
将来について迷える息子に伝えたい思い
30年近く前。大学卒業しても、いつでも気楽にニュージャージーに行きたいからと、アルバイトをパートに切りかえ、同じ職場での勤務をしばらく続けていた。
でもその後もっと長く滞在したくなったため、より多くの費用を貯めようと、遅れて就職活動をし小さな会社の事務員として働いた。
事務員は当時、掃除やお茶くみや皿洗いもあったし社員(と言っても少人数)のコーヒーの好みも覚えていなければならなかった。販売事務だったので、ひたすら各店舗の販売実績を当時のコンピューターで打ち込んで記録したりコピー取ったり電話を取ったり。
女性社員同士の関係はちょっと大変だったし、飲み会でのジェンダー差別問題で上司に腹を立てたこともたびたびあった。
ただ私は仕事も職場も嫌いじゃなかった。多くの皆とは楽しく働いていたし、よく喋ったり笑ったりした。
その後ニュージャージーに行き、間もなくメニエール病を発症して、起き上がれなくなった。
結婚して体調に気を付けながらニュージャージーに住み始めたけど、翌年、札幌に移ると、またすぐに体調をくずしてしまった。
ようやくその気候や暮らしに慣れ、継続して元気を保てるようになった頃、日本語の先生の仕事をほんの短期間、人づてに頼まれた。
子供たちと接するのは大学生の頃の塾のアルバイトで慣れているはずだった。日本語での、作文の指導をするのも夢の一つで面白い作業だったのに、なんだか眠れなくなっていった。
病院に行くと自律神経失調症だと言われ、それから他の要素も加わって、半年ほど夫以外の人に会えないくらいに症状は悪化してしまった。
それから働いていない。
大昔のアルバイトを含めるとちょこちょこと働いてみたけど、この二つが私には印象が強い。中でも真摯に仕事をしていたからかな。
それぞれの仕事は、私にとって対極の位置にあった。
片方は、収入のためだけに働いていると思っていたけど続けられたし、もう片方は好きなことでやりがいを感じていたけど、ほぼ無意識のうちに心身ともにバランスを崩してしまったらしい。
仕事をするってどういうことなんだろう。
私の価値って誰が決めるんだろう。
わりとずっと考えていた。
最近、息子が将来について何も見いだせないと言って、怠けがちな自分にダメ出ししようと余念がない。どこか頑なに真面目な部分のある息子を思い、書いて残しておきたい。
母さんは、結婚前は仕事を続ける気満々だった。でも元から丈夫じゃない身体で、そして自分の気が済む程度の家事くらいはしたくて(これは母さんの基準だから、他の人から見たら無理していることも、怠けていることもあるだろう。あくまでも母さんの基準の話ね)、働けなくなった。キミも知っているように寝込んでいる日も多い。そんな時は父さんが家事してくれたり、買い物してくれたりするよね。
でも父さんはこんな母さんを受け入れていて、母さんも自分の考え方を変えなければと思い始めているところだよ。
たかだか母さんの基準であっても、できることをできる範囲で淡々とやっていれば、それが自分の今後の暮らし方や生き方につながるんだ。
キミの父さんは、自分のやりたいことに一途な仕事をしているよね。母さんはそれに関してはよく知らない。
でもやりたい分野があってそれがクリエイディブで、それについて深めて取り組んでいるのは素晴らしいと思っている。本人にとっては雑用も多いやらそんなに良いものじゃあないとよく言っているけどね。でも自分で「これを追求してきた」と言えるものがあるって良いなあって思う。直接的じゃなくても後に続く人たちがいてそれを見守るのも好きみたいだよね。
母さんは、若い頃に戻ったらあれをしたかったなーって妄想する時がある。ああいう勉強やっておけば。って。
でもね。本気で思っているなら今からだってできるはず。なのに真剣に取り組もうとしない自分がいてね。結局若い頃に戻ったって事務仕事しそうなんだよ。
家事をある程度やらないとどうしても気が済まないみたいだし。
身体は元々のものだから、もし日本語を子供たちに教えようとがんばったって、あんな風になってしまうんだろう。
そう考えると、意外と事務仕事が合っていて、好きで選んできたんじゃないかって気がしてきた。
