自分について書かれた親友の思いを、自分で歌う~「ロケットマン」を観て知った歌詞の本当の意味~
45年ほど前、同性愛者がどのように扱われていたのか、幼少期の私の記憶にはうっすらとしかない。
ただ、今なお差別の対象になってしまうと話題にはなるけれど、当時のそれはもっと残酷で冷たく、心ないものであったことは確かだ。
今回、エルトン・ジョンの「ロケットマン」を観て、その時代背景はあったにしても、両親の冷たさに胸が締め付けられた。「ボヘミアンラプソディ」で(※「ボヘミアンラプソディ」と同じ映画監督。又、実在する人物がかぶっているところもある。つまり同じ人物がクィーンにもエルトン・ジョンにも関わっていた)フレディ・マーキュリーが感じていた不安や孤独とはまた少し違った種類の、しっかりとハッキリと親に拒否された孤独。その気持ちに思いを馳せようとしても、想像しきれないことに圧倒され、胸が詰まる。
*ネタバレあります
父親は明らかに、母親を嫌い、そんな母親の息子であるレジー(エルトン・ジョン)を疎ましがっていた。エルトンの性格も好みではなかったのだろうか。どうやら父親自身の思うように育っていなかったようだ。子供は親の所有物じゃないのに。
そして母親もまた冷たくて、キツかった。その思いを子供に向けないと気が済まないのだろうか。いちいち刃物のように冷たく、痛く、レジーを傷つけた。
そして「僕、ゲイなんだ」と、孤独から何とか救いを求めて打ち明けた母親の答えが、「あなたは誰からも愛されない。一生孤独よ」。
観ているだけでひどく打ちひしがれた。
一度でもそんな言葉を母親として発するなんて。そして子供の立場側として言われたら。
繰り返さなければ「虐待」と定義づけられないにしてもだ。その一言は一度だとしても、彼女は様々に違った言い方で、彼に対する「拒否」を、ずっと示し続けていた。その距離を彼は幼い頃からずっと感じていた。そこへ、さらにそんな言葉で決定的なものとした。
そしてあらゆる依存症からの、更生施設でのグループカウンセリング。そこに行かないともう自分はダメになると、よくどん底から自分で思えたものだ。もうそれだけで、よく頑張ったねと声をかけたくなる。
グループカウンセリングのシーンが出てくる度に、少しずつ鎧を脱いでいく姿は象徴的だ。
そして自分を苦しめていた父親、母親、快楽だけのための恋人、彼らや彼女らの過去の言葉、一つ一つに反論し、幼少期の自分を抱きしめる。カウンセリングの一つのやり方としてあまりにもオーソドックスだけれど、なんて大切な過程なのだろうと思わずにはいられない。
たった一つ、細々とだけど、でも素晴らしい希望があったのは、彼には彼を想う親友がいた。バーニーは、歌詞となる詩を書き、エルトンはそれを読みながら曲を作る。どんどん思い浮かぶメロディをピアノに乗せて歌う。
エルトンとバーニーの間に恋愛感情はない。しかし、バーニーの目線で作った歌詞に、曲を乗せて歌うエルトンが、時に切なくてたまらない。バーニーが、恋人のために詩を作れば、それを曲に乗せてエルトンが歌う。バーニーの目線になってバーニーの恋人を見る。
親友は決して自分の恋人にはならない。
そしてバーニーの自分への思いも、エルトンは自分で歌う。それによって、バーニーの自分への気持ちを、エルトンは何度も確認したことだろう。
バーニーの目線で見た世界を歌う時、自分が親友にどんな風に見えているかを歌いながら感じる時、エルトンは何を思うのだろう。時には自分に対して辛らつに言葉を向け、時には優しく訴えるその言葉たちにメロディを乗せ、どんなに励まされるのだろう。
エルトンは、恋愛感情ではない愛情を、バーニーによって知ったはず。
エルトン・ジョンが歌う曲は、バーニーとの思い出の積み重ねなのだ。
「キミを愛している。でも恋愛感情とは違う」「自分で自分を何とかしなくちゃいけない」とハッキリ言うバーニーを観て、何て誠実で友情と愛にあふれているのだろうと思った。
***
幼少期の私は、エルトン・ジョンの曲、ピアノのメロディが大好きで、家にあるレコードを聴き、車でかかるラジオで聴き、よく口ずさんでいた。そして1970年代後半に帰国する前後だったか、私は彼がゲイであるとうっすら耳にしていた。しばらく彼の曲を聴くチャンスはなかったが、活動休止の時期もあったらしい。
ちょこちょこと表には出ていたそうだけど、日本にいて小学生だった私に、エルトン・ジョンについてそれほど熱心に知ろうとする気持ちはなかった。そのうち私は忘れていってしまった。
1993年に約15年ぶりにニュージャージーに行った頃、ディズニーアニメ「美女と野獣」「アラジン」などが流行っており、その流れで「ライオンキング」が公開。ニュージャージーと宝塚を行き来していた頃。1994年。エルトン・ジョンが歌っていた。その歌声を聴いた衝撃は今でも覚えている。
エルトン・ジョンは健在だ!
伸びやかな歌声と感動的な旋律は変わっておらず、胸を打たれた。そして昔のアルバムを、CDで自分の物として買った。
エルトン・ジョンの曲を聴いて、歌ったり踊ったりと楽しんだりしていた6歳くらいの頃。ステージ上の衣装、それを着ていた彼の思い、隠された表情、歌詞にこめられた意味、観客側の私は、幼い頃からその後も、何も知らなかった。
彼がゲイであったことや、作詞と作曲が別人であったことは、最近までの私の聴き方に大した影響を与えていなかった。
今回、映画で少しでも流れる旋律を聴きながら、「この曲も! あの曲も!」大好きだったけれど、こんな背景があったなんてと思う度に、いちいち心が激しく揺さぶられた。
今後、エルトン・ジョンの曲は、きっと今までと違って聴こえてくるだろう。
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