イヤなこと思い出しちゃうのは、きっと今後の自分に必要な過程
どうしても心や気持ちが不調の時、皆さんどうしてらっしゃるのか知りたい。
こうしたらこんなに良くなったとか、大好きなこととか、推しとか「聞いてほしい」充実した記事ばかり並んでくると、ネガティブな自分がますますダメに思えてくる時ってない?
書ける時は良いのよ。むしろそういう話は積極的に書きたいもの。元気のない時にそういう内容を読んで励まされることだって多々あるし! どんなに揺れていてもいつも通りのその人らしさを読むと心が安定することもあるし。
だけどどうにも気分が落ち込んだ時。
一度思い出すとそこからなかなか抜け出せなくて、どうしたら忘れられるのと悪循環に陥る。
今は昨年の、特に前半のウツ状態の頃を思い出してしまう。
当時、家族以外の誰とも話したくなくなった。特に、元気で言葉にもエネルギー持った人と話すのは疲れてしまうから閉じこもりたかった。
言葉をこじ開けようとするのは時には優しさであっても、時には残酷。心に侵入してこようとする人もいれば、侵入してきたと勝手に警戒してしまう私もいる。傷口をえぐってくるように感じると痛くてつらくて、やめてとも声を上げられず、逃げて回ってしまった。申し訳なくも思ったけど、恐怖心もあった。声を発するのもつらい時だったから。
「やめて」と言うのは相手が誰であろうととてもエネルギーが必要なのだと過ぎてからやっと気が付く。
言葉にしなきゃならないこと、しなくて良いことは、その人との関係性をも表すし、人の気持ちを想像する上での判断は必要よね。
難しいけれど、相手との距離をはかるそういう試行錯誤とか、失敗とか経ないと距離は縮まらないと思うのよ。
書きながら今、ぼわんと思い出した友達がいる。noteでほとんど登場したことのない彼女だけど、一度ゆっくり書きたいのだよねえ。
駆け引きなんかじゃなくて。
あっまちがえたよね私。ごめんね。でも知りたいの。良かったら話して。良かったらでいいから。無理しないで。あっ土足で踏み込んじゃった? まちがえたよね私。
と繰り返しながら少しずつ距離が縮まったり。離れたり。
まわりの友人たちの本性を知り、そっと寄りそい見守る大切さや彼女たちの優しさを知った。
泣いて暮らしていた日々。言葉にするのも苦しかった時。私ったらどうやって切り抜けたのだったか。
よく覚えていないのよ。
ここに昨年暮れ頃から何度か書いたっけ。「よく覚えていない」。
ごまかしごまかし過ごしていて、年末を迎えた頃にたくさんの記憶や、やらなければならない事柄が自分から抜け落ちていると気づいて「ひー!」と驚いて慌てた。たくさんの無礼を謝って回った。
ここ最近、身体が心配なのがピークに達してから少し安心した時。急激に気がゆるんだのか、少し心が不安定になった。昨年のあの頃ほどじゃない。比べたら全然平気。だけど、こういう時って過去の色々良かったこともイヤだったこともたくさん思い出す。
無意識にその中からヒントを得ようとしているのだろうか。
でも昨年のその頃から何のヒントも出てこない。
イヤなことから離れる。距離を置く。休む。好きなことをする。
当たり前にわかっていても、どうしても頭からイヤなことが離れない時間がある。それは今の自分に大切な過程だからだ。きっとこれを経ないと私はスッキリできないのだろう。
わかってはいても疲れるやーん。
ああでも。
これも書きながら気づく。私はこじ開けたいタイプだった。今も「話してね」とわりとしつこく伝えてしまう。それでも執拗な態度を、ひと呼吸ついて抑えられるようになったのは、相手の気持ちを考えるようになったからなのかな。それはあの頃があったからなのかもしれない。私には必要な時期だった。他の人には必要じゃなくても、私は自分が経験しないとわからない感情だった。
きっと悲しみを知っているから喜びを知っているように、精神的なつらい経験を経て優しさをようやく知る私なのだ。
感情を味わうのは悪いことじゃないのね。
今の私が過去のそういったことから何かヒントを得ようとしている。それがまだ何かはわからないけど。
少し心がしんどい時期。とりあえず好きなことで心を埋めてエネルギーを蓄えていこう。都会に住んでいたら少しだけオシャレしてただ街を歩くだけで気分転換になるのにな。
カフェで一息。
映画を観る。
ゼルダを進める。
歌を歌う。
好きな曲を聴く。
家族とおしゃべり。
好きな友人とおしゃべり。
漫画も読もう。
ちょっと集中すると良いんだってね。
イヤな記憶に頭を占領されそうになった時。みんなはどうしてるのかな。