自分が年上の立場で、年下の方たちに気を遣うこと
10年くらい、同じ美容師さんに髪の毛を切ってもらっている。
美容室で話すのが苦手な人は少なくないようだ。私もそうだった。自分のことを聞かれるから表面的に返事するだけでも、相手の「ほほう!」の反応が面倒くさい。いかにも「このように反応しておけば当たり障りない」といった風だからだ。ペラッペラのやり取りをしなきゃならない美容室は、とってもストレス。
今、担当の美容師さんは、話を聴いている実感がある。その場限りでも、自分で考えた言葉で返事をする。人との会話を軽いノリで続けようとしないし、無理に話を続けるのが良いとも思っていない様子。彼が採用する若いスタッフさんたちも基本的に同じようなタイプの方たち。誠意があるのだ。もうそれで充分。
年上と年下がハッキリわかっている場合、気を付けていることがある。
「相手がこちらに対してお世辞や社交辞令を言わなければならない状況にさせない」
「年上の自虐ネタを、否定しなければならない状況にさせない」。
自虐ネタを言うなら、本気で笑いを取りに行こう!
でもこの前、久しぶりにやっちまった。
カットが気に入り過ぎて「わあ」と舞い上がった。そして顔を隠し、鏡越しに「ホラ、こうすると良い感じ!」と中途半端な自虐ネタを言った。ナハハと笑った後に「いやいや、そうしなくても素敵です」と、「気をつけ!」をして言ったので、それでようやく笑いになった。
ああやっちまったよ。
中途半端な自虐ネタを言うおばさんに対し、10歳も年下の美容師さんが、取ってつけたように言うことで笑いを取る。その一連のやり取りをさせてしまった。
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大学二年生でキャンプのリーダーをやっていた頃。
学年を超えて、楽しく交流していたけど、その中で、今でも覚えている印象的な場面がある。
一年生の男の子たちが四~五人集まって、女性先輩について話していた。
「○○さん、~がしたいねんて。ハイハイ、て感じやろ?」「しゃあないな」「めんどくさいな~」。照れから来ているのかなと表情を伺ったけど、心からの「ザ・苦笑い」。
私はその瞬間、女性側として一人でいたけど、何故か彼らと同等に扱われていたため、すぐ近くで何となくたたずんで聞いていた。
賛成も反対もしないけれど、ちょっと驚いた。「えっ。そんな感じ?」。先輩だから聞かなくちゃいけない気持ちもわかる。でもそんな面倒くさくて仕方なくても、その要望に付き合うんだ。
そんなに面倒なら、もう少し自由に判断しても良いはずなのに。明らかに従わなければならないという空気。押し付けられている感、満載。
皆が話していた先輩は、美人で優しく、話しぶりも決してイヤミがなく、男女問わず皆に好かれていた。そしてそうやって要望出すだけあって皆を引っ張っていくしっかり者。
下の学年の人たちも、もう少し快く要望を聞いているのだろうと、私は思い込んでいた。
なのにそんな風に言われる場合もある。姉御肌の先輩に対し従順な男の子たちの中に、言葉に出さなくても、不満を抱えている人たちはいるのだと知った。
それを見た時に、わあ気を付けなくちゃあーと思い、その後も度々その場面を思い出す。
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普段は、目の前にいる相手を年上とか年下とか気にしないようにしている。
だけど、それは話している瞬間に、人として尊重したい気持ちが強い上でフェアでいたいからだ。子供相手でもそう。
でも気を付けなければいけないのは、相手は必ずしもそうとは限らない点。それについても常に頭にある。
親し気にするのと、親しいのは違う。
社交性があるのと、だらしがなく馴れ馴れしいのとは違う。
そして親しいのと、相手を尊重する気持ちや態度は両立する。
「年下である」だけで、年上には気をつかわなければならない場面は多々ある。相手が思ったこと、感じたことを率直に言いにくい雰囲気がそこにあれば、対等ではない。それに気が付くような自分でいたい。
お決まりの自虐ネタと儀礼的な否定をしてもらう、なんてやり取りはできるだけしないように気を付けたい。
そして年下の方たちに対し、「無理に付き合わせたら申し訳ない」と心底思う瞬間がある。そんな時、私は自分から離れてしまう。それが見当違いでも、自分としては申し訳なくいたたまれないのだ。
一人一人、人との距離感がある。お互い、そこら辺の感性の合う人と親しくなれるだろう。そこらが不快ではない人と、良い関係を保っていられる。それぞれの世界を大事にしてほしいし、私も自分のを大事にしたい。
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。