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このご時世を、信頼できる人で乗り切りたい~あなたにも、きっと「相方」がいる~
お笑い芸人て、ピン芸人の覚悟や凄みもあるし、トリオの支え合いやそれぞれの引き立て方の工夫とか、バランスの面白さもあるけど、コンビについて。
今年のキングオブコント、観客は、人数を減らしフェイスガードをし遠慮がちに笑う中、何とか開催された。
あまりしっかりと会えない中、練った脚本や一緒に練習してつめていく作業など、なかなか例年通りいかなかっただろう。
どうしても盛り上がりに欠ける中、審査員も点数つけづらかったかもしれない。終わってから、いつも以上に審査員たちに向けての、辛口コメントが目立った。私は、さまぁ~ずのトークが好きなのだけど、空気階段のコントも前から好きだったので、確かに思う所がある。でも審査は、客観的になりきれずに好みになるって、どうしてもそういうものだと思うし、その好みが人と違ってダメなはずがない。
ただ今回は、皆の意見を読んで「確かにコンビ二人共が審査員として出なくて良いなあ」と思ったし、もっと他の審査員を増やした方が、好みが偏らずに分散して良いのではと思った。他に、ある程度の実績さえあれば若い審査員も入れた方が、今の笑いについての考察ができて公平な意見が聞けるんじゃないだろうか。特に今年は、リモートを使ったものが多かっただろうから、そういった新しいものも受け入れる雰囲気はほしい。
空気階段が、東京03やハナコと、何か私の中で好みだと思う共通点はないかも考えてみた。
「しっかりとした脚本」で、演者の、過剰ではなく渋いけど、ポイントでグッと大げさに演じて笑わせてくれるような、演技力や「間」を恐れないところが、私は好きらしい。
ただ、「しっかりとした」脚本は面白いなあと思っても、「よく練られてるみたい」が見えるのは、あんまり好きではない。文章の場合でも、私は練ってるなあ、すごく考えてこういう表現にしたんだなあとカッコ良い表現より、素直で単純な方が好き。表現にこだわるのなら、奥行きを感じさせる、読んでいて想像が膨らむものが良い。今どきな表現、流行りの、心震えるのを狙った美しい言葉より、その人独自のものが好き。
今回には関係ないけど、水川かたまりが、自分のことを「俺っち」としか言えなくなる魔法をかけられるコントが好きだ。自分のことを「俺っち」としか呼べないなんて、恥ずかしくていやだろう。決定的に苦しい辛いことでなく、どこか平和なところ、そしてちょっと悲哀のある感じが空気階段のコントの面白さだと私は思っている。
思いがけず、空気階段の面白さについて時間と行数を割いてしまった。
でも、どうしても消したくないから残す!
そして私は、かが屋のコントも大好きだ。
きっとコンテストで優勝するタイプのものではないだろう。わりと静かで、観ている側もクスクスが止まらない雰囲気で、爆発力がないかなあと今のところ思う。それでも私にとっては、二人の表情、間、演技力だけで持たせるコントが面白くて仕方ないから、認められたら私まで嬉しくなるなあ。
で、今年気になっているのが、加賀の休養。
彼の繊細さは前から表れていたけど、休むとなると、ちょっと心配になる。大丈夫かな。
こんな時、相方の賀谷が頼りだ。もちろん彼だって傷ついたり、落ち込んだり、精神的にしんどい時はあるかもしれないけど、きっと加賀とタイプが違う。だから今、加賀は賀谷に頼って、よく休んで、エネルギーを蓄える期間としてほしい。
コンビにはこういうことが多い。
きっとタイプが違う方がコンビとしてバランスが保てて良いのだろう。
先に書いたさまぁ~ずだって、大竹がネタ作りでこもってなかなか認められない間、三村が表に出て頑張った。たとえば、オードリーにも南海キャンディースにもそんな時期があったそうだ。中川家剛のパニック発作を支え続けた礼二の話も有名だ。
両方が表で頑張れるコンビもいるけど、そうでないケースは多いから、そういう時は元気な、もう片方が頑張る。その役割が入れ替わる時もある。
仲が良いとか悪いとかでなく、人柄がどうとかでなく、互いに支え合う間柄。どちらかがダメになった、となれば、もう一人がとにかく目の前のことをこなして自分たちを表に出し、相手の戻ってくるスペースを作っておく。
