痛みをやわらげるおまじないが好きだった
「いたいのいたいの、とんでいけ」は誰もが知っているおまじない。ちょっと前に、世界中でもそういうおまじないがあるってCMで流れていた。
でも私の母の唱える言葉はちがった。
「ママ、アブロンケン様」やって。と痛い所を差し出すと、ぶつぶつと何やら唱えてくれた。
気質的な特性のためか、ちょっと痛い所があると、その痛みの強さ弱さに関わらず、そこばかりが気になってしまう。なので母にそれをやってもらうと気持ちが落ち着いた。
あまりにも小さな傷の時でもお願いするので、母はよく「まあこんなちっちゃいのに大げさな!」と笑った。
それでも何度行っても、「まあこんなちっちゃい……」と笑いつつ「アブロンケン様、アブロンケン様」と始めてくれる。「遠くのお山からおじいさんが……」とか早口で続け、最後にそのおじいさんが「大きな貝杓子を持って来て、かせみの痛い所をすくってくれますように!」と言ってまた「アブロンケン様、アブロンケン様」で終わる。
5~6歳くらいになると、母とはあまりスキンシップさせてもらえず、手をつなぐのも早いうちに断られてしまった。泣いたり怒ったりも目の前ではいやがられたので、素直に感情表現するのをその頃から我慢した。
それがこの時だけは必ずかまってくれて、うれしい気持ちは確かにあった。
でもなにより、私はこの「大きな杓子ですくう」シーンを想像するのが好きだった。さらには「かせみの」痛い所っていう特別感。
誰か知らないけど優しいおじいさんが、山から私だけのためにカイジャクシとやらを持ってやってくる。そして目には見えない痛みという感覚を、水でもすくうかのように、すくう。
母のおまじないを聞いて、その風景を想像していると痛みは意識しなくなった。
もしかしたらご存知の方もおられるかもしれないけど、「アブロンケン様」じゃあない。
調べてみてわかった。
なんなら「さすがに`アブロンケン様’だなんて思ってないから。‘あぶらおんけん様’よね」なんて、この年齢にして思いこんでいた。
「あぶらおんけん様 おまじない」で検索すると。
そんなものはなかった。
代わりに出てきたのは「あびらおんけんそわか(阿毘羅吽欠裟婆呵)」。
と書いてある。
(「いたいのいたいの、とんでいけ」の意味で使う呪文、などの紹介も書かれている)
母はそんな深い意味までは知らないで使っていたのではないかな。真言宗のものらしいけれど、母は真言宗ではないし特に信心深くもない。
親になってからの私はと言えば、息子にはしなかった。息子には「いたいのいたいの、とんでいけ」を使って、その後どこに飛ばすかで親子して笑い転げた。
何故「アブロンケン様」をしなかったか。
母がブツブツ言っていたのが小声で早口で長くて覚えられなかったためだ。
改めて聞いた時も「長いな」と思って覚えようとしなかった。
改まって聞くのも何度目かだけど、今回聞いてみた。
すると母も「アブロンケン様」だと思っていたと言う。
えー! 何も知らないで言っていたのね。
「あびらおんけんそわか」の存在の話をすると、今度は母が「えー!」と驚いていた。
「遠くのお山のおじいさんが」だった? 「遠くのお山からおじいさんが」だった? それとも「向こうのお山」だった?と聞くと、覚えていなかった。
えー! じゃあ続きは? と聞くと、全然覚えていないようだ。「かせみはそんな言葉までよく覚えているね」とすら言う。
なんだか色々衝撃。
お互いに「えー!」と何度も言い合った後。
「でもアレを言うと、かせみがスッと落ち着いた顔になるから、これは効果絶大だなと思っていた」と笑っている。
どこで知ったの? と聞くと、母の母親だった。
そうか。おばあちゃんて真言宗だったの? と聞くと「いやあ違った気がする。おばあちゃんもどこかで聞いたのを、自分なりにアレンジして適当に言ってたんじゃないかしら」と言う。
何もわからなかったけど、私が苦手としていた祖母の、可愛い面だけはちょっと知れた。
いえね、TOMOさんのnoteを読んでいて、おまじないを楽しんだ小学生の頃のことを書こうと思ったのだ。
それが今回は母のおまじない話に終始してしまったので、書いて載せる予定だったものは、次の機会に。
他の方の投稿記事やコメントで交わした言葉で「それについて書きたい」って思うこと、あるよね。思っても忘れてしまうこと多々なので、今回は忘れないうちに!
そして指をいためてしまったTOMOさんに「アブロンケン様」。