見出し画像

実際に見て、食べて、実感できた旅になった

 東日本大震災後、福島県内でロボット産業を盛んにしていこうという気運がたかまった。原発事故が起きたためだ。

 夫が時折、南相馬みなみそうまにあるロボットテストフィールドに出張に出かけ、近くに宿泊する。少し前から「かせみどんを連れて行きたい」と言うようになって、今回息子がいるのをきっかけに行ってみた。


 この地域には、その後のテレビ中継は何度も入っていて、特に新しい施設ができると、県内の情報番組がこぞってレポートをしていた。
 新しい「道の駅」は清潔感があって珍しいお土産も多そうで魅力的! しらす丼とか美味しそう! と思っていたけど、今回行くにあたって、道中のことをあまり気にしていなかった。頭のすみにはずっとあっても、目の当たりにするまでどこか現実味を伴っていなくて。

 双葉町ふたばまちに入ると、郵便局の入り口に大きな板が打ち付けられていて、ハッとした。
 そうだ。そういう場所だ。
 ガラス越しに見える郵便局内は、今すぐにでも業務ができそうなままに残っていて、でも建物の外側にはツタの葉などがからまっている。駐車場のコンクリートの裂け目からも雑草が伸び放題。近くのガソリンスタンドもそんなふう。

 13年の歳月を思う。
 長いはずなのに、時が止まったかのような建物と、動く自然。

 周りには屋根瓦が崩れ落ちたままの家。少し朽ち始めたような空き家。田舎には時々見られる家の様子だけど、こんな頻度では見ない。
 もっと走ると、「ここは全部田んぼだったのかな」見渡す限りと思えるような、平らで草がたくさん生えた土地を指して言うと、「そうだね。あの奥は海だよ」と言われ、改めてこの土地に与えられてしまった特殊な環境を思う。
 津波もあった。
 津波と原発事故。避難した人たち。流されてしまった暮らし。或いはそこにある住まいを残したまま、暮らしを変えるしかなかった人たちがいる。
 稲が植えられ実りつつある箇所もあるので、それについて言うと「今走る道を境みたいにして、海水がそこまで上がってきたらしいんだ」と教えてくれた。


 やはり自分の目で見ないと感じられない思いがある。

 台風が近づいていたので、海のそばまでは行かなかった。


 浪江町なみえまちに新しくできた道の駅に行く。

賑わっていた

 生しらす丼は売り切れていたけど、サーモンとしらす(釜揚げ)の丼を注文する。
 いつも食べるようなしらすは特有のにおいがあると思っていたけど、全然そんなにおいがない。スーパーで売られているのってやっぱりどうしても少し時間が経っているのねと知る。

美味しかった!
これで1100円。ご飯はこれで小盛。
食べきれず、息子に食べてもらう。
追いしらすは無料だけど満腹で断念


 あの時から今も、県内あちこちで置かれている放射線測定値。

皆さんはご存知だろうか
こちらでは2011年以降、県内どこにも見られるようになった日常の風景

 ここでは0.083を示していた。単位はマイクロシーベルト。
 安全だと言われている値は、0.23マイクロシーベルト(1時間辺り)以下で、震災直後に0.25を超えている地域に行く時は、長時間いないように気にしたものだった。車から測定値を見て、恐怖を感じてしまう場所もあった。
 現場で作業している方たちは、今もこまぎれでハードな働き方をしているそうだ。

 年数によるものがあってもまだ値が高い地域はあり、人の出入りする場所は除染されている箇所がほとんど。道の駅はこのていどまで下がっているようだ。 


  以前から気になっていた相馬焼を観に行く。
  相馬では、野馬追が有名なのと相馬藩の御神馬から、疾走する馬のデザインが描かれている。他に、ひび割れたように見える「貫入かんにゅう」という模様と、二重構造で熱いお湯を入れても器を持てるのが特徴。

 現地だと、半値以下で手に入る。

 作った人たちによって特徴があって、それぞれの棚を見るのが楽しかった。

  どこにもご当地アイドルはいるのね。

お菓子のパッケージにご当地アイドル発見

 南相馬のロボットテストフィールドも、外から見学した。

右手には人工的に作られたトンネルそのもの
地中や山中でなく、トンネルをむき出しで作ると
こうなるんだ
実験用の坂と、そのためだけに造られた何軒かの家

 様々なシチュエーションでのロボットの働きを実験するようだ。研究するにはとても貴重な施設なのだろう。申し込めば見学もできるそうだ。


 帰りは、二か所の道の駅で休憩。
 それぞれ新しかった。

飯舘村の道の駅
川俣町の道の駅

 飯館村いいだてむらの道の駅ではチェックし忘れてしまったけど、川俣町かわまたまちの道の駅では0.100の測定値。

  帰りも、人の姿が見える家もあれば、空き家やアパートの空き室がたくさん見られた。人の住んでいない家というのは息づいていないもので、「住んでいない」とわかるものが多い。

 13年間、県民はおそらくみんながずっと考えてきたこと。なのに私には現実味がなかったこと。想像が及ばなかったこと。
 自分が震災をどう考えてきたかを思い返す。毎年少しずつ書いてきた東日本大震災への思いだったけど、書き足りていないなと感じたし、これからもきっと私にはまとめられない。そんな覚悟もないし、私には責任感も当事者意識も足りない。事が大きすぎる。ケースも多すぎるし、人の思いも強くて重たくてそれぞれにちがい過ぎる。それでもこうやって、見たものや感じたことを、ほんの一端でも、これからも書き残しておこう。

 人々が「暮らす場所」「暮らせる場所」「暮らしたい場所」の意味を考える旅となった。
 行って良かった。


(※ヘッダーはざっくりの福島県内です。ざっくりすぎるのと、相変わらず液タブで字がうまく書けず、見づらくてすみません)


読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。