母さんの父親、つまりキミの母方のおじいちゃんを見てて気づいたんだ。
おじいちゃんは、大手商社に勤めてずっと事務仕事を続けた。海外の会社と取引するのにかけあったりって言ったらカッコいいよね。でも本人のしていたのは、きっと華やかなわけではない地味な事務作業。
よく続けたなあと思うけど、本人に合っていたんじゃないだろうか。
定年退職後、今度は規模の小さな貿易会社で20年近くやっぱり事務作業で働いた。そこを退職しても、亡くなった友達の仕事のカバーで、少し知識があるからとまだ駆り出される日がある。
父さんにタイプが似ているキミにとっては、おじいちゃんは面倒な作業を日々くり返していたんじゃないかな。
大してクリエイティブじゃなくても、必要な仕事だった。代わりの誰かができることだから、休んでも辞めてもそれほど支障はきたさない。だけど誰かがその時やらなくてはならないことを淡々と続けるのも、本当は大変で大切な仕事だよね。
母さんはそんなおじいちゃんに似ているんじゃないかって思う。
そもそもの気質がどうやら受け身。自分から動きたいと思えることがすごく限られている。
そして動きたいと思った時に体が大丈夫じゃないと動けない。自分で動けないのは、つまらなく見えるかもしれないけど、母さんはこの人生も好きだと気づき始めているんだよ。人を応援し、気持ちを受け止め、支える。周りの人の、心も身体も休めてもらうためにできるだけ笑顔でいる。頼まれたことができそうなら身体と相談しながら。体調悪くて横になっていても、キミが心配してくれなくなったくらい母さんはキミを笑わせて安心させることに心を砕いてきたんだ。
この先、身体も心も今よりは安定したら何かやりたいと思えるのかもしれない。そんな機会もあるかもしれない。自分でチャンスを作るかもしれない。それはその時に考えたら良いと思っている。今のところ生きているだけでありがたいと心から思うんだ。でも選択がある段階で、恵まれたぜいたくなことなのかもしれないよね。
さて。キミは今、将来する仕事について迷っている。やりたい仕事が見つからない。大学の成績はいまいちだし、今学年は希望していた分野でもない。
でもそんなに心配し過ぎることはないんじゃないかな。
だって受け身なおじいちゃんや母さんにはないものをキミは持っている。
今は授業と関係なくプログラミングが好きで、競技プログラミングに夢中。どうやらその中で長けている分野もあるそうだよね。
キミにとってそれは遊びのようなもので、それを何に生かしたいかを思い描けないんだよね。でも今そうやって夢中になっていることがあるってすごく大事だと母さんは思うんだ。
それは若い頃にはわからない良さなのかもしれない。
言葉では聞くかもしれないけれど、「人の生きる道って、一歩一歩」。
ひとっとびにどこかになんか行けない。きっと知ってはいるよね。ただその本質までは理解できていないかもしれない。目の前の道の大きな石をよけ、小さな石を踏んで、時には拾ってみたり蹴ったりしながら歩いていくだけなのよ。
そうしたらいつの間にか一緒に歩いている人がいて、時にはその人と離れ、別の人と合流して、「そう言えばこの道歩いているんだな」って気づく。
行く先を決めて歩いている人を知っていると、自分もそうしなければと思うかもしれないけど、そういう人の方が少ない。それに順調に歩いているようでもその先で迷ったり戻ったり。
足元を見ながらでもトボトボでも歩いていたら、歩んだ跡が道になっていて、キミらしさができあがっているから、焦らなくたって良い。
父さんと母さんはキミを見守れるように忍耐強くいるよ。そしてキミの歩む道の後ろから応援しているよ。
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メディアパルさんのこちらの企画に参加しています。
今は働いていないので、私なんか……と尻込みしていましたが、自分の親や子や、その間にいる自分を振り返る機会をいただけました。どうもありがとうございました!
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