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新年を寿ぐ商売繁盛の神々~えべっさんと大黒天~
川瀬流水です。干支でいう「乙巳」(きのとみ)の新年を迎えました。飛鳥時代の645(皇極天皇4)年、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒した「乙巳の変」(いっしのへん)に象徴されるように、この干支は、大きな変化と復活・再生を表わしているようです。
私が暮らす神戸の新年1月は、光と影が交差する月でもあります。
今年は、阪神淡路大震災が発生してから、30年目にあたります。1月17日の早朝、都心三宮の南にある「東遊園地」に行ってきました。発災した5時46分、集まっていた多くの人々とともに、亡くなられた方々のご冥福を祈り、黙祷を捧げました。
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東遊園地は、1938(昭和13)年7月に阪神間全域で700名を超す死者を出した「阪神大水害」、1945(昭和20)年に神戸の街に壊滅的被害を与えた「神戸大空襲」、そして阪神淡路大震災と、3度にわたる災禍のなかで、被災者救済のために大きな役割を果たしてきました。
今回で30回目を迎える「神戸ルミナリエ」が、東遊園地等をメイン会場に、1月24日から2月2日まで開催されています。
今、日本は、自然災害の多発というタイミングのなかにあるようにも感じられます。宿命ともいうべき災禍のなかで、これからも歩みを続ける契機とするため、訪れてみていただけるとありがたいです。
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1月9日から11日にかけて、JR兵庫駅南東のエリア(柳原)において「柳原十日戎」(やなぎはら・とおかえびす)が、賑やかに開催されました。
中心となるのは、「柳原のえべっさん」で親しまれる「柳原蛭子神社」(やなぎはら・ひるこじんじゃ)と、「大黒天」で知られる「福海寺」(ふくかいじ)です。
これらが位置するエリアは、かつての兵庫津(ひょうごのつ)の繁栄を支えた港の外郭(がいかく)のなかにあります。
兵庫津は、古くは「大輪田泊」(おおわだのとまり)と呼ばれ、瀬戸内海航路の要衝として栄えました。鎌倉時代以降、兵庫津と呼ばれるようになったようです。
平清盛による日宋貿易、足利義満による日明貿易の拠点となり、近世では朝鮮通信使の寄港地となるなど、国際性豊かな港町でした。1868年の神戸開港以降「兵庫港」と呼ばれるようになります。
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兵庫津は、京都と九州大宰府を結ぶ「西国街道」ともつながり、港を臨んで広がる町並みは、陸路の要衝でもありました。
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西方(上図左上方)から、西国街道(上図赤字)を通って、兵庫津の外郭エリアに入る西の玄関口が「柳原惣門」(やなぎはら・そうもん)でした。柳原蛭子神社や福海寺は、その近くに位置しています。
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ここから、南東に約600Mほどまっすぐに進むと、港近くの「札場の辻」(ふだばのつじ)に出ます。
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この場所から港近くまで約100Mほど歩くと「大輪田泊石椋」(おおわだのとまり・いわくら)に着きます。古い港湾施設に用いられた巨石で、貴重な遺構のひとつとなっています。
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ここで、ほぼ直角に曲がり、北東に約550Mほど進むと、東の玄関口である「湊口惣門」(みなとぐち・そうもん)に着きます。
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神戸の人々は、柳原蛭子神社のことを、親しみを込めて「柳原のえべっさん」と呼びますが、この「えびす」という言葉は、不思議な言葉です。
漢字を当てると「夷」または「戎」となり、都からみて、東方または西方に住む未開の異民族、といったニュアンスですが、「えびす」を神と捉えた場合、いわゆる記紀神話には登場せず、そうかといって、インドや中国など外国に由来する存在でもないようです。
各地に残る伝承をみると、えびす神は、海という異界からやってくる存在であり、我々の日常生活のエリアに漂着する「寄り神」(よりがみ)でもある、とされることが多いようです。そしてそれらは、我々に豊漁に象徴されるような幸(さち)をもたらします。
えびす神は、やがて人々が集まる市場に賑わいをもたらす「市神」(いちがみ)としての性格をもつようになります。
「夜開かれる市に集まるのは、半分は人で、半分は化け物だ」といわれることがあるように、見知らぬ様々な人が集まり、物の売買を通じて、お互いに福を分け合う市場という空間は、異界からやってきて、我々に福をもたらす「えびす神」のイメージによく合っているように感じます。
次第に、えびす神は、漁業神としてだけでなく、広く商売繁盛の「福神」として人気を博するようになり、現在に至ります。
ところで、えびす神を祀る神社をみると、記紀神話に登場する「蛭子」(ひるこ)に習合するケースと、「大国主神」(おおくにぬしのかみ)の子とされる「事代主神」(ことしろぬしのかみ)に習合するケースが、多くみられるように思われます。
今回は、柳原蛭子神社に関わりが深い前者を中心に、みていきたいと思います。
えびす神を祀る神社といえば、現存する文献上「えびす」という名が記された最古の神社である兵庫県西宮市の「西宮神社」(にしのみや・じんじゃ)が、その代表格であろうと思います。
そして「西宮のえべっさん」として親しまれるこの神社の主祭神は「えびす大神(蛭子大神)」です。
西宮神社の由緒によれば、西宮東部に位置する鳴尾(なるお)の漁師が、兵庫津の和田岬(わだみさき)の沖合で、網にかかった御神像(蛭児神)を引き上げ、自宅でお祀りしていましたが、御神託があり、現在地に遷座された、とされています。
