられるようになりました。

天神を祀る神社といえば、太宰府天満宮、北野天満宮(京都洛中)、吉祥院天満宮(きっしょういん、京都洛外)、道明寺天満宮(どうみょうじ、大阪)がその代表格と思われますが、これら以外にも全国に数多くの神社があります。

神戸のJR三ノ宮駅から山麓に向けて、坂道を上っていくと、徒歩15分ほどで「北野天満神社」(通称、正式には「北野」が付きません)に着きます。

北野天満神社、手前の道路は異人館街の一角に通じてます

異人館街がある北野の地名の由来となった神社で、西隣に「風見鶏の館」があります。坂道を上り切った高台にあるため、「天空の社(やしろ)」と呼ばれるにふさわしく、神戸の街を一望することができます。

鳥居をくぐり、急な階段を上っていくと境内に着きます
天神さまにちなみ、神の使いである「牛」も祀られています、とてもリアルですね

平安末期、平清盛による福原京遷都の際に、新都の鬼門を守護する社として、平安京で同じ役割を果たす北野天満宮を勧請して祀られました。

2月25日は、菅原道真の命日にあたることから、この日の前後に「梅花祭」を行う天満宮・天満神社が多くみられます。

北野天満神社では、2月23日(日)に「北野プラム・ブロッサム・フェスティバル」が開かれました。

日本の伝統文化を広く在日外国人の方々に紹介して、国際親善に努めようとするもので、今回で35回目となります。港町神戸にふさわしいユニークな「梅まつり」になっています。

今年は、例年にない寒気の影響からか、全国的に梅の開花が遅れているようで、フェスティバル当日も、早咲きの梅がちらほら見ることができる程度でした。

フェスティバル当日、早咲きの黄梅が咲きかけていました

境内には「椿」も植えられています。日本原産の植物で、学名は「Camellia japonica」(カメリア・ジャポニカ)

椿もまた、冬から春にかけて咲きますが、美しい花の赤色は、寒い季節を引き立てるとともに、春を予感させる印象的な彩りとなっています。

今年は、梅と同じく、まだ多くは「つぼみ」のままで、もう少し時間がかかりそうな様子でした。

一輪の椿の花が、鮮やかな赤色をのぞかせていました

当日の午後行われたフェスティバルでは、献花式・献茶式の後、能楽観世流シテ方「上田宣照」(うえだ・よしてる)氏の「高砂」(たかさご)が披露され、これを皮切りに、様々な催し物が行われました。

能楽「高砂」➀、拝殿を舞台に披露されました、背景として神戸の街が一望できます
能楽「高砂」②
能楽「高砂」③
能楽「高砂」④

当日は、境内の建物で「いけばな展」も開催され、献花式を担当された「佳生流」(かしょうりゅう)家元「西村翠雲」(にしむら・すいうん)氏と、その門下生のみなさんによる作品が展示されました。

西村翠雲氏による作品、中央の美しい黄色の花はシンビジウム、これも冬から春にかけて咲く花です

また、いけばな展と同じ座敷で、抹茶と和菓子(セットで一人400円)をいただくことができました。

抹茶を点(た)てる体験も可能で、当日も外国の方々がチャレンジされていました。

訪日外国人と思われる少年が、果敢にチャレンジしています

JR須磨駅北隣の浜国道(250号)を東に8分ほど歩くと「綱敷(つなしき)天満宮」に着きます。

「綱敷」という名称の由来は、道真が左遷されて大宰府に向かう途中、嵐に遭い、須磨の浦に一時上陸した折に、地元の漁師たちが松の陰(かげ)のもとに、綱を渦巻き状にして「円座」(えんざ)を作り、篤くもてなした、という謂れ(いわれ)に基づくとされます。

