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人の葛藤と成長の素晴らしさを見せてもらった~エンドゲーム~
いやあ、あんなにワクワクして興奮して待っていた「アベンジャーズ / エンドゲーム」を先日、観てきました。
この映画、1970年と1971年生まれのルッソ兄弟が監督を手掛けている。MCU(マーベル映画作品)の中で「エンドゲーム」だけではない。「キャプテンアメリカ / ウィンターソルジャー」「シビルウォー / キャプテンアメリカ」「アベンジャーズ / インフィニティウォー」など、ストーリー展開の難しい局面でこれら大作の映画をまかされている。私と同じ年頃の方たちがこういった映画を作ったということは、自分の年齢を振り返りながら、胸が熱くなる。
95歳で亡くなったスタン・リーがカメオ出演してくれているのもこの映画が最後だと言われている。マーベルコミックを作り、ずっとMCUを愛し続けてくれた彼のように、私もずっとワクワクする気持ちや好奇心、人を喜ばせる気持ちを大切にしたいと思う。
さらに1965年生まれのヴィクトリア・アロンソ。MCUに関わっている映画プロデューサーの彼女のインタビューを数々観てきたが、彼女の自分の信じるものへ懸ける力強さに憧れさえ覚える。
あとは1973年生まれのケヴィンファイギですね。ニュージャージー州で生まれ育ち、どこかですれ違ったかもなあと妄想を抱きつつ、マーベルスタジオの社長に就任し映画プロデューサーとして活躍している彼を尊敬する。
自分たちの思い描くものに全力を注ぐ彼らを、インタビューなどで目にしてきた。多くの物語、背景、キャラクターの個性、一人一人の俳優たち、エンドロールで圧倒させられる人数のスタッフ、をまとめ、決定し、引っ張って観客たちを喜ばす彼らは頭脳明晰、頭が良いだけでなく、頭が柔らかく、おおらかで厳しいだろう。そして力強く、エネルギーを分けてもらえる。
彼らの作ってきたものに敬意を払いつつ、「エンドゲーム」について書いていきたい。
前置きが長くなりました。
「エンドゲーム」予告が何本か、ツイッターで流れてくる度に、息子と大騒ぎし、予測もできないのに、憶測と妄想とで楽しみにしていた。家に帰るまでが遠足、みたいに、予告からが映画でした。
改めて思うのは、一人一人への思い入れが強くなっていて、「誰が一番良い」とは言いにくい。それぞれのキャラクター、ヒーローの背景が、それぞれ映画になっていて、しかもそれがシリーズであるから、その周りの人たちへの思い入れも強くなる。
そしてそれが集まるのが「アベンジャーズ」シリーズ。そこでヒーロー同士の交わされる会話が、今回の「エンドゲーム」にもつながってくる。全部が伏線になっていて、どの映画も観返すとあらゆる会話、表情のやり取りに意味があり、それがまた面白い。
よく言われているように、MCUのヒーローたちは人間的な部分がある。「人間的な部分」というのは、それぞれの葛藤、苦悩があり、その葛藤や苦悩は、私たちが普段感じるようなものだ。だからヒーローに共感したり、思いを寄せたりできる。ヒーローには男性だけでなく女性もいて、皆さんカッコいい。戦う時に必要な攻撃力、防衛力、だけではない、自分の感情のコントロール、自律の精神、勇気、お互いを思う気持ち、人を救いたい気持ち、皆が兼ね備えている。
何よりも、スタン・リーが常々伝えてきたことが、私の心にもずっとある。
「真のスーパーヒーローとは、目の前で困っている人を助ける人のこと」
これがどんな正義より前提になっていて、私も好き。
スタン・リーは正義とは何かを問いかけ、正義に対して葛藤することの大事さを訴えながら、一人一人にとっての優しい方を取るのが良いのでは、そしてそれを信じなさいと伝えてくる。彼からのメッセージは、当然人によって受け取り方は違うだろうが、私はそのように受け取っている。
「エンドゲーム」に関しての感想を、今の段階で全部書くつもりはないけれど、今回は、特にグッときた皆の成長してきた姿について書きたい。一人一人の映画があり、時々集まる「アベンジャーズ」シリーズがあってこそ、わかる「成長」だろう。
※以降、本格的なネタバレはありませんが、これから「エンドゲーム」観たい人は読まない方が良いです。