古事記によれば、国生み神話に登場する「水蛭子」(ひるこ)は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)から生まれた最初の子どもで、葦船(あしぶね)に乗せて海に流した、とされています。
兵庫津の南端に位置する和田岬は、速い潮の流れに乗って、寄り神が漂着する聖なる場所でした。この地にあるのが、「蛭子大神」を祭神の一柱として祀る「和田神社」(前述エリア図、中央下段)です。
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今年は乙巳の年ですが、和田神社は、白蛇を祀ることでも知られています。
海に流された蛭子は、やがて神として祀られ、白蛇の姿で顕現して、我々の商売繁盛と子孫繁栄を見守ってくれている、私の勝手な妄想ですが、そのように思えて、とても力強く感じられました。
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えびす神社の総本社である西宮神社では、かつて和田岬まで神幸渡御(しんこう・とぎょ)が行われていました。往路は海上、還幸は陸路が用いられました。そして、陸路の際の神さまの仮の住まいとなる「行在所」(あんざいしょ)が、兵庫津の外郭に設けられ、これが現在の柳原蛭子神社につながっていきます。
1月10日に、柳原十日戎に行ってきました。まず、柳原蛭子神社をお参りしましたが、大勢の人が集まり、大変な賑わいをみせていました。
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境内の中央には、大きな桶が置かれ、その背後に、漁業神であるえべっさんにちなみ、多くの鮮魚が奉納されていました。
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社殿に近づくと、押すな押すなの人ごみで、なかなか前に進みません。えべっさんの「福笹」も購入したかったのですが、列を外れる勇気がなかったので、今年は諦めることにしました。
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社殿の隣に、「稲荷社」(いなりしゃ)があり、多くの人々が、併せて家内安全・商売繁盛を祈願していました。
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柳原蛭子神社を後にして「福海寺」(ふくかいじ)に向かいます。臨済宗のお寺で、本尊は「釈迦如来」ですが、大黒天が安置され、「柳原大黒天」として広く信仰を集めてきました。
福海寺では、柳原十日戎と時を同じくして、大黒祭が開かれます。
大黒天は、インドにおけるヒンドゥー教の最高神、シヴァ神の化身のひとつである「マハーカーラ」《偉大なる時間・死》転じて《偉大なる黒》を象徴する神、に由来するとされます。
我が国では、「ダイコク」という言葉の響きから「大国主神」と習合するようになります。
大国主神は、様々な側面をもつ複雑な神ですが、まず第一に、日本人の生活の基盤をなしてきた農業による国土経営の主宰神として、農業神、さらには広く商売繁盛の福神として、篤く信仰されてきました。
えべっさんと大黒天は、漁業神・農業神と専門分野は異なりますが、広く商売繁盛の福神としてタッグを組み、さらなる国土の発展に尽力されている、そう考えると、なんだか嬉しくなってしまうのは、私だけでしょうか。
ところで、福海寺は、足利尊氏が、京都西賀茂・正伝寺(しょうでんじ)の僧「在庵圓有」(ざいあん・えんゆう)禅師を招聘して開かれました。
在庵圓有は、兵庫津と並ぶ瀬戸内東部の海の要衝、播磨国室津(むろつ)の出身で、賀茂氏の一族でした。室津には、かつて上賀茂神社の御厨(みくりや)が設けられていましたが、賀茂氏は、大国主神の末裔とされます。また、足利氏は、篤く大黒天を信仰していました。
福海寺の大黒天は、我々に身近な商売繁盛の神であるだけでなく、賀茂氏や足利氏といった日本を彩る有力氏族のさらなる繁栄を約束する存在でもありました。
大黒祭で賑わう福海寺に進むと、蛭子神社に劣らぬ人出で、ごったがえしていました。
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賑やかな福海寺を出て、ひとつ小径に入りました。
福海寺の向かい側にある真言宗のお寺「遍照光院」(へんじょうこういん)の一角に、小さなお堂と、屋根から吊り下げられた大きな数珠があり,皆さんが、順番に大数珠を繰って、煩悩を払っておられました。
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柳原のえべっさんと大黒天を巡る今回の旅の最後に、少し趣きの変わったモニュメントを紹介して、最後にしたいと思います。
兵庫津の湊口惣門跡から、JR神戸線に沿って東向きに約500M進み、有馬街道の交差点を南に折れて約300M進むと、「横溝正史生誕地碑」(前述、周辺図②、右上方)がみえてきます。
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日本を代表する推理小説作家、横溝正史(よこみぞ・せいし、1902~1981)は、この地で生まれました。『八つ墓村』など、彼の数々の作品には、父母の出身地である岡山、そして生まれ育った古き良き神戸の匂いが、色濃く漂っています。
横溝の生誕地は、現在のハーバーランド近くに位置していますが、今回、意外と兵庫津にも近いことに気づかされました。柳原のえべっさんと大黒天を生み出した兵庫津のパワーは、横溝作品の底にも流れているのかもしれません。
新しい年の始まりである1月は、毎年変わらずやってくるものですが、振り返ってみると、良いことも悪いことも、思いがけない出来事が起こる節目であるようにも感じます。
例えどのようなことが起こったとしても、人々が求めるかぎり、えべっさんと大黒天が、手を携えて我々のもとに降臨し、災いを跳ね返す福をもたらしてくれる、十日戎の喧噪のなかで、何か力強くありがたいものを感じることができました。