それが「相方」。
きっとどちらかが落ち込んで申し訳なく思ったとしても、謝る必要はないだろう。こういうのってお互い様だし、自分に元気が出てきたら、また相方を違った形でも支える気持ちでいれば良い。
noteなど、ネットの世界でもそうだよなあって強く思う最近。
年齢も性別も肩書も超えてつながれるのがネット。疲弊もしやすいけど、noteだと自分の使い方次第、見方次第で優しい世界にもなれる。
私は何かと刺激されやすいから、怒りも悲しみも傷つきも、ついつい強く感じる。
でもそれを感じていないって自分にウソをつくのではなくて、愚痴として吐き出したり、笑いに変えたりしながら、ごまかし逃げる方法は、身につけている。
身につけられたのは、50年近く生きているからでもあるだろう。
もし私が10歳でも若かったとしたら、noteですら辛くて生きていけないかもしれない。
だから若い人の中で、特に繊細な人は、「相方」を見つけてほしいと願う。一人じゃなくて良い。この部分ではこの人に頼ろう。この部分ではこの人が優しいからもたれてみよう。この部分ではこの人と盛り上がろう。この部分ではこの人と語ろう。積極的に関わるのが苦手なら、そっと心の拠り所とするだけでも良い。もちろん一人でも良い。
繊細な人にとって、ネットはとにかく自分一人だと苦し過ぎる世界。盛り上がれる人たちはどうしたって声が大きく聞こえるものだし、それがすべてだと錯覚を起こしてしまう。でもそういう場はそういう人たちにまかせておけば良いのだ。そういう人たちだって当然必要だし、でも自分は違うかもしれない。そんな時、意外と静かな人たちも多いんだと周りを見まわしてみよう。
現実の日常で疲れているのだから、ネットでは優しい世界に包まれよう!
私も色々な人に頼って生きている。現実世界でも、そしてnoteの世界でも。頼って生きているって自覚があるから、その分、自分に気持ちの余裕がある時には、人に気持ちを分けられる。そんな気持ちを誰かに分けた時に、返ってくる言葉や反応を感じると、感激し、こちらが元気づけられる。私にとって頼る人がいるように、私にはお互い様のその人たちだけでなく、気にかかる人たちがいる。
うまくでも、無理やりでも、休んで、傷ついて臆病になったら逃げても良い。辛いことから目を背けて良い。そしてそんな時には、心を開いて、一言でも伝えれば必ず誰かが声をかけてくれる。
***
竹内結子さんが亡くなって、それについてもショックを受けている。ドラマや映画はそれほど観ていないけど、バラエティやCMで、彼女の女性らしさや、繕わずに滲み出るサッパリした感じがとても好きだった。産後うつだの、子供がかわいそうだの、ネットで噂されて、そうかもしれないし、でも身近でもない人が口出したところで、憶測でしかない。身近な人が、それに気づいたところで彼女の救いになったかどうかもわからない。
でも今年、こういう話が多いのでとても気になる。言われているような、その世界の闇だけでなく、やっぱりコロナの影響だって少しはあるんじゃないかしら。考えるところや、しんどいことはきっとそれぞれにあって、人それぞれに違うし、簡単にカテゴライズできるものではないだろう。
自分の心の苦しさとか傷つきとか、自分では醜い、情けない、恥ずかしい、と思っている面て、意外と人は受け入れてくれる。信じている人が受け入れてくれないのだったらすごく傷つくし落ち込んで悲しいけど、言う相手が違ったんだ、って傷だらけで別の人にトライしてみてほしい。
私だってその人を受け入れるには、どうやらその器が小さいみたいだと気づいたら、その場から去ってしまう。傷つけているとは思うけれど、自分に負担になってしまうと、偽善となり義務になる。義務になったら自分の感情も巻き込まれてうまく距離が保てなくなるから、器に入りませんでしたと正直になるようにしている。もちろん逆の立場になることだって多々ある。
ボコボコに傷だらけにされても、きっとみんな、信じられる人を持っている。それがあなたにとっての相方。そんな大切な相方。きっと相方もあなたを頼りにしている。あなたと会うのを楽しみに待っている。
どうか支え合いましょうね!
なんだか思うところの多い先週末でした。
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