アイアンマン。トニー・スタークは、たぐいまれなる頭脳の持ち主で大金を稼ぎ、かつては傲慢だった。でも芯は真面目な彼が、自分のしてきた結果を目の当たりにする機会があって、衝撃を受ける。又、女性関係にもだらしなかったがペッパー・ポッツと恋に落ちたことも加わって、人のために必死になっていく。個人を優先すると言い、皮肉屋で自己中心的なことばかり口にしながら、ずっと彼は人のために必死になっていた。そしてあまりにも大規模な宇宙船を目にしてしまい、スーツ造りの依存症となる。さらにアルコール依存症にもなり、PTSDからパニック障害に陥り、苦しみ続けた。血清を受けたわけでもなく、当人自身に極端な強さもなく、ただただ「人間」の彼は、宇宙からの脅威を恐れ、心の弱さと向き合い、その後にアベンジャーズを愛し、ピーター・パーカーを思い続けた。そしてペッパーを愛し続け、モーガンとできればすべての皆を守りたかった。
自分のために暮らすことを優先していた彼が、「エンドゲーム」で選んだのは、個人的な欲求ではなかった。
キャプテンアメリカ。スティーブロジャースは、元々真面目過ぎるほど真面目で、自分の思う「自由・平等・博愛」のためなら、まっすぐにその信念を貫こうと、自己を犠牲にし続ける人生を歩む。70年の眠りを経てやって来た現在に戸惑い続け、自分のやってきたことを責め、ペギーを想いながら、ようやくアベンジャーズという、彼にとっての家族のような仲間を得る。ただ彼はその信念からくる生真面目さと、時代遅れなこと、さらにはトニースタークたちに対する劣等感から、多くを語れない。愚直に品位を大切にし、個を殺し、それでも何とかこの時代を、胸を張って生きてきた。
大義のために生きて来た彼が、「エンドゲーム」ではユーモアや下品な言葉を、気軽に言えるようになり、そして選んだのは、個人的な幸せだった。
ソー。彼の「エンドゲーム」での様子に失望した人が多かったようだ。彼は顔立ちも体つきも美しかった。声や喋り方にも気品があふれていた。王として神として、皆が思い描く凛とした姿を見せてくれていた。確かにキャップとアイアンマンとの並びで、「どっしり(でっぷり)」とした風貌に、集中力がそがれなくもない。気が散る。でもみんな、ちょっと待って。
もとになっている北欧神話で、アスガルドはラグナロクという最終戦争を終えて、確かになくなってしまう。そして本来、神話ではソーも死んでしまう。だけど、ソーの子供たちが生き残り、また新たにできた土地で細々と生活が営まれ始める。でもMCUは、神話を基にしているだけなので、ソーは生き残っていますね。北欧神話だからノルウェーで暮らしています。
彼は、王であり神であるけれど、北欧神話の多くの王や神がそうであるように、私たちが普段思い描くイメージの「王」や「神」とはほど遠い。一度王や神になったからと言って、完璧ではないし、むしろ完ぺきとは遠いところにいると言って良い。何千歳だろうと、欲望や弱さに負け続けているのだ。
MCUのソーは、それまでがカッコ良すぎた。3部作あったけれど、それでも彼はまだ成長している最中だ。そんな頃に母親を亡くし、父親を亡くし、弟と親友を失くしていく。ハルクであるブルースバナーと友情があるが、アベンジャーズとそれほど家族のような絆を感じていないであろう。地球を救わなければならないという使命感は強いものの、サノスへの復讐心だけで、彼をあっさり殺してしまう。今さら殺してももうどうにもならないのに愚かな自分であると母親に打ち明ける。ちなみに、この時の母親、フリッガも素晴らしい。苦悩し葛藤する子供を前に、こんな対応をする母親でありたいと、「エンドゲーム」を見てしみじみ思った。
他のメンバーたちの成長についてもすごく書きたいけれど、とりあえずはこの三人だけ。三人の成長を、それまでの映画で少しずつ感じ、その成長の結果を「エンドゲーム」で観させてもらった。
この三人は、これまでのMCUでもっとも重要な役割を担っていた。
「アイアンマン」で始まったこの10年間のMCUシリーズ。私は「ガーディアンズオブギャラクシー」二本以外を観ずに、昨年の「アベンジャーズ / インフィニティウォー」に臨んだから、家族の時間を調整しながらなんとかこの一年で全部を観た。どれも観る度に心を動かされた。それぞれのシリーズで映画のテイストは違うのに、それをまとめる「アベンジャーズ」シリーズにも感嘆の声をあげていた。
約20本の中で、それぞれの皆が成長する過程を観ることができたのは感慨深く、その結果が「エンドゲーム」で出ていることが、さらに私たちの胸を打つ。
これまで良いものを見せてもらえて、ありがとう!! と感謝の気持ちが強くわいている。今後の展開がまた楽しみです。
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