書き続けているうちに、自分が好きって気づいちゃった~自分で自分を慈しむ~
気持ちのままに何度も書きかけて下書きとしていた。まとまらないまま、また次の日、書いてみる。
そうやって繰り返していたけど、きちんと書こうとすると、しんどい思いはなかなか変わらない。少し前進してはまた何歩も下がる。考察が返ってストレスになる時はいったん休んだ方が良い。
そうやってある日、ただ自分の気持ちをぶちまけるように書いていたら気が付いた。
元々あった感情に、私は水を撒いていた。
そして自分の中にない物にも、一生懸命水を撒いて芽が出ないものかとすがっていた。
この考え方は、子育て本で目にした経験があって、そうだよなあわかる~と共感していた。夫や私が持っているものでも、息子が持っていない「種」ってきっとある。そこに必死に水やりして、芽が出ろとけしかけたって、種がないんだから、芽の出ようがない。
できるものだと思い込んで、「僕はできない」経験を繰り返し与えるのは、子供の自己評価を下げるだけでなく、親の思いに応えられない子供に、親が勝手に期待しているだけなのに、勝手に失望してしまう。
子供に対しては納得していたのに、自分に対しては、その考えを生かしていなかったと気付いた。
「人の気持ちがわかるようになった」と、何度か書こうとした中にそんな内容があった。元々あった感情ではあるけども。
私の中の元々あった「種」は、人と比べた時の卑屈さ。
でも以前の私にとっては、あまり感じないものだった。
noteに身を置くことで、人と比べるようになった。水を撒いてそして卑屈の感情を成長させてしまった。
何かしら自分を表現することを仕事としたり目標としたりしている人を見て、「気持ちわかるなあ」と思えるようになったのは確かに良かった。目指すものもレベルも違ったとしても。表現する側の気持ちがわかるようになった。けど、「わかるようになった~」って書きながら、前は無縁で生きていたのかと自分に問いかける。憧れとか嫉妬とか。
……そうだな。
その人の立場に身を置いてその人の感じ方を考えたり、寄り添ったりするのは得意であっても、私自身はそういった感情と縁がなく暮らしてきた。
子供の頃、比べるのはせいぜい兄相手くらいで、私は誰であっても競争意識を持たれるのもイヤだったし持ってこなかった。私は私の暮らし方しかできないし、「表現」を公にしてこなかったから、呑気に、でも誇りを持って生きてきたのだった。
以前は卑屈にもならず、人の表現の仕方を羨みもせず、ただ尊重と尊敬の気持ちで、自分の目をもっと確かに信じていた。
そんな世界を私は持っていたのだ。
いつの間にかそれがグラグラに揺らぐようになっていってしまった。
それは人に評価されたり選ばれたかったり、そんな場に出るようになったからだろう。その挑戦が決して悪いわけではなくて、私に関して言えば、そのために書いているんじゃない。書いて、読んでもらって、楽しんでもらえたら、それが良い。
元々「卑屈」とか「嫉妬」とか「憧れ」って、滅多に経験しない感情だったからラクだったけど、それがまったくなかったわけでなく、そこから遠い場所にいるだけってわかっていた。だから、その感情が実感としてわかるようになった時、何か得たような気がしたけど、書きながら気づいてしまった。
あれっ。私は以前の私の方が好きだったぞ。
だったら、そこは戻ったって良いんじゃないだろうか。
多くを知って理解するようになったけど、それを突き詰めたり乗り越えたりしなくても、私は「そこは私の場所じゃないんだ」と引き返す勇気も必要。距離の取り方を知るのもまた意味がある。
そのように思えるようになったのは、ある言葉と出会ったからだ。
元々ないところに水を撒いても仕方ない。を思い起こさせる「その場所に行きたいからって自分を無理に変えたところで、それは本来のアナタではない」。人の心理について調べているうちに出会った。
これがとても腑に落ちた。
人に受け入れられたくて自分の苦手な部分をカバーしたとて、それは常に無理して頑張っている自分。本来の自分ではない自分でその場にいるのなら、常にその偽りの自分でい続けなければならない。
私は、自分の種があるところにもないところにも、やみくもに水を撒いて「芽が出ろ。それこそが成長だ」と思い込んだ。
人と同じような種を持っていなくたって良い。
皆とうまくやっていけない自分だって愛おしい。私は、特定の友人や知り合いと繰り返し会って、繰り返し自分を確かめる。
人と距離を取りたがる私。人なつこい私。人を楽しませたい私。人が笑っているのが好きな私。人が大好きな私。警戒心が強い私。繊細すぎる私。周りを見過ぎて空気がわかり過ぎていても、人に合せたくない私。自分で考えたい私。考え過ぎる私。落ち着いた私。ハシャぐ私。人と違う私。自由な私。
矛盾だらけの、唯一無二の自分らしさを大切に、静かに胸を張って歩いていこう。
私は私が大好きだ。
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