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誰かの不機嫌に、自分を巻き込まなくて良いし、自分の不機嫌に誰かを巻き込まなくて良い

 モラハラされている人の相談をちょくちょく受ける。だいたいパターンが似ているのでピンとくる。

 正確に言うと「相談」ではないのよな。全然アドバイスを求められていなくて。「客観的にどう見える?」と聞かれて正直に答えても、彼女たちにとっては、こちらの意見も意見ですらない。
 もしかすると「そっか。そう見えるのか」と思うきっかけになったり、何かの後押しになったりするかもと一応正直に感想は言うけれど。

 初めて話を聞いた時は、「なんで?」だらけだった。
 「なんでアナタがそんなにまでしなくちゃいけないの」と「なんでアナタが自分をそこまで低めないといけないの」。その後、どの人の話を聞いても当てはまる。
 私にとっては大切にしたい友達。いつも私の話を聞いてくれて、楽しくしゃべれて、その存在だけで良いのに。なのになんでそんな扱いなの。

 心理学だとかカウンセリングだとか熱心に勉強していた頃だったから、本を読みあさった。
 夫婦間の「モラルハラスメント」という言葉にはすぐたどり着いて、当時その言葉が世に出回り始めた頃だったと思う。

 それから周りの愚痴を聞いていると、それに当てはまっていることが多くて。でも私はカウンセラーでもなければ、友達の前で上手な距離感保てないので、ひたすらモラハラする相手にムカムカ腹が立つばかり。

 最近も時々そんな話を聞く。
 どうしてそういう相手の人たちってみんな似ているの!
 話している側も「自分にも悪いところがあるから」と必ず言うし。
 と思うけど、つまりそれをモラハラと定義しているんだよな。

 その中でよく言われて気になるのが、モラハラする側が「自分で自分の機嫌を取れない」点。

 これがね。すごく厄介だなと思う。

 だって家でくらい気をつかいたくないじゃない。家族の前でも機嫌よくしていないといけないってこと?

 夫にもそれを言われたことがある。「ウーン確かに」と私も考えこんでしまった。
 たとえば子供が外で気を張って帰ってきたら、親は全力で子供のかんしゃくとか不機嫌を受け止めなくてはいけない。家で機嫌良くしている方がむしろ心配だよな。
 でもこれは親子間で子供だから許されること。親の前で機嫌良くしていろなんて思わないし、子供は親の前で甘えて良いのだ。もちろんわざわざ親が甘やかすこともしないのだけど。だから子供の機嫌を取る必要もないってだけで。
 じゃあ夫婦は対等な関係でいられるようにと思ってよく考えたら、私もけっこう不機嫌をまき散らすことがある。
 ああ良くないなあって思うけど、言ったって伝わらないんだもん。それはそれまで努力して伝えたって、浸透しない無力感を重ねた経験がそう思わせるわけで。

 そう思ってから、ふと夫もそんな思いをしているのかと気づく。

 じゃあお互い様。
 ってお互い不機嫌にしていたら良いわけでもない。単に空気が悪くなって疲れる時間も長くなるので。

 この前、なんだか悶々としてしまった時にあれこれネットや本を読んでいて良いなと思った考え方があった。
 ざっくり覚えている範囲で書き出してみる。

・流行りの「自分で自分の機嫌を取る」の言葉は、場合によっては自分を追い詰めるものである。
・なぜなら機嫌が良くない時の自分を否定するものだから。
・仕方ないことと不機嫌を認め、自分を客観視して、何によって不機嫌なのかその大元を知る。
・実はその正体は、その瞬間に腹を立てた事実より少し違うところにある場合だって多々ある。
・それに気が付いたら、それに解決できないまでも対処するように、自分がどうすれば機嫌良くなるかを試す。
・機嫌が良くなる対処はたくさんの種類があった方が良い。

 まず、不機嫌になるのは気持ちの流れで仕方がないので、罪悪感を持たなくて良いらしい。
 その上で、機嫌が良くなる方法をいくつも知っていたら楽になる。

 機嫌が悪くなったと自分でイライラや悲しみに気付いたら、まずは深呼吸して何でも良いから気をそらせるのが良い。何でも良いからほんの何分か没頭する時間を作る。

 私はよく寝る前に大好きな本や漫画を読むと穏やかに眠れるのだけど、それってその世界に入りこむからかもしれないなと気が付いた。考えなくてはいけないことがある時にもそうやっていると現実逃避になるかもしれないけど、そんな時間があっても良いのではないかしら。
 何か良くない気持ちや機嫌にとらわれているくらいなら、少し気をそらしてからの方がラクに考えられる。
 
 HSP(highly sensitive person)だと、周りの機嫌に左右される場合も多いので、自分の身の回りで起きたことがきっかけでなくても、人の機嫌の悪さで自分も調子悪くなることも多い。
 それについては以前、人の機嫌の悪いのは人の問題、と割り切れた経験があるので、それを何度でも思い出そう。

 何か機嫌が悪くなったとしても、それはその人の心の引っかかりだ。そこに私の問題があったと気づいて改善できる部分があったとしても、とっさの時に自分の問題ある部分て出てしまう。
 そこで落ち込んだとしても、周りの人の機嫌まで私が取ることはないのだ。

 当たり前だけど自分の気持ちの切り換えも必要。

 自分自身に対しても。周りに対しても。
 他人の問題と自分の問題とに境界線を引く。

 以前、若い男性が若い女性にこんこんと説教している場面に出くわした。内容までは聞こえなかったけど、大人同士、落ち着いた時に普通に話し合ったら良いのに。
 女性はうなだれていて、どうにかしてあげたくなるほどだった。

 もし彼女をその場で助けたとしたら、モラハラする側って「ホラ。周りの人にこんな風に声かけられるなんてお前のせいだ」と後でもっとひどくなるだろう。
 それがモラハラする側のやり方。必ずそのパターンになるのもよく知っている。その場だけで解決するものではないってくらい、モラハラする人の話をさんざん聞いて読んできたから想像つく。自分のその場を助けたい思いだけで簡単にどうにかなるものではなくて悪化することも。

 愚痴だって聞いても聞いても終わりがないほど、いつだってモラハラされる人はモラハラする人の機嫌で苦しんでいる。そして他人がどれほど親身になって話し相手になっても、必死に言って聞かせても、本人がその状況から脱しないと「いけない」と思わないと解決はしない。
 だってモラハラされる側は、相手が悪いとは思っていないから。その関係が正常だと思ってしまっているから、そこから自分を引きはがすのは、それはそれは年単位の苦しい道のり。

 モラハラする人にとっては、全部相手や周りのせい。恥をかくのも、自分がイヤな思いをするのも。

 たぶんその場で声をかけたところで、後からよりひどいお説教が待っている。
 どうしたら良かったのだろう。
 彼女の姿と、話を聞いてきた何人もの友人たちの顔が重なって時々思い出される。

 イヤだなと思う気持ちは、相手に話して良い。でも話し合いとして成立する関係性があるのなら。一方的なお説教はおかしいよ。
 そして自分の不機嫌にわざわざ人を巻き込まなくて良い。誰かの不機嫌に自分を巻き込まなくて良い。
 時々不機嫌をまき散らしちゃう自分に言い聞かせる。

 自分を変えられるのもまた自分。

 それもずいぶん前から言われている言葉よね。



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かわせみ かせみ
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。