家のメンテナンスの時にお世話になる人
ドアを開けると、キュッと身体がひきしまるような寒さ。
目の前には、見ているこちら側の顔がほころんでしまう方が立っておられる。
「カレンダー持ってきました」
そうですよね。そんな時期ですね。
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一軒家を建ててから10年以上が過ぎた。
やっと前回のアパートで住んだ年数を超えたんだな。
さすがになじんできたけど、ここ数年は更年期や五十肩のために手入れを怠っている。
木をふんだんに使った我が家は手入れがけっこう大変なのかもしれない。
家中の床と届く範囲だけでも柱や枠、備え付けで作ってくれた棚やテーブル、そして各ドアのワックスがけを、少なくとも年に一回はしなければならない。玄関ドアも別の種類のワックスでみがく。1階各部屋、全部で18個ある床の各換気口のホコリ取り(小さくて固いのもあって手が痛くなる)と、そこに敷いてあるスポンジのホコリ吸い。
取りかかると何日間か大変なのだけど、それでも私は前回住んでいたアパートを思い、全然ラクだよなあと改めてありがたく思う。
今の地域に引っ越してすぐ暮らすアパートは群を抜いて結露がひどい問題だった。
昔、1階で暮らしていた時に、結露とカビに悩まされ、クローゼットの壁に虫がたくさん出たこともあったので、なるべく日当たりの良い階でと思ったけれど、それでもひどかった。
お風呂に入れば、天井からぽつぽつ水が降ってくる。フタも油断するとすぐカビが生える。換気扇をずっと回しておいてくださいと言われるも、効果あるのかないのか。毎回、天井の結露を取ってから上がるので、せっかくのお風呂後でも体が疲れている。しかも出ると寒い部屋が待っていて、どんなに温まった後でもすぐに身体が冷えた。
さらにお風呂と直結している洗面所の天井にもカビが全面覆ってくるので、度々天井を拭いた。首も手も痛くてクタクタになる。脚立や椅子を出し、その上で拭ける範囲が決まっているのでこまめに移動するのも面倒だった。
冬になると毎日午前中は、全部の窓の結露取りに追われる。
そのままにしておくとカーテンがべっちょり貼りつき、壁や床にしみてしまう。結露取りグッズにたまった水を何度も捨てながらの作業はヘトヘトになる。
除湿機置いても、寝室の床も壁にカビが生えてくるので何度か貼りかえを頼んだし、その度にけっこうな出費だった。
暖房の効きも悪くて、ガス代は冬になると毎月、目が飛び出るほど。それでもいつも底冷えがして身体が温まらない。
玄関ももちろん冷たくて、雪道を帰ってきても靴が全然乾かない。ここもまた日常的に拭かなければならなかった。
そうやって頑張っても結露やカビのせいで三人ともアレルギーがひどくなった。夫は春先に、息子は梅雨後に、私は夏の終わり頃から。季節的なものはどうしても反応するから仕方がないにしても、とにかく症状がひどくて長引く。ずっと良くないなあと思っていた。
アパートでの暮らしは良いところもあったけれど、この作業は私の体力を奪ったし、当然気遣いでも疲れた。
声がよく響くので、大人の大声には日々イライラさせられ頭を悩まされた。
毎週来る生活クラブや生協の時間には顔を出さないと、周りに迷惑をかける。体調悪い日も多いから、その日のその時間に元気じゃないと「ああ今日も迷惑かけてしまう」と、そう思うこと自体がストレスになっていった。
最初の頃こそ楽しかったし子供たちのことで助けあったりしたのだけど、メンバーは変わる。誰かと誰かがマウントの取り合いをしているのを目にしなくてはいけなかったりとかね。
細かな噂話も聞きたくなかった。良い話も悪い話も。
加わりたくない人同士で親しくしているのだけど、アパートだと日常的に「バッタリ」ってあるから、時には話を聞かなくちゃいけない。
東日本大震災の後は、助けあえる人たちもいたけど、アパート内でも分断が起きた。放射能に対する考え方。避難するかどうかについて。その後の暮らし方。
当時はその状況から、いったいいつまでこの地域に住めるかわからなかったけど、アパートを出ようと夫と話し合った。
友人にも相談して、彼女が頼った地元の小さな建築会社社長と連絡を取った。彼女の家が個性的で可愛かったのと、家の造りの効率の良さやその会社のていねいな対応について、度々彼女が話していたから検討してみたかった。
社長は腰が低すぎるくらい低くて、でもそれは商売っ気というより彼の気質的なもののようだった。にこやかで、「はい」の連発で話のリズムを取る。否定する時も「いや、違いますよ。はい。はい」って言う。電話切る時も「失礼します。はい。はいはいはい」ってゴキゲンだ。