天満宮の境内には、このときの「綱敷の円座」が再現されており、誰でも自由に座って、往時を偲ぶことができます。

綱敷の円座、誰でも自由に座ることができます、それにしても背後の狛犬(こまいぬ)がちょっと怖いですね

綱敷天満宮にも、神の使いである牛が祀られていますが、一頭の成牛の隣りに、仔牛の群れがともに祀られていました。

母牛(左上)に連れられたたくさんの仔牛たちといった感じです、ちょっと珍しい構図かな
仔牛のアップ、一頭ずつ「赤いよだれかけ」が着けられていて、とっても可愛いです

天満宮では、道真の命日にちなみ、2月24日(月・祝)~25日(火)の夕刻、境内のライトアップが行われました。

梅花の本番はまだこれからといった感じでしたが、早咲きの梅は満開で、夜の闇のなかで鮮やかに輝いていました。

ライトアップされた鳥居と本殿
かつての神仏習合を偲ばせる「三重塔」、土台に天満宮にちなむ神紋である「梅紋」(うめもん)が刻まれています、暗闇に浮かび上がる塔の赤色が幻想的です
ライトアップされた早咲きの黄梅
黄梅を昼間に撮った写真、可憐な花が咲き誇っています

梅にまつわる物語は、天神さまに限らないようで、神戸の中心部に位置する「生田神社」にも。残されています。

平安末期、源平の戦いも終盤にさしかかろうとする頃、一度は都を追われた平家が、現在の神戸市中西部あたりまで勢いを盛り返してきました。

これに対し、源義経率いる軍勢は、丹波を経て東播磨を南下し、須磨一の谷に迫りますが、主力の源範頼(みなもとののりより)率いる軍勢は、正面の山陽道から進み、平家方が軍を敷いていた「生田の森」(いくたのもり)で激突します。

生田の森は、現在神社の境内の一角にありますが、かつては六甲山麓から海浜部に至る広大なエリアを占めていたと思われます。

現在の生田の森と巨木、神戸都心部に往時の森を連想させる特別な空間を作りだしています

生田の森の戦いは、寿永3年2月7日(1184年3月20日)に行われました。ちょうど、梅の花が咲き誇る時季にあたります。

戦いに際し、源氏方の梶原景時(かじわら・かげとき)の嫡男「梶原景季」(かじわら・かげすえ)は、矢を入れるために身に着けていた「箙」(えびら)に梅の枝をさして戦い、平家方もその風情をほめたたえた、といわれています。

梶原景季を題材にした能楽「箙」の一場面、腰のあたりに着けているのが梅の枝をさした箙、ビジュアルは鎌倉観光公式ガイド(鎌倉市観光協会)から引用させていただきました

生田神社の楼門西隣に、景季の物語にちなみ「えびらの梅」として、紅白の梅の木が植えられています。

また、白梅に寄り添うように、岩手県生まれの江戸時代の俳人「子日庵一草」(ねのひあん・いっそう、1731~1819)の句碑が建てられています。

漂泊の俳人として知られていますが、神戸の俳壇に大きな功績を残し、この地で没しました。碑には、えびらの梅にちなみ、次の句が刻まれています。

神垣や 又とをらせぬ 梅の花 (裏面 文化元甲子春 子日庵一草)

えびらの梅、右手が紅梅、左手が白梅、白梅の根元に子日庵一草の句を刻んだ石碑が建てられています
白梅は、見事な花をつけていました

楼門の東隣に「梶原の井」と呼ばれる井戸があります。梶原景季が梅の枝を箙にさした自分の姿を水面に移し、その水を神前に供えて武運を祈った、という言い伝えが残されています。

古(いにしえ)の人たちも、冬のさなかに咲き始め、春を招く梅の花には、なにか運気を開く特別な力が宿っているように感じられたのかもしれません。 

梶原の井、目立たぬ感じで、ひっそりと残されています

大阪府北部から兵庫県南東部にまたがるエリアは、かつて「摂津国」(せっつのくに)と呼ばれていました。

神戸市東灘区岡本は、摂津の梅の名所として有名で、江戸時代に刊行された「摂津名所図会」(せっつ・めいしょずえ)にも、その賑わいが紹介されるほどした。

近畿一円でも「梅は岡本、桜は吉野、蜜柑紀国、栗丹波」と並び称されていました。

摂津名所図会「岡本 梅花見図」、武士や町人、女性など様々な人が花見を楽しんでいます

しかしながら、1938(昭和13)年の阪神大水害で流出、1945(昭和20)年の神戸大空襲でも焼失、その後の宅地化でほとんどの梅を失いましたが、地元の方々や神戸市の努力により「梅林公園」が開園、梅をキーワードにした地域づくりが続けられています。

「岡本梅林公園」は、阪急岡本駅から北西に坂道を徒歩で約10分ほど上った六甲山の山裾にあります。

2月16日(日)に「摂津岡本梅まつり」が開催されました。あいにくの曇り空で、肌寒い感じでしたが、多くの見物客で賑わっていました。

岡本梅林公園の入口、梅林は山の斜面に沿って植えられています

公園には、現在46種213本の梅が植えられています。各々の木には、番号と名前が付けられていますが、今回の投稿では、詳細は割愛させていただきます。

早咲きの梅、清楚ななかにも凛とした佇まいが感じられます
まだ咲き始めた風情の紅梅、可憐な姿が魅力的です

当日は、飲食や物品販売など様々なコーナーが設けられ、肌寒さも忘れるくらいの熱気に包まれました。

四阿(あずまや)では、女性スタッフのみなさんが、甘酒の無料提供に向け準備中です
梅にちなんだクッキーやケーキ、和菓子など様々なスイーツが販売されていました

日本酒を販売するコーナーも設けられていましたので、梅にちなむ新潟の銘酒「越乃寒梅」(こしのかんばい)と「雪中梅」(せっちゅうばい)をいただきました。

辛口と甘口の上品な味わいで、とても美味しかったです。(小グラス 各400円)

次回は、もうひとつの銘酒「峰乃白梅」、そして超辛口で評判の奈良の「春鹿」(写真左側)も、いただいてみたいと思いました

地元のボランティアの方が、梅花にちなむ女性の古典的な髪の結い方(結髪、けっぱつ)を、披露されておられました。

当日披露された女性の結髪、髪にさした梅の花が可愛いですね

多くの梅木のなかで、ひときわ目を引く紅梅がありました。今が盛りと咲き誇っている姿が圧巻でした。

見事に花をつけた紅梅の大木、多くの方が写真を撮っておられました

公園には、スイセン(水仙)も植えられていました。地中海原産の植物ですが、古く中国を経由して、日本にもたらされました。

花は冬から春にかけて咲きますが、「雪中花」という別称があるように、その開花時期は早く、梅や椿に先立って咲きます。

道路脇に植えられたスイセンの花を目にするとき、真冬から咲く冬の花なのに、春の訪れをも期待させる、スイセンのもつこの二義性を心地よく感じるのは、私だけでしょうか。

スイセンの花のシンプルな美しさは、見飽きることがありません

梅林公園に向かう拠点となるのは阪急岡本駅ですが、この界隈は、甲南大学も近くにあり、閑静な住宅街のなかに、魅力的な店舗が立ち並んでいます。

岡本駅から歩いて数分のところに、江戸時代の安政年間に創業したという老舗「安政堂」があります。

美味しそうな和菓子のなかから、うぐいす餅と小倉味・抹茶味の羊かんを購入しましたが、陽気な女将さんと話し込んでいるうちに、さらにうぐいす餅と栗饅頭をプレゼントしていただきました。

お店の看板娘の陽気な女将さんから、うぐいす餅と栗饅頭をプレゼントしていただきました
写真右手前がうぐいす餅、左側が栗饅頭(半分に切っています)、後ろにあるのが小倉味と抹茶味の羊かん、どれも程よい甘さで、とても美味しかったです

今回は、冬から春にかけて咲く花々として、梅、椿、シンビジウム、スイセンを見てきました。花咲く現場を巡ってみて、改めてその美しさと、冬を閉じ春を招くその大切な役割に、心が満たされる思いがしました。

来る3月3日(月)は「ひな祭り」です。先日、近くのスーパーに立ち寄った際、昔よく食べていた「チロルチョコ」が、可愛い「ひなまつり」バージョンを出しているのを目にしました。

タテ・ヨコ10cmくらいの小さなサイズで、1箱300円程度の安価なものなので、早速1箱購入しました。

ひな祭りバージョンのチロルチョコ、組み立てる前の箱の写真

この箱は、組み立て式になっていて、可愛いおひなさまとひな壇に変身します。

組み立てた後のひな壇の写真、小さいながらも五段重ねになっています

久しぶりに眺めた小さなおひなさまが、とても懐かしく感じられて、思わず見入ってしましました。春の訪れも近いようです。






















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