できることが限られている長い時間を楽しむ
歯医者さんに行くのが嫌いじゃない。と夫が言う。
「だって横になるしかないのに口の中はキレイになっていくんだよ」
確かに。
ゴゴゴに伴うオエッとか、キーンに伴うイヤー! とかがなければ、口を開けておまかせだ。治療中に眠ってしまうことも。
夫は休みの日も仕事のメールが来たり、リモート会議をしなければならなかったり。本来進めたい仕事を後回しにせざるを得ない状況が多々ある。
私は夫のスケジュールが見られるようになっているのだけど、ある日のある時間に「仕事を入れたくない」と書いてあって笑ってしまった。
願望がスケジュール。
でもそれくらいメリハリがなくなってしまう便利な世の中なんだよな。
私が30年ほど前に事務で働いていた頃、営業で外を回る社員さんたちがケータイなるものを持たされていた時の気持ちを思い出す。
どこにいても仕事が追いかけてくるみたいで負担じゃないのかな。気の毒だなあ。
私はああいうのを持ちたくない。と思ったものだった。
30年ほど前はね。
まだパソコンも普及していない頃だったから。
それが今やスマホを持たないと不安になっている。
だから何でもできるわけではない不自由な環境が、貴重に思える。
皆さんは1時間以上の長距離移動ってどんな感覚なのだろう。
自分一人で運転だと眠たくならないように気をつけないといけないけど、誰かと一緒とか、公共の乗り物とかさ。
私は乗り物が好きだというより、どうやら「ほぼ何もできない」感覚が好きみたいだ。
まったく何もできないわけじゃないけど、できることが限られている。
その間って、家事を始めとした「あれしなきゃ。これもしておかなくちゃ」ができない。風景を見るとかその写真を撮るとか喋るとか何か読むとかしかできない。スマホは目が痛くなるのでガッツリ長時間は見ない。
それしかできないって制約が楽しい。
これも30年ほど前の話。お小遣いを貯めてはニュージャージーに通った時期があった。
幼少期に暮らしたそこへ、どうしても行きたかったし暮らしたかった。幼少期の自分を熱心に否定しながら大きくなったものだったから、できるだけ本来の自分を取り返したかった。
その後、日本語講師の勉強を終わらせたい気持ちはあったし、夫となる彼と出会ったため、ビザが切れるタイミングで往復した。
シカゴで乗り換えることが多く、全部で11時間~12時間くらいかかる。
飛行機は怖くてあまり好きではないのだけど、できることが限られる時間は魅力的。
前のシートに画面が貼り付いていていて、映画が観られるなんて当時はなかった。何席かごとの上の方にモニターがあって、そこで上映されている映画を観る。飛んでいる間に映画は何本か流れて自分で選べるわけではない。
シートのひじ掛けには小さな穴が開いていて、そこに配られたイヤホンをさしてチャンネルを合わせ音楽を聴いたりもできる。夫は落語を聴くのが好きで、時々急に私の方を向いてニヤァ~と笑みを向けてくるので「今、面白いところね」と思う。
まあでも退屈になるよね。
途中ではさまれる食事が、すごいイベントに思えて、スナックとしての固いミニキャロットとかプレッツェルとか出されるとむさぼり食ってしまう。
パソコンもスマホもないから、本を読んだり手紙を書いたり。
そんな時間を楽しむ。
何度か友人が「これは飛行機に乗ってから見てね」と、お楽しみ冊子を作ってくれたことがあった。
彼女の得意とする漫画は私にとって楽しみの一つだった。
可愛い棒人間が服を着ていて、登場人物は彼女を含めて現実に周りにいる人ばかりで、顔を見るとだいたい誰かがわかる。彼女の日常エピソードや、私との思い出話などが面白く描かれていて、時々笑いをこらえるのに苦心した。
そしてページをめくると、「何時間経ったかな」とか「今どの辺飛んでるの?」とか書いてあったり、簡単なクイズが出題されていたりする。
他に修学旅行でも私たちの学校は東北に出かけた。上野での乗り換えがあったものの、新大阪だったか新神戸だったかで集合した駅から新幹線で東北って、今よりもっと時間がかかった。それでも私は移動時間が長いのがうれしくて。
みんなで下らない話をし続けたり、お菓子を持ち寄ったり、トランプやウノなどのカードゲームをしたり。
そこにも彼女はいたなあ。
懐かしむ気持ちはあるけど、お互いにさんざん傷つけあったので、もう勘弁しての思いがある。たぶん相手も。ストレスになるから会いたくないけれど、良い思い出として心を温めてはくれるんだよなあ。
ふと思う。note上で知り合っていたら彼女の記事を気に入るかもしれない。
懐かしく思い出す長距離の旅。
今はあまりに長いと身体がつらいけどね。道中も、その後も。
面倒でも2~3時間ごとに乗り換えや休憩があるのが理想だな。