そんな社長は、質問にも要望にもとにかく耳を傾けてくれた。たぶん私たち夫婦より年下なのに、当時から頑張っておられた。
間取りについては、私が描いたのを見せて、そこからスタッフが作ってくださった。気に入った案は取り入れ、拒否する余地も与えてもらっていた。壁や設置する物に関して高いのは困ると言えば、質がそれなりの、安いものを探してくれた。妥協しない方が良い点についても詳しく説明してくれた。
希望も値段も含めて、細かな疑問にもていねいに応える。選択肢があれば必ず私たちの意見を尊重しつつアドバイスをくれた。
「もし夫の仕事ですぐに引っ越してしまうことになったらどうしよう」と話せば「売れるような家を建てましょう」と励ましてくれた。
突然の電話でもいつでも折り返し連絡をくれて「はいはいはい。はい」とやっぱり機嫌よく接してくるのだった。
大きな声を出したのは、一度だけ。地鎮祭のクワを入れる儀式の時。この人、こんな大きな声出るんだ。家族全員、なんだか頬がゆるんだ。
ほんの少し感情的になったのも、一度だけ。引っ越してすぐ、床を汚してしまったら「なにでこんな風になったんですか」と眉間にシワを寄せてらした。引っ越しのゴタゴタで覚えていないんです。と正直に言ったけど、ムムッとしてらした。ごめんなさい、その後気を付けてます。
何年たっても家の中のことで困ったことがあれば気軽に電話して相談する。大工さんや契約している会社に連絡をとってくれて、あらゆる不具合を直してもらう。備え付けの本棚が必要だと思って話すと、社長自らが手伝いに来てくれた。
ハチの巣を落としたいから業者にお願いしたところだと言うと、「今近くにいるし、その小ささなら」と来てくれて、コンと落として帰った。
夫も息子も、その社長と話す時は何の気負いもない。私の友人含め、そこの建築会社で家を建てた人と話すと「〇〇さんね。面白いよね。でもよく頑張ってくれるよね。うふふ」と、ゆるキャラでも想像するかのように、愛のこもった含み笑いをする。
毎年暮れになると、そこの建築会社のスタッフがカレンダーを持ってきてくれる。時には社長自身が。
こまめに相談することはあるから、カレンダーを持ってきても改めて話すことはない。
ただここ数年は、例の感染症のせいで、向こうも必要最低限しか顔を出さない。こちらからの相談事も急を要さないことはちょっと我慢して、他にも困ったことがあったら幾つかの問題点をまとめて電話で話すようにしていた。
だからこの前顔を合わせたのがとても久しぶり。
何年かぶりに太陽の下で見るとシワが増えているのがわかる。自分のことを棚に上げて、マスク越しでも「年取ったなあ」としみじみした。
「ドアがね。そろそろメンテナンスしましょうか」と言われた。
ああそうなんですよ。しみだらけで枠のところの黒ずみもひどいですよね。
二年もワックスかけそこなっていることは黙っておいた。エネルギー注げる元気がなくて。五十肩で届かない所が多すぎて。
でもあんまり正直に言うと、叱られちゃうかもな。
雪がとけたらお願いできますか? と言うと
「あっ。雪がね。はい。そうですね。はい。はい。はい。そうですね。その方が良いです。はい。汚れたこの辺は薄く削るようにして、塗り替えたら、ドアを全部替えなくて済みますから。はい。メンテナンスするのが良いですね。全部の作業に〇円くらいかかると思います。はい。はいはい。はい」
寒空の下、二人で少し体を震わせながらドアを眺める。もう10年以上経ったのか。家の住み心地は相変わらず良い。近所で互いの悪口なんかも聞かない。紹介してくれた友達とは今も連絡取り合っている。あっそう言えば、ちょっと前に庭の草を刈っておいて良かったあ。
たくさんの思いが頭をかすめほんの少し黙る。
きっとドアの手入れについて本当は言いたいことがあるだろう。しばらくほっちらかしってきっとバレバレだ。
ひと呼吸おいてから声をかけた。
じゃあまた春になったら、ドアについて連絡しますね。
来年もどうぞよろしくお願いします。
「あっはい。こちらこそ。来年もよろしくお願いします。はい。はい」
短く深々と、そしてにこやかにお辞儀をする姿は変わっていない。
車を見送ってドアを閉めると、心がほんのり温かくなった。来年は、床のワックスがけもできるだろう。
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再びメディアパルさんの企画に参加です。前回は、私自身の生活全体についての「メンテナンス」。【広い意味での「暮らし」や「心持ち」】にそっていたものの、「メンテナンス」についての内容が薄くて気になってしまいました。今回こそとドアのメンテナンスについて書いたけど、どうも「人」が話の真ん中に来てしまいます。でもとにかくドアをキレイにするのは確実。楽しみなことの